日光市北部 山村に残る伝統工芸(イジッコ)について
イジッコ(岩芝工芸品)とは
日光市山村に残る伝統技術
栃木県日光市の山村。三依地区(藤原の北の方の地区)や栗山地域の湯西川温泉地区に残る、丈夫な草で編まれた背負子、今でいうリュックサックのことを言います。
方言名もいろいろあり、栗山地域でも湯西川温泉ではビク、それ以外ではヒグツ、三依地区ではイジッコ・イチコと呼ばれていますが、一般的には「イジッコ」が呼び名となっています。
昔は山仕事の際には欠かせないもので、昭和49年頃に撮影された湯西川の鉄砲隊は皆、このイジッコを背負って狩りに出かけています。
カラフルな色は、洋服を割いた布やビニール紐を編み込んだものだそうです。
余談ですが、背中に背負っている「わかん」も湯西川地区独特の形で、爪がついているのが特徴なのですよ。このわかん作りも絶滅危惧だったりします。
なぜ山仕事にイジッコなのか
イジッコ本体には、飲み物と弁当ぐらいしか入りません。が、山で見つけた山菜や鹿肉など、ありとあらゆるものを運べるポテンシャルがあります。
それはどういうことか。
「背中とイジッコの間に品物を入れて、体に固定する」って、よくわからないと思うので、古い動画をキャプったもので説明します。
このイジッコと背中の間に大量の荷物を入れ、紐で固定します。多くのものを運ぶことができるのです。大きさも問わないので、鹿など大きなものが捕れた時もイジッコがあれば、がっつり持って帰ることができたとか。
今では山用リュックサックに取って代わりましたが、山菜やキノコ採りの方々の中には、未だ愛好家がいらっしゃるようです。
現在のイジッコ
前に上げた背負子は、民芸品としての価値はありますが、現実社会において、なかなか必要とされていないのが現状。
そのため背負子タイプだけでなく、普段使い用のバッグなども作られています。こちらは民宿男鹿で不定期で販売していますが、人気なのと編むのは師匠の気分次第なので、なかなか手に入らない幻の一品となっています。
また材料の岩芝がなかなか採れないことや、編むのに時間がかかることから、最近ではビニール紐で編まれた作品も作られています。
私も最初は材料がなく、ビニール紐でしっかり編み方を覚えてから、岩芝で編むようになりました。ビニール紐で作られたと言っても、しっかり編み込むので、非常に丈夫で壊れにくく、また水で洗えるので雑に扱えるという利点があります。
私が普段使ってるのもビニール紐のものです。突然泥付きの野菜をもらっても、水で洗えるので、袋いらずで大変重宝しています。畑作業にも気軽に持っていける上に、4年経った今でもヘタれません。ビニール紐なのに恐ろしい…
日光市旧栗山村に残るイチコ(ビク)
さて、イジッコを編み始めるようになってから、地域の方に声をかけてもらう機会が増えまして…
我が家保管の自慢のイチコを見てけ!と言われたので、ここでご紹介。
祖母が作られていたものだそうです。ついでに◯十年前の岩芝もいただきました♪(^o^)
女性用なのか、こじんまりとした形が可愛らしかったです。でも小さいと言えども、担げる荷物の量はあまり変わらないそうですw
日光市日向地区にある民宿孫兵衛のまきのさんという、超パワフルおばあちゃんから見せてもらったイジッコ。御本人が編まれたものだそうです。突然の電話で呼び出され、3時間延々話をされたのは良い思い出です。まきのさんは別の地域から嫁いでこられて、この栗山村の良さを広めようと若い頃から尽力されていたそうです。この「イジッコ」も地域の方数名と一緒に、湯西川に通い習得したのだとか。
この話を聞いた翌年に亡くなられましたが、未だに記憶に残る名物おばあちゃんでした。
川俣温泉地区にある酒屋さんで見せてもらったイジッコ。猟師のおじいちゃんらしく、大きい!!のがいっぱいありました。ビニール紐と一緒に編み込んだものなど、5点以上あったかな?会津や湯西川で作ってもらったものを残していたそうです。
特徴としては、三依地区などで見られる「細かさ至上主義」なる細かさとは逆に、太いより紐に太く岩芝を編み込んでいる点でしょうか。また、実際に山仕事に使っていたとのことで、使い古されたイジッコも見せていただきましたよ。
こういう、身近な山道具という感じがほっこりします。
日光市内のイジッコ
早くに都会化してしまった都市部には、もうほとんど残っていませんが、日光市の歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館には、二宮尊徳さんの息子さんが使ったイジッコが残っています。
二宮尊徳記念館は入館料無料なので、ぜひ本物を見に行ってください。(たぶん常設展示している・・・はず?)
このイジッコは麻を使い、七宝編みという技法で編まれたものです。今で言うところのマクラメ編みと同じ編み方ですね。
何度も見に行って、とりあえず園芸用麻紐を使い、再現を試みたのが下記のもの。
日光市の歴史を語る上で欠かせない存在である二宮尊徳さん、弥太郎さん。
その2人もイジッコを使っていたなると、なんだかちょっとぐっときます。
栃木県内のイジッコ
実は栃木県内でも栃木市や鹿沼市などにもイジッコが残っており、編まれている方も数名いらっしゃるようです。
私が知っている方は、こちらの池澤さん。現在92歳ながら、息子さんと山に入ると言うから驚き。残念ながらご病気で手が動かなくなってしまい、現在はあまり作っていないそうです。
池澤さんの作品も非常に細かく、細いのが特徴。お話を伺うと、三依のイジッコを真似て作っていたとのことでした。使う材料もまったく同じで、硬いものでないと細く縒れないとのことです。面白いのは鹿沼市は麻栽培が有名なので、一部麻を使って編まれているところ。
お弟子さんも多くいらっしゃったようで、こちらでも技術が継承されているのかなと思います。(私も時々遊びに行ってます)
編み技術の歴史は、縄文時代まで遡ると言われています。
湯西川温泉には、縄文時代の遺跡 仲内遺跡(4500年~3800年前)・川戸釜八幡遺跡(3500年~2400年前)が発見されており、縄で模様をつけた土器なども多く発掘されています。
その縄で作った道具類が、今現在まで残り、近年まで使われていたというのが、このイジッコです。
そう考えると歴史が深い道具であり、長い年月、多くの人々が試行錯誤し、編まれてきたものなので、より複雑化したのは仕方ないのかなぁなんて思います。(学んでしまえば単純なものなのだけれど・・・)
というわけで、日光市のイジッコのまとめでした!
このあと材料についてや編み方について。それから三依地区と湯西川地区の技術の伝承についてもう少し詳しく記録していきたいと思います。
- ichico -
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