教典第8章「道すがら」(1) 1 MO 2022年2月28日 17:04 たんのう 兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖は、 「おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」『稿本天理教教祖伝逸話篇』199 「一つやで」世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水 も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお與え下されてある。『稿本天理教教祖伝』より慶応四年五月の中旬のこと。それは、山中忠七が入信して五年後のことであるが、毎日々々大雨が降り続いて、あちらでもこちらでも川が氾濫して、田が流れる家が流れるという大洪水となった。忠七の家でも、持山が崩れて、大木が一時に埋没してしまう、田地が一町歩程も土砂に埋まってしまう、という大きな被害を受けた。 この時、かねてから忠七の信心を嘲笑っていた村人達は、「あのざまを見よ。阿呆な奴や。」 と、思い切り罵った。それを聞いて忠七は、残念に思い、早速お屋敷へ帰って、教祖に伺うと、教祖は、 「さあ/\、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで。」と、お聞かせ下された。忠七は、大難を小難にして頂いたことを、心から親神様にお礼申し上げた。『稿本天理教教祖伝逸話篇』21 「結構や、結構や」たんのうは前生いんねんのさんげだん/\映しある処、人間皆神の子供、この理よう聞き分け。いんねん事情諭し、同じ神の子供可愛い子供、いんねん事情聞き分け。それよりたんのうという。身が不足通ってたんのう思わりゃせん。人間始め掛けたる理から見てたんのう、世界の理を見てさんげ。日々身に不足なって世上の理を見て、随分皆んなたんのう/\の理より受け取りは無い。おさしづ 明治二十二年十一月二十日事情どうにもこうにもならん道から道運ぶ最中、年々だん/\年々送りたる中から分かりある。事情身上どうであると日々思う内々中に、これではなあと思う。よう聞き分けて、たんのうしてくれ。たんのう中、ならん中たんのうするは誠、誠は受け取る。ならんたんのうは出けやせん。なれど一つ、ならん一つの理は、多くの中見分けてたんのう。ならん中たんのうするは、前生さんげ/\と言う。ようこれ聞き分け。これだけ諭したら、自由の理は分かるやろ。おさしづ 明治三十年十月八日節から芽が出る見るもいんねん。聞くもいんねん。添うもいんねん。大難は小難に、小難は無難に。未だ一つの理、神一条の始め出し、何も難しい事は言わん。難しい道はをやが皆通りたで。をやの理思えば、通るに陽気遊びの理を思え。心に掛かる事があれば、陽気とは言えん。皆んなろくぢに均して了うで。あちらが分からん、こちらが分からん。元の所より分からんから、分からせんのやで。この理を聞き分け。おさしづ 明治二十一年十月十二日 ダウンロード copy #教典 #たんのう 1 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート