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後楽園ホールに行ってきた #3 【NOAH】

高校生のころ世界史の勉強をするのが苦痛だった。中学生までは社会という科目のテストの点数は良かったのに、高校ではテストで全くいい点が取れなくなった。どうして、中学までできていたことが高校になって急にできなくなったのか、それは単純に歴史というものに最初から興味がなかったからだと思う。中学生までの勉強は、興味がなくてもある程度できたけど、高校生で学ぶべきことの量は中学生の時と比べ膨大だったから、興味がないと無理があったのだろう。
興味のないことを学ぶのも大事なことだ、と言われてしまえばそれまでなんだけど、興味があるないでは、物覚えの速さは全然違うわけで、少なくとも学校の先生は、生徒に歴史への興味を持たせる努力は必要だと思う。学校の先生のみんながみんな、そういう努力をしてないわけではないと思うけど、自分が高校生の時は、ある日急に世界史の授業が始まり、急にフランス革命の話をし始められた。好奇心を持ちなさいと言われたらそれまでだけど、今大人になった自分がもう1度、高校の世界史の時間に戻ったとしても、すぐに授業中眠ってしまうだろう。。
高校で学ぶ世界史に興味がなかった理由の1つとして、現在を知らないってことが挙げられる。フランス革命を学ぼうとしても、今のヨーロッパのことを知らない。今のことに興味があって昔を知ろうとする、これが歴史を学ぶ自然なきっかけなんじゃないかと僕は最近、プロレスを観ていて気がついた。

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今のNOAHは、昔を知らなくても充分面白いけど、昔を知っていたらもっと面白いんだろうなと思う。例えば、僕は2000年生まれなので2000年の桜庭和志を知らない。だから、NOAHマットに桜庭が上がるまで桜庭がどれだけ凄い人かというのを知らなかった。それから、本を読んだり、ネットの動画を観たりして、少しずつ桜庭の凄さがわかってきた。もちろん、いくら過去を調べて遡っても、当時の熱狂や盛り上がりは、その時にしか感じることができないから過去の全てを知ることはできないけど、自分の知る過去の桜庭と現在の桜庭は全く違うことをやっているなと感じる。
第5試合の中嶋勝彦対桜庭和志は、中嶋のえげつない蹴りを桜庭が受けまくった印象。桜庭が中嶋の蹴りを耐え続けてから得意の関節技を出す流れで、とても見応えがあった。桜庭のグランドの攻防や関節技の技術というのは総合格闘技で培ったものなんだろうけど、総合格闘技出身であれだけ中嶋の蹴りを受けられるということは、桜庭和志はプロレスラーということだ。

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桜庭と中嶋の試合とは対称的だったのは、セミファイナルの藤田和之対船木誠勝だ。桜庭と同様に船木と藤田も総合格闘技の実績がある。試合は一瞬の油断も許さない緊張感が張り詰め、相手の隙を見逃さずに一撃で船木が藤田を仕留めた。試合の中には、張り手合戦や意表を突く船木の回転エビ固めなどのプロレス要素もあったが、総合格闘技の色の強い試合だった。僕はこういう余計なもののない試合も好きだけど、シングルマッチが8試合続く興業の中にこういう他の試合とは全く違う味の試合があるから、光るのだろうなと思う。逆にこういう試合が第1試合からメインイベントまで続いたら、すぐ飽きてしまいそうだなと感じた。

僕にとって、1番昔を知りたくなるレスラーがケンドーカシンだ。今のケンドーカシンは、レスリングができるのにあまりやらず、相手の隙を突いて丸め込むかリングアウトを狙うスタイルだ。新日本でいう矢野通のスタイルに近い。ケンドーカシンは昔どうだったんだろうって、色々観てみたら、すげえかっこいい、というのが感想。特にコーナーからの飛びつき式の腕十字がかっこよくて、1999年のスーパージュニアの優勝決定戦がすごい好きだ。
そんなケンドーカシンは第3試合で稲葉大樹と対戦。勝ったのは稲葉であったけど印象に残るのはカシンで、終始カシン劇場といえる試合だった。いつかまた、本気を出したカシンを観てみたいけど、毎試合何が起こるかわからない奇想天外なカシンの試合もまだまだNOAHで観ていきたい。

試合をしっかりと観ないでネットの記事しか読まないような人は、NOAHはロートルばっかりだなっていう感想なんだろうけど、会場で観てきた僕の感想は、NOAHマットに上がるレジェンド達がどうしてプロレスの世界で生き残っているかは試合を観れば納得だし、レジェンドとNOAHの融合は他団体では観れない化学反応を起こしていた。

※#4に続く




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