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ミラギフは「祈り」

ピューロランドに行くようになって、もうかれこれ5年くらい経つ。
最近は、ペースも落ちたけど、ときどきやはり無性に行きたくなって、ひとりでインをする。昨日も午後にちょっと行って、ミラギフと歌舞伎とピューロ学園を観て、さらっと帰って来た。

どの演目も良いのだけど、やはりミラギフは格別だと思う。
以前は、ミラギフをみて、うるうる一人で泣いていた。最近は泣かなくなったけど、観終わった終わった後に自分の心が浄化されているのが、感じられるようになった。それで、気がついたことが、これは「祈り」なのだな、ということである。

祈りというのは、神仏に祈禱をすることの意味であるけど、別にミラギフは神仏に祈っているわけではない。でも、闇の女王の登場による知恵の木の光の消失から、「信じること」による光の回復と闇の女王の改心、敵対者を倒すことなく実現される調和。これを観ることは、それに相当することではないかと思った。

神社でよくとなえられている祓詞に「もろもろのまがごと、つみ、けがれ、あらんをば、はらえたまいきよめたまえともうすことを、きこしめせと、かしこみかしこみもうす」という言葉がある。罪や穢れが一時的に現れても、それを祓い清めてくださいというのが祈りであるとすれば、闇の女王の出現と、その女王自身のスリーハーツを信じることによって、闇が祓い清められるというのと、同じことではないか。そのような、物語を観せられることによって、実際に観る側の心もまた、祓い清められる、という効果があるのではないか。そんなことを思った。

以前にも書いたが(ミラクルギフトパレード論)、女王にもスリーハーツがあるという言明は、誰にでも仏性がある(山川草木悉有仏性)という、如来蔵思想の影響がみられる。自分と他人はつながっているという認識(自他非分離)も、禅のあたりから来ている認識だが、そうであるからこそ、信じればそれが現れて来るということも起こり得る。ミラギフは、そんな大事なことを教えてくれている。

ものすごく、宗教的に深い物語が詰め込まれているからこそ、知らない間にその深みの認識を得ることになり、心が清められる、ということが起きる。

こんなことを、ミラギフを見終わった後に、考えたりしていた。

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