私が先に好きになりたかったのに

"また、ダメだったな"
手を振る度に、そう思った。もう何度目だろう。まだ、両手では数えられる…いや、もう数えたくない。最低だ。やはり私にとっての現実は、現実であり、虚構だ。自分の部屋を出る時に、私の気持ちは置いてきて、機械のように笑って、頼まれ事をこなして。今日は、何を思ったんだっけ。そう、また私は、誰かを好きになりきれなかったんだったね。

現前の世界とは別の、虚構の世界に自分の感情を介入させる-空想する-ことが、私の日課だ。部屋で一人、唯一私の気持ちが、確かにあることを実感する。友人に借りた少女漫画を読んだ後に、私だったら、と、ドキドキする。こんなシチュエーションなんて起こる筈もないんだけれど、だからこそ、偽りの私がいる現実と、本物の私がいる非現実で、上手く調和が取れているような気がする。ただ、私は虚構の世界だとしても、"男性"に惹かれることはなかった。その男性に惹かれるヒロインの気持ちに、憧れていたのだ。特に憧れるのは片想いの段階。何故なら、私にその経験がないから。誰かを想って、誰かのために努力して、触れられない距離でさえドキドキする、きっとそこから見える世界は、綺麗なんだろうな、と。

*

"華ちゃん、これ可愛すぎて私には合わないからあげるよ!絶対似合うと思う!"
"これ、華ちゃんが持ってたら可愛いね!"
私は可愛いものが好きだった。ただそれだけだった。歳を重ねるごとに、周囲からの評価が、"可愛いものが好きな子"、から、"可愛い子"、という風に変わっていった気がする。小学生の時は、男の子には関心がなくて、必要最低限の会話しかしなかった。そのおかげで、ただ女の子に囲まれて過ごすことができた。

中学生になった。私が男の子に関心がないのはそのままだったのに、私のことを好きになる男の子が出てきた。よく分からないけど、もしかすると、その気持ちに応えてみたら、私もドキドキするのかな。私の気持ちを、現実の世界で、感じることができるのかな。私も好きだと思うことができるのかな。とりあえず笑顔で、"ありがとう"と、言ってみるところから始めよう。

*

綺麗な世界は、どこにあるんだろう。何度も繰り返した。私が綺麗だと感じる前に、君が綺麗だと感じる前に、君は私を好きだと言う。もし、誰かと一緒に、目の前の景色を綺麗だって感じることができたら、私は満足できるのだろうか。いや、私のことを好きだと言う彼らは、きっと目の前の景色-を私と一緒に見れること-を綺麗だと思っているのだろう。私も、"誰かを想いながら見える世界は、綺麗なんだろうな"、と、思っていたじゃないか。私自身には関心がなくて、それでいて、私が一緒に居てみたいと思う、そんな人が現れてくれたら、綺麗だと思って、ドキドキするのかな。

*

疲れた。確かに、人を好きになることに憧れている。でもきっと私が憧れているのは、私が先に好きになること、なのだ。好きになってくれた人と何度も繰り返し一緒にいようとしても、もう私には難しいのかもしれない。また、誰かに明日どこかに行こうと誘われた。きっと明日の人とも、同じようになるのかな。

*

眼前には見たことのないような-いや、本当は"私を好きになった誰か"と訪れたことがあるのだが-、まるで光から聞こえてくる音が直接胸に届いてくるような、静かなのにうるさくて、手を伸ばしてみたくなるような、そんな景色が広がっていた。隣から、"綺麗だ"と聞こえる。"綺麗だね"、その台詞は何度だって聞いてきたけど、私はそれを聞く度に、機械のように笑った。"綺麗だ"。本当に、そう思っていることが分かった。好きとか嫌いとか普通とか、そういうことはどうだっていい。ただ目の前の景色が綺麗だと思う気持ちが、同じものだと分かって、君の方を見てしまった。ドキドキする。この景色が綺麗なせいなのか、夜が静かなせいなのか、それとも--。

"また来月、お会いできませんか?"
男性にこんなことを言うのは初めてだ。
"またお会いできるんですね、嬉しいです"
自然と私の頬が緩んだのも、君が私を好きになる可能性があるのかどうかも、気にせずに、ただ確かめたくて、会いに行った。二人並んで座って、また夜景を眺める。キラキラと流れる無数の光が、風のように流れる一本の光が、私たちが少し映り込んだガラスの向こう側で、輝いている。止まない光と、止まない鼓動。やっぱり、ドキドキする。
"帰りたく、ないな"
きっとこの人は、私のことを好きになることなく、また一緒にいてくれるんだろう、と、何故か信じ込んでいた。だからこそ、こんな言葉が出てきた。君はどんな顔をするんだろう。そう思った瞬間、なかなか立ち上がらない私の前に、手が差し伸べられた。こんなのは、反則だ。触れたら、現実になってしまう。これも現実ではあるのだが、君との非現実を、もっと見てみたい。私が、先に好きになってみたい。触れたら、負け。なんだけど--。

"華さんのことは、好きなんだと思います"

"また、ダメだったな"
そう思いながら、ドキドキしながら、君に触れて、君の隣を歩いていく。
私が先に好きになりたかったのに、ね。


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