三依の岩芝伝統工芸技術について - イジッコを始めたきっかけ -
イジッコの世界に飛び込むきっかけとなった作品(三依地区センターにて)
私が岩芝工芸(イジッコ)を知るきっかけとなったのは、とある説明会に参加した際、日光市三依地区センターに展示されていた作品を見せてもらったところから。
職員の方に「この地区に伝わる工芸品」と言われて見せてもらったのですが、そもそもどう使うのかまったくわからないこの物体に、とても驚いたことを覚えています。
しかもこの作品。目が非常に細かく、均一にしっかり精巧に編まれていて、かなりの年数経っているのにヘタれず、強度は保ったまま。なのに編んだ方はもう10年以上前に亡くなられていて、継承者もご病気で入院中、地域の方は誰も編んでいない、、、
地区センターの職員さんも「材料の草は、秋の彼岸前の10日間しか採れなくて…」とか、「編む技術も複雑でいろいろあって、この丸みがここの特徴なんだけど。編み方がわからなくて…」と、謎めくことしか言わない。
面白い匂いがプンプンするのだけれど、「資料は!資料はないの!」と聞くと、「教育委員会で撮影したDVDはあるけど…」と、けんもほろろ。
ぐぬぬ。ならば自分で調べよう…
三依地区センターの方に聞いた少ない情報を頼りに、地味にコツコツ調査を始め、師匠に出会い、そして最終的に作品まで作り上げるという…
今となっては、何故にここまでやり遂げられたのか、自分でもさっぱりわからない。
日光市指定無形文化財 中三依岩芝伝統工芸技術
さてさて三依地区センターの方より、このイジッコを作ったおじいちゃん 阿久津徳次郎氏のお名前を教えていただき、インターネットなどで調べてみると、日光市さんの方で作られた記事や動画がヒットします。
まずは岩芝工芸の初歩として、見まくっていたのがこちら。
「イジッコを伝えるじいちゃん」(日光市広報より)
https://www.city.nikko.lg.jp/material/files/group/41/nikoniko3-6.pdf
※PDFが開きます。
こちら、奥にいるご年配のおいじちゃんが徳次郎さんだそうです。
この動画は日光市の図書館などでも借りれますが、You Tubeと内容は同じようです。
この動画はもう何度も見返しているので、再生回数ほぼ私な気がする、、、(知った時の再生回数は確か200回もなかった)
ちなみにこのイジッコ。三依地区のお店やお家には、ほぼ100%飾られいて。
お店の方に話を伺うと、結構な熱量で話まくられます(苦笑)
三依地区の方にとって、イジッコは歴史であり、誇りであり、大切なもの。
編む人はいなくなれど、その気持は伝わってきました。
湯西川地区で出会ったビニール製のイジッコ
さてさて。岩芝工芸について、基本情報は得られたものの。
岩芝とはどんな草なのか。編み方はどうなのか。
復活するための具体的な情報が何一つなく、悶々としていた中、不意打ちに出会ったのがこのバッグを持っていた民宿男鹿の阿部征子(せいこ)さん。
これは本当に劇的な出会いだったといっても過言ではなく。
「ん?イジッコ?」と思った瞬間に、反射的に話しかけたのが師匠との出会いなのでした。(誰も信じてくれないけれど、一応極度の人見知り。ただし基本ヲタクなので、興味があるものには猪突猛進🐗)
その場で意気投合 → ご自宅で長話 → 無事弟子入り? となりまして。
お話を聞くと、このまま廃れていく岩芝工芸に以前から危機感を抱いており、地域の方に教えたりもしていたのですが、やはり編むのが難しく面倒で、皆やらなくなったのだそう。。。
そんな話を聞いてから、次の年に草を採り、編み方を教わり…で、大体習得するまで3年以上かかりました。
それでもまだ、あのイジッコの形にするには容易ではなく、、、まだまだ師匠の背中は遠いのです。
実は福島県三島町の生活工芸館でもお聞きましたが、シンプルながら1番難しいのが、あのイジッコの形なのです。
三依地区と湯西川地区に残る技術について
ここでちょっと細かい話になりますが、阿久津徳次郎氏に技術を教えた上三依地区の八木澤久さんは、私の師匠である阿部征子さんの父にあたります。
阿部征子さんは60年以上前に上三依地区から湯西川地区へ嫁いできました。
結婚前まではイジッコにまったく興味がなかった征子さんですが、山仕事のために近所の方からイジッコを購入しようとしたところ、あまりに高価で買えなかったそう。そこから自分で作ることを決意し、里帰りしては父の八木澤久さんから教えてもらい、徐々に自分で作るようになったそうです。
日光市山村部に残るイジッコの特徴
さてさて。県内外の状況をいろいろ調べつつ、編み方も教わっていると。ここの場所だけのデザインがあることに気づきました。
このように中央に独特な窓が開いているところと、上部が細かい紐で編み込まれているのが、日光市山村に残るイジッコの特徴だと勝手に思っています。
ちなみに福島県のイジッコは、窓ではなく、一段すべて編まれていないものが多いです。(※後日写真掲載します)つまり側面に編まれていない部分が出てきてしまいます。
なぜ「窓」をつけるのか。
師匠に言わせると、「側面をしっかり編まないと、形が保持できない。山で使うものだから強度がとにかく大事」ということで、側面は必ず編み込め!ときつく言われています(あんまり守ってないけど。。。)
でも「みっちり編むのは大変だから、適度に窓をつける」ということで、昔からこのデザインなのだそうです。
なるほど。でもこの独特のデザイン。結構好きです。
それからこの、紐の細さを実現させているのが、岩芝の強靭な繊維です。
それがこの日光市山村部に残るイジッコの特徴だと、勝手に思っています。
三依地区や湯西川地区を訪れることがありましたら、ぜひイジッコを探してみてください。そしてその編み技術の高さを見てもらいたいなって思います。
そして、思わずそれに惹かれてしまった私の気持ちがわかって。。。
くれると嬉しいですm(__)m
- ichico -
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?