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高野友治語録(7)

明治四十三年五月末、林九右衛門は八十三歳になっていた。このころ九右衛門は自分の死期の近づいたのを知った。家のものを集めて言うに、
「私はもう身体が弱ってきた。この辺で、この身体を神さまにお返しして、また新しい身体を借りて、生れかわって、働かしてもらいたいと思う。それで、私が死ぬ日だが、五月の八日にしたいと思うがどうだろう」
と相談をもちかけた。
これは正に非理論の世界だ。
「それは困る。五月八日は麦刈りの最中だ」
「そんなら十八日はどうだろう」
「それはもっと困る。十八日は田植えの水の割り振りの最中だ」
「そんなら二十八日はどうだろう」
「二十八日になれば、田植えもすんでいるから、いい」
「そんなら五月二十八日にする。時間も夜の十時にしておこうと思うがどうか」
家のものが承知し、それを村の人に伝え、信者たちに伝えたので、五月二十八日の夜には、みんなが集まって来た。その中で、十時が来ると、九右衛門は、
「さよなら」
と言って亡くなった。
九右衛門は、神さまの世界に生き、神さまの世界に死んでいったのだ。

高野友治『神の出現とその周辺』pp.50-51

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