教典第5章「ひながた」(1)

万人のひながた

ひながたの道を通らねばひながた要らん。(中略)どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。

おさしづ 明治22年11月7日
  • ひながた→私たちに対して投げかけられているとして、受け止めることが肝心

ひながた以前

  • 「五十年のひながた」VS「ひながた以前」

黒疱瘡の件
ここで問題を残しておるのは、どこまでも、あくまでもその時代における教祖は(つまり中山みきという人間)、標準の社会人であったということを忘れてはならないことであります。その時に、もうすでに人間万事の親であられる御行動をとっておられたと解釈するならば、いろいろな問題が残るのであります。そうではなくて、その時の最も常識のある立場をお果たしになっておったと考えるのであります。家族主義であったと言われるならば、そうであったのであります。しかしそれは、天理教としての理想的のものであったとは申せない。さような時の、教祖(人間中山みき)としてとられる最善のお心遣いであったのであります。

中山正善『第十六回教義講習会 第一次講習録抜粋』p. 134

貧に落ち切る

『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。』

『天理教教祖伝逸話篇』四「一粒万倍にして返す」

ほどこし

一列人間を救けたいとの親心から、自ら歩んで救かる道のひながたを示し、物を施して執着を去れば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れると、自ら陽氣ぐらしへの道が開ける、と教えられた。

『天理教教祖伝』第3章「みちすがら」より

この家へやって來る者に、喜ばさずには一人もかえされん。親のたあには、世界中の人間は皆子供である。

『天理教教祖伝』第3章「みちすがら」より

家形・高塀の取り払いと善兵衛の苦悩

板挟みの苦労、宮池

月日にわどんなところにいるものも むねのうちをばしかとみている
むねのうち月日心にかのふたら いつまでなりとしかとふんばる

おふでさき 第13号98, 99

嘉永6年

  • 夫善兵衛出直し

  • 母屋の取毀ち

  • こかんの浪速布教

まとめ:貧に落ち切る、貧のどん底の「私たちにとっての意味」

例えば、皆さん方は風呂へ入る時に、着ている着物をそっくり脱ぐでありましょう。裸になって、入浴するのであります。しかし、その場合でも、目的は裸になるということにあるのではなくて、風呂へ入るということである。裸になるということは、気持ちよく風呂に入るための一つの、言わば手段なのであります。裸になるということ、貧のどん底に落ち切るということが、私たち信仰する者の目的ではないのであります。目的は、あくまでも陽気ぐらしを味わうことである。陽気ぐらしを味わうということは、親神様の思召にふさわしい心になるということによって味わえるのであります。しかして、親神様の思召にふさわしい心になるためには、思召を聴かなければ分かりません。また、思召を聞けば、思召にふさわしい心になるために一番妨げになるのは、今申しましたように、誰でも持っているだろう欲の心を忘れることである。そのことを、一番手っ取り早く、その当時居合わした私たちの先人たちに、人々に分かりやすく教えるために、教祖はこういう形をもって教えられたのではなかったか。

三代真柱様 昭和五十九年三月九日 天理教校卒業式におけるお話

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