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日々の芽

今日もやっと終わった。
朝起きて、掃除して、食事を作って、娘を送り出して、仕事に行って、娘を迎えに行って、食事を作って、娘を風呂に入れて「ふ~っ」ようやく一息つく。

何か特別なことをしているわけでないのに、毎日のルーティーンだけでヘトヘトになってベッドに倒れこむ。

意識していないと、自分の一日に余白を作ることができない。けれど、私はこの余白がとても大切だと思っている。

通勤途中の空き地でいっせいに咲き始めた、たんぽぽが綺麗で、仕事中にその景色を思い返して、また幸せな気持ちになる。

お客様からの問い合わせにいつも丁寧に応えている、同じ職場の〇〇さんは、見ているだけでとても気持ちがいい。

こんな風に、日々の何気ない一コマにも、意識を向けることで自分を幸せにする小さな芽がひそんでいると気づく。気持ちに余白がないと、素通りしてしまいそうな小さな芽だ。

娘が学校からの帰宅後、いつも見せてくれる自由帳。(次にやる家事を頭で考えながら…ではなく)しっかりと娘の作品と向き合ったら、そこにも小さな芽は咲いていた。

女の子の描き方が変わっていたり、クラスの子にアンケートをとって自由帳にまとめていたり、どんどん新しいことにチャレンジしている、娘の小さな芽が見えてきた。

毎日、わき目も振らずルーティーンをこなさないと一日が終わらない。そんな方もたくさんいると思う。けれど、そんな人にこそ、意識をして心の中に余白を作ってほしい。ジェットコースターのように、あっという間に通り過ぎていく日々の中にも、今日という日に色をつけてくれる小さな芽は、そこかしこに咲いている。

あでやかな花ではなくて、小さな芽。
前ばかり向いて、一生懸命進んでいると気付かないかもしれない。時に意識して、足元を見てみると、そこには無数の小さな芽が咲いているかもしれない。

一つでもいい。そして寝る前にふと思い出すと、今日もバタバタした日だったけれど、少し良いことあったじゃないと思い返して眠ることができる。

こんな風に、見落としてしまいそうな、けれど確かにそこにあってきらきらしている。そんな日々の芽を大切にしたいと思ったのには、きっかけがあった。

娘がまだ小さかった頃の写真や動画を見たときのこと。とても小さくて、丸くて、ふわふわな娘に再会した。こんなに一生懸命話しをして、こんなに色んな表情を見せてくれていたのに、あまり記憶に残っていないことに愕然とした。

私はきっと、余白を持てていなかったんだと思う。目の前の娘ではなく、その先にある「やることリスト」を見ていたんだと気付いた。

小学生に成長した娘。今の娘とも、今しか向き合えない。小さな芽はどんどん成長して姿を変えていく。そばで毎日、その成長を見られるのは今だけだ。

「あの頃の娘は可愛かった…」なんて後から気付くのでなく、今目の前に、今だけの、ちょっと生意気で可愛い娘がいてくれることに感謝しよう。

自分の周りに咲いてくれている、小さな芽を大切にしていきたい。その小さな芽をいつくしむことで、自分の中の何かも少しずつ成長していくような気がする。

こんな日々の芽をこのnoteで綴っていきたいと思う。


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