教典第8章「道すがら」(3)

誠真実

人をたすける心

たすかりたい→たすかってもらいたい
子ども→親

なんでもどうでもの心

桝井伊三郎の母キクが病気になり、次第に重く、危篤の容態になって来たので、伊三郎は夜の明けるのを待ちかねて、伊豆七条村を出発し、五十町の道のりを歩いてお屋敷へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いて、「母親の身上の患いを、どうかお救け下さいませ。」と、お願いすると、教祖は、
 「伊三郎さん、せっかくやけれども、身上救からんで。」
と、仰せになった。これを承って、他ならぬ教祖の仰せであるから、伊三郎は、「さようでございますか。」と言って、そのまま御前を引き下がって、家へかえって来た。が、家へ着いて、目の前に、病気で苦しんでいる母親の姿を見ていると、心が変わって来て、「ああ、どうでも救けてもらいたいなあ。」という気持で一杯になって来た。
 それで、再びお屋敷へ帰って、「どうかお願いです。ならん中を救けて頂きとうございます。」 と願うと、教祖は、重ねて、
 「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん。」
と、仰せになった。教祖に、こう仰せ頂くと、伊三郎は、「ああやむをえない。」と、その時は得心した。が、家にもどって、苦しみ悩んでいる母親の姿を見た時、子供としてジッとしていられなくなった。
 又、トボトボと五十町の道のりを歩いて、お屋敷へ着いた時には、もう、夜になっていた。教祖は、もう、お寝みになった、と聞いたのに、更にお願いした。「ならん中でございましょうが、何んとか、お救け頂きとうございます。」と。すると、教祖は、
 「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」
と、仰せ下された。
 この有難いお言葉を頂戴して、キクは、救からん命を救けて頂き、八十八才まで長命させて頂いた。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』16「子供が親のために」


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