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音楽は時に言語よりも雄弁である。 第2話 音楽で助け再び助けられた。

2018/05/12 作

大学では軽音楽部に入った。
僕はドラムを始めた。

この頃の僕は自己顕示欲の塊である。
正直、自分より上手い人が許せなかった。
僕を初心者だというのに。
上手い人が演奏している時は「ミスれ!!」
と念じていた。

次第に自分のことも嫌いになり、
僕はなんて下手くそなんだろう。
僕はどれほど嫌われるのだろう。
僕に存在価値などあるのだろうか。

しかし、音楽を始めて
数ヶ月後、新たなことに気づく。

僕が大好きなslipknotは、割と嫌われている。
考えてみればどのバンドもそうである。
いや、バンドに限ったことではない。
とても好かれてる人は
とても嫌われてる人でもある。
芸能人とかでもそうだ。
そして
とても嫌われてる人は
とても好かれてる人である。

ヒトラーは批判されてもいるが好かれてもいる。
今の日本の首相は?
トランプ大統領は??

歴史をたどってみても、
地球上の全員に嫌われた人も、
地球上の全員に好かれている人もいない。

嫌いな芸能人ランキングと
好きな芸能人ランキングは驚くほど一致する。

「愛情の反対は憎悪ではなく、無関心である。」
この言葉が鋭く脳に、心に、刻まれる。

じゃあ僕はどうなんだろう?
地球上で全員に好かれることは
不可能だと自ら推測された。
逆に地球上で全員に嫌われることはできるのか?
部活内で全員に嫌われたとしても、
大学全員ではない。
大学全員に嫌われたとしても、
日本国民全員ではない。
日本国民全員に嫌われたとしても、
地球上で全員に嫌われるなんて不可能である。

ならば、なぜ他人の幸せを願えないのか。
なぜ演奏を失敗しろと思うのだ。
いや、他人の幸せを願うのが怖かった。
他人の幸せを願っていいのだ。

この日を境に僕は、
無駄な承認欲求が削ぎ落とされていき、
キリスト教で言うところの
隣人愛らしきものを感じた。
そして自らの価値観に多様性がうまれ、
人の演奏を聴くときも自分が演奏するときも
世界の色が変わったように素晴らしく感じた。

1回生の冬のとあるライブで、
僕の演奏後に2人の女の子が駆け寄ってきた。
「実は私は全てを諦めようとしてたけど、
あなたの今の演奏を観て頑張ろうと思えた。
ありがとう。」そう告げられた。

僕みたいな下手な演奏でも、
気持ちは伝わるんだ!!

音楽の素晴らしさが身にしみる。
言葉じゃなくても気持ちって伝わるのか。

その後の、とあるバンド練習中のことである。

いつも通り僕はドラム担当である。
夕陽が部室に差し込む清々しい日だった。
曲を始めるとき
ドラムがスティック同士をぶつける
カンカンカンカン、という合図から
みんなで演奏を始める。

僕はの心を温もりが駆け巡った。

「僕の4カウントでみんなが動き始め、
みんなで気持ちをぶつける。一体化する。
みんなで楽器で会話するんだ!!」

僕は、この世で要らない人間じゃあないんだ。
僕はここにいていいんだ。

人の幸せを願い自らの幸せを願い行動する。

音楽はそんなことを顕著にできる。

僕は音楽で人を救う経験をし、
再び音楽に救われた。

最終話に続く。

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