キッズなのはわたしだった


私は今電車の中でこの文章を書いている

突然だけど私は子どもが苦手だ

こんなこと発表してしまうと世界中から野次が飛んできそうだけどごめんなさい、苦手です。

会話ができないかんじ(当たり前)、やたらとうるさいかんじ(当たり前)、やたらと唾とか散らしたがるかんじ(本当に嫌)、周りの大人からは無条件に愛を注がれるべき者としての自覚があるかんじ(それは知らん)、理不尽なことを言っていてキッズのみんなには申し訳ないけど、苦手なんだ

あなたもそんな時代があったんだよと言われればそうなんだけど、それとこれとは話が違うんだよ。(その時代あったじゃん草で私を論破したい人はもう読むのやめときなね)


でも今私の目の前にはキッズが座っている。
まだバブバブのやつ(伝われ)を口に咥えた極小キッズだ、かろうじて単語を口にできるくらい、お茶いる?と聞かれたら「ないないない」と頭を振って自分なりに意思を伝えられるくらいの極小キッズだ。

そしてその隣には、優しい声の眼鏡おとうちゃんがいる
ノイキャンのイヤホンをしていたせいか、初めはその優しすぎる声の主はおばあちゃんかと思った、おばあちゃんが極小キッズを連れて電車に揺られどこかに行くのだと思った、それくらい優しい

キッズもおとうちゃんには安心しきっている様子だ
推定年齢の割にはかなり大人しい、癖毛も可愛い、許してやろう

キッズがおやつをせがみおとうちゃんが食べさせていた、よく分からないけどころころとした丸いやつ

それが転がり落ちた、私の足元だった

まあ優しいお姉さんしてみるかと思い、自分のティッシュでそれを拾った、優しい声の眼鏡おとうちゃんは当然感謝してゴミを預かってくれるだろうと思った、偽善者ぶったいやらしいことを考えた私が100悪かったと思う。拾ったものを飲み干したばかりの空いたスタバのカップに入れようとして"みた"、おとうちゃんは、「あ、すみません!いいですいいです!預かります!」と返してくれるだろうと思ったから。
でも返ってきた言葉は一言「あ、すみません」だけだった。あれ?ゴミの行方聞かないの?そこ気にならないの?それどころかキッズは自分が転げ落とした小さくて丸いお菓子を知らない女にティッシュで奪われたと思ったのか、私のスタバのカップを仕切りに指差している、なんだか悪いことした気分だ


生きてくうえで「人に期待しない」割り切りが作用する生きやすさを教えてくれた友達がいた、その子の言葉を思い出した、「自分が思ってるよりも他人は気にしていないことの方が多いし、そもそも自分が勝手に期待して勝手にガッカリしてるだけなんだから、その人が悪いわけではない」

私はまだまだ成長途中の愚かな人間なんだなあ、最近は前より上手く割り切って生きてきたつもりだったけど、ダサいところはまだあるみたい
成人済みだけど伸びしろがありすぎる小さな大人

まあいっか、こんなこともある
人は人だし自分は自分、このもやもやもそんな割り切りでスルーしたかった


でもできなくてここに書いている、どこまでもダサい
いいじゃんいいじゃん、もう少しだけ、許して〜〜〜〜
極小キッズと呼んだ子どもに申し訳なくなる、大きいお姉さんに見えるかもしれないけど私もまだまだ子どもなんだ!汚いとこ見せてごめんね




なんて言わないもんベーーだ!!!!!!!!!


冗談はここまでにします。人間ってこんなとこあるよねの正直すぎたお話です。リアルタイム更新、oh


それではみなさまごきげんよう🍵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?