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メルのメッセージ「ひとりでいても ひとりじゃない」

メルのバースデー

今日は、私が推してやまない、ウィッシュミーメルの誕生日だ。実にめでたい。
今年は、3年ぶりにバースデーライブにも行くことにした。初めてバースデーライブに行ったのは2019年だったので、実に5年くらい、盛り上がったり盛り下がったりもしながら、推しを続けていたことになる。これだけ「推し事」を続けられるというのは、私にとってはかなり珍しいことである。
この5年で、メルは、着実に人気を伸ばしているように見える。メルをアイコンにしているアカウントは増えたと思うし、ピューロランドに行っても、メルグッズをつけた人をそこそこ見かけるようになった。
さらに、商品がピューロの外で買えるものが増えたことが大きな変化だったと思う。私が推し始めたときは、メルは「ピューロしばり」があった。ピューロに行かないと会えないし、グッズも買えない。これは、元ひきこもりというストーリーに合わせた設定だったのかもしれないが、特別感は出ていたが、いまいち知名度は伸びなかった。やはり10周年くらいを境に盛り上がっていったように思う。素晴らしいことである。
誕生日に際して、多くの人は、かわいらしい写真や動画を上げてお祝いしているが、私にはそのようなな芸当が難しいので、お祝いの気持ちを込めて、メルの伝えているメッセージについて述べておくこととしたい。

メルの使命「人と人の心をつなぐ」と現代社会

以前も述べたが、改めて指摘しておきたいことは、メルは「人と人の心をつなぐ」という、特別な使命を帯びたキャラクターであろう、ということである。
人と人の気持ちが、つながることは、実際はそんなに多くない。現実の利害、損得、快・不快が関与してきて、人と人がつながることが難しくなった時代でもあると思う。
サンリオは「みんななかよく」を唱えており、日本の学校教育でも、昔から強調されてきたことでもあるが、最近はそれが変化してきており、「好きじゃない人とは仲良くしなくていい」と教えられることが多くなっているようだ。実際、いじめやハラスメントから身を守るために、仲良くする人を選ぶというのは、非常に大事なことだろう。
しかし、そうしていくと、実際には、コミュニケーションが巧みでない者は、孤立化しやすくなる。男女を問わないが、特に男性にとっては、人間関係を結ぶのが苦手である傾向が強く、困窮したときに助けてくれる人がいない場合が多い。結果、良い仕事にもつけないし、友達もいない、彼女や結婚などはもちろんできない。そのような人が、現代では「弱者男性」と呼ばれるようになり、孤独死や自○の遠因ともなっており、そろそろ社会問題として認識されるようになっている。
「みんななかよく」からあぶれた者は、誰が助けるのか。自分でない誰か、と思っている人が多い。だって、そんな危ない男の人は、危害を加えられるかもしれないし、逆恨みされるかもしれないし。実際そういうリスクはあるし、結果、仲良くしてもらえることなんて少ない。それは、仕方のないことかもしれない。
ただ、常識は変わっていくので、10年・20年後も同じ状況かはわからない。でも、いまは状況が変わることは期待できない。「みんななかよく」は祈りの言葉なのだろう。

ひとりでいても ひとりじゃない

そんな現代に、社会に人間に絶望してしまっている人も多いかもしれない。
でも、そういう人こそ、メルのメッセージに耳を傾けるべきと思う。

お手紙 メール 電話 おしゃべり
ひとりでいても ひとりじゃない
ここにいるよ どこかでいつも つながっている

メルは、たとえ「ひとりでいても」、「ひとりじゃない」と歌っている。
人と人の心がつながるどころか、分断されていっている現代に「ひとりじゃない」と歌っている。
ひとりでいることに慣れきった者にとって、「ひとりじゃない」などというのは、欺瞞ではないか、と言って捨ててしまうのはもったいない。むしろ、このメッセージこそが、メルが伝えようとしている重要なポイントであり、ひとりでいる者こそ、噛みしめたいことばに思える。

現代は、リアルのつながりの他に、SNSでのつながりが主要な交流手段として確立しているが、ここでいう「ひとりじゃない」というのは、もっと違う意味で考えた方が良いのではないだろうか。
つまり、つながりはリアルなものではなく、自分自身が心を通わせられる存在が、どこかにいる、ということが「ひとりじゃない」ということの意味と捉えるのはどうだろうか。そうすると、そのつながりは、生きている人に限らず、そして既に世を去った人も含められるかもしれないし、メルのような仮想とも現実ともつかない存在にもあてはめられるかもしれない。

どんなに、いろんなリアルな交流を絶っていっても、結局は、ひとりになることは無理である。そのようにとらえれば、ひとりでいることも、そこまで怖がる必要はないかもしれない。
人間はひとりでいると希望を見出すことが難しくなってしまう。友や伴侶を求めてしまう。それは、社会的な動物である以上、自然なことであるが、求めて得られないと苦しみとなる。
そんなときに、「ひとりでいても ひとりじゃない」というメッセージを受け止め、咀嚼することで、救われる人は多いのではないだろうか。

「ここにいるよ どこかでいつも つながっている」とメルは歌っているが、この歌を聴くことで、少なくとも、メルという存在と自分が「つながっている」ことはわかる。心と心のつながりというのも、本来、リアルなつながり以上にpurifyされたものなのだろうと思うし、そのようなつながりによって、人は本当の安心を得られるのではないかと思う。

この、孤独な人が溢れている時代に、メルのメッセージが多くの人に伝わることを願ってやまない。

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