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弱さを受け入れること


三年生のはじめにも感じたきもち。帰国後、学校や町での生活を取り戻すことができるのか、
周りの環境の変化に敏感なわたしは変化についていくことができるか。
一緒に過ごす中で周りの人が居やすい時間を過ごすことができるか。
心配で不安で喋れなくなる日、帰り道や寝る前に涙を流す数日間だった。

学校に居場所がなくて、学校の中で、自分をなるべく消していた。隠していた。
先生と前日の話をしたり、農業のこと話したり、そんな時間が楽しかった。
私の学校の先生は、生徒との距離が近い。
中学校のとき、先生と会話が楽しいなんて思ったこともなかったし、先生から
話しかけてきてくれることもなかった。
先生だけど先生じゃない。一人の大人として私と関わってくれる人。
居場所があるときも、ないときも、どんな時も好きな人。

−−–

学校で耳に入ってきてしまう言葉の数々は、私の心がどんどん削れている。
彼ら彼女らの口から出る言葉はわたしにとって、心がギュッと苦しくなる。
学校は心が苦しくなるところ、っていうのを強く感じすぎてしまう日がある。
そんな日はなるべくじぶんのことを守るために、一人の時間を作る。
疲れすぎて、喋れなくなることもあって、人と話すのが怖くなる。
人と話せなくなって声が出なくなる。
話せても相手を傷つけてしまっているのではないか、という気持ちが頭の中を
ぐるぐるして人と距離を取る事もある。

わたしの本音。心の本音。

「逃げ出したいよ。」「消えたいよ。」「いなくなりたいよ。」

−−–

愚痴も棘のある言葉も、ぐさぐさ。
人の言葉や言動に敏感で、感情移入しやすくなるわたし。
対象が自分ではなくても自分に言われているのではないか、自分もしていないかなとか、ずっとぐるぐるする。

わたしが苦手な言葉は心や体の状態によって、感じ方が全く違う。
その感じる気持ちにどう付き合っていくか、
どう付き合ってもらうか探りながら日々を過ごしていきたい。

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