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鹿児島

そこに住んだのは6年でした。
小6から高校卒業までなのでエセ鹿児島県人とか言われたりもしますが😅

引っ越しのきっかけは祖母が亡くなったことで
独り暮らしになる祖父と田畑を継がなければならなかったことでした。

そんなこんなで鹿児島に住むことになった私の
カルチャーショックだったりの思い出を。

一番は言葉の壁でした。引っ越しして間も無く電話が鳴って近くにいたので取ってみると何を話してるのか全くわからない。話の切れ間になんとか母に代わってもらえましたが受話器を持ったまま硬直した自分を思い出します。この話をしたら同級生が鹿児島弁レッスンをしてくれて1年後にはモノになり今では立派なネイティブスピーカーです(笑)

2番は五右衛門風呂。
さすがに今はもうありませんが当時は風呂場は外にあって、風呂の焚き付けは私の仕事になりました。新聞紙を丸めて杉の古くなった茶色い葉を上に乗せて火を付けるとパチパチと音を立てて燃えてきたところに細い枝からそっと置いていくと炎が大きくなってきます、そこまでくると一安心。勿論最初はすぐ消えてしまったり風呂に入るのもコツがあってうっかり背中を鉄釜につけてウワッとなったり。焚き付けを始めた頃は何本もマッチを使ったけど最終的にはマッチ1本で出来るようになりましたがそんな機会もないのでもう出来ないでしょうね。日々の積み重ねは大事です。

3番目は桜島。
高校の窓からは桜島が見えるので時々噴煙上げる様子やポン!という音を聞きながら「今日も元気に噴火しとるな」と思ったものです。
当時バイク通学だったので季節によっては灰が飛んでくるので登校したらまず洗顔で聖子ちゃんがエクボの秘密~と歌ったCMの洗顔クリームは私達の必須アイテムでした。

4番目は食べ物。
壺漬けとさつま揚げは初めて食べたときの衝撃たるや…毎日これでいい!と思ったほどです。
さつま揚げ、色々なお店があるけどやはり串木野の勘場蒲鉾のが美味しくて時々母に頼んで送ってもらってます。
そして端午の節句に欠かせないちまき、と言っても鹿児島のは灰汁巻きとも呼ばれていて餅米を竹の皮でつつんで灰汁の中で炊くのでそれ自体に味はありませんのできな粉と砂糖に少量の塩で味を付けたものをまぶして食べます。炊く時間などで固かったり柔らかだったりでその年によって違いますが今年も美味しくいただきました。
そして黒酢、画像にもあるようにずらっと並んだ甕で熟成させるのですが並ぶ様は壮観です。昨年の帰省で行った黒酢レストランからの眺めで遠くに桜島を望みます。ここでは食前酒ならぬ食前酢でもてなしてくれます。

ほんの6年住んだだけで、就職して「お客様に親しんでいただけるように」と自己PRを書かされた時には出身地に鹿児島と書くのを最後まで躊躇った事もありました、楽しい事ばかりじゃなく転校した当初は生まれた時からそこにいるクラスメートの中に入れず辛い事もあったけど過ぎてしまえば糧になったことも少なからずあったとつらつらと書き連ねながら思いました。







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