教典第8章「道すがら」(1)

たんのう

兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖は、
 「おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」

『稿本天理教教祖伝逸話篇』199 「一つやで」

世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水 も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお與え下されてある。

『稿本天理教教祖伝』より

慶応四年五月の中旬のこと。それは、山中忠七が入信して五年後のことであるが、毎日々々大雨が降り続いて、あちらでもこちらでも川が氾濫して、田が流れる家が流れるという大洪水となった。忠七の家でも、持山が崩れて、大木が一時に埋没してしまう、田地が一町歩程も土砂に埋まってしまう、という大きな被害を受けた。
 この時、かねてから忠七の信心を嘲笑っていた村人達は、「あのざまを見よ。阿呆な奴や。」 と、思い切り罵った。それを聞いて忠七は、残念に思い、早速お屋敷へ帰って、教祖に伺うと、教祖は、
 「さあ/\、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで。」
と、お聞かせ下された。忠七は、大難を小難にして頂いたことを、心から親神様にお礼申し上げた。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』21 「結構や、結構や」

たんのうは前生いんねんのさんげ

だん/\映しある処、人間皆神の子供、この理よう聞き分け。いんねん事情諭し、同じ神の子供可愛い子供、いんねん事情聞き分け。それよりたんのうという。身が不足通ってたんのう思わりゃせん。人間始め掛けたる理から見てたんのう、世界の理を見てさんげ。日々身に不足なって世上の理を見て、随分皆んなたんのう/\の理より受け取りは無い。

おさしづ 明治二十二年十一月二十日

事情どうにもこうにもならん道から道運ぶ最中、年々だん/\年々送りたる中から分かりある。事情身上どうであると日々思う内々中に、これではなあと思う。よう聞き分けて、たんのうしてくれ。たんのう中、ならん中たんのうするは誠、誠は受け取る。ならんたんのうは出けやせん。なれど一つ、ならん一つの理は、多くの中見分けてたんのう。ならん中たんのうするは、前生さんげ/\と言う。ようこれ聞き分け。これだけ諭したら、自由の理は分かるやろ。

おさしづ 明治三十年十月八日

節から芽が出る

見るもいんねん。聞くもいんねん。添うもいんねん。
大難は小難に、小難は無難に。

未だ一つの理、神一条の始め出し、何も難しい事は言わん。難しい道はをやが皆通りたで。をやの理思えば、通るに陽気遊びの理を思え。心に掛かる事があれば、陽気とは言えん。皆んなろくぢに均して了うで。あちらが分からん、こちらが分からん。元の所より分からんから、分からせんのやで。この理を聞き分け。

おさしづ 明治二十一年十月十二日


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