私は運命とか宿命という言葉がきらいである。この言葉には、人間の自由を束縛するひびきがあるからである。
ところで実際には、運命とか宿命というものはあるようである。はやい話が、白人の子に生れたり黒人の子に生れたり、黄色人種の子に生れたり、これは人間個人の自由選択のきかない世界である。牛に生れたり、馬に生れたり、虫けらに生れたり、これは人間を含めて生きとし生けるものの介入出来ない世界である。そうすると、運命とか宿命の存在を否定出来ないようである。
それでも私は運命とか宿命という言葉はきらいである。そういう考え方もきらいである。私は運命の存在は認めるが、しかし運命はかわるものであり、かえるべきものであると思っている。そこに人間の生きる喜びがあり、生きがいがあると思っている。