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コーズ・ストーリー 第一話 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門

<あらすじ>
  時は2222年の日本。
  あることがきっかけで国から医師免許を剥奪されてしまった東乃宮琉  
 乃。
  自死を決意するがひょんなことがきっかけで、いざなわれたかのように
 3333年にタイムスリップしてしまう。
  そこは残された文明と後退化した未来だった。
  そこで巻込まれる事件を解決していく中で琉乃は自身の身の回りの秘密
 を知ることになる。
  未来の国の主(あるじ)である壮馬の抱えているもの、そして琉乃の身
 に振りかかる運命は偶然か必然か。
  タイムラインの錯綜ストーリーです。



<本編>


通達
  東乃宮琉乃 医師国家資格免許剥奪 2222年12月9日
                   北山篤 厚生労働大臣命により―
 
 

 業火の如く、荒れている。いや、荒ぶる人間がいうなれば川という流れつく媒体を通して私に沸騰故の湯水のように浴びせるのだ。
 燃え盛る感情を東乃宮琉乃という対象をターゲットにして―。

〈我々の税金で生活をしている奴がこんなことを考えてやがるのか〉
〈これが国の機関で働く人間の造り出す思考とは、いやはや日本という国とは終わりだな〉
〈私たちは毎日をぎりぎりで生きているのにも関わらず、医師たる身分の者がこのような夢心地かつ破壊的なことを公言するなんて、この世は終わりよ〉

 目の前の空間に浮遊する感情の色をした言葉たちが琉乃の身体を覆い被さった。
「あっつい… 」
 それはそうだ。
 国中の民の言葉が感情をのせ、色を成し、沸騰した湯となって琉乃を狙ったのだ。
 厚生労働大臣からの命はメールにより届き、昔と違って紙媒体での発行は無くなった代わりに琉乃の左上腕の内側にその文面が刻まれた。
 時は西暦2222年のこと。
 通達どおり、東乃宮琉乃は医師国家資格免許を剥奪された。
 この者達の生きるこの時は、人と人との会話はいつでも録音され、録画され、記録に残ってしまう。
 だからこそ、発言・行動には特に注意しなくてはならないのだ。
 それは規則性ではなく、無作為に記録に残ってしまうので気をつける時もあるのだが、それを軽視してしまう時が人間とはあるもので…
 琉乃も軽率だった。
 長い期間、共に研究を行い分かち合えた友人と思っていたのだが、その友人も軽率だったのだ。
 友人との会話中に、琉乃達は無作為の対象では無かった。しかし友人が琉乃の会話を録音し、それをワールド・トーク・ネットワークに挙げたのだ。
 友人自身の発言として。
 しかし、その内容が悪かった。
 琉乃が幼い頃からの仮説を密かに研究し、それの成果が出そうなことを話したのことが発端だ。
 友人はそれが世界的に評価されるものだと高く見積もったのだろう。
 それが仇となった。
 評価されるどころか、批判され、友人は雲隠れ。その時に琉乃の実名を出し、琉乃の発言だ、と公表した。
 そして標的は琉乃となる。
 琉乃は国の機関である大学院の研究所に勤めていたので、一気に集中発火となった。
 国としても見過ごして置けないのだろう。
 国家資格を剥奪し、このような思考の持ち主は我が国とは関係ないことを諸外国にアピールしなければならない。外交のために、この国の将来のために。
 実に合理的だ。
 55度・83度・119度・189度の湯が琉乃を襲った。
「… 熱いったら」
 炎上用のドライヤーは高級路線を嗜好した方が良いのだな、と改めて思う。
 このドライヤーは炎上コメントの湯を被ったときに火傷の跡が残らないように言葉の熱を冷やし、濡れたこの身体を温め、一瞬で元どおりになる優れモノだ。
 エネルギーは炎上したコメントがそのまま源となるので、… なんともエコである。
 しかし、この高級炎上ドライヤーを使用しても左上腕に刻まれたこの文面だけはジンジンと胸に痛む。
 琉乃は右手の手のひらを目の前の空間を左から右に撫で、メモリーを呼び起こした。
 その形跡には琉乃のおとうさんとおかあさんが笑っている。
「おとうさん、おかあさん、ごめんね。わたしも天国(そっち)に行きたい… 」
 歴史を辿れば、地球は気候変動を起こしたことは記憶に新しくない。
 歴史の残るブラックマンデーでさえも人間は教訓にしたように、人間は常にその心を忘れないのだろう。
 医学の歴史さえ、北里柴三郎の破傷風菌抗毒素も血清療法の神秘も、フランスの外科医のペレが後世に残した「私が処置し、神が癒し給うた」この言葉にどれだけ救われた人間がいたことだろうか。
 琉乃が専門とした感染症の歴史も深い。
 しかしここでは割愛するとしよう。なんてったってそれが原因でこのような事態を起こしている訳なのだから。
 根が伸びすぎて土壌に居ることに飽きた木々は根に太陽の養分を取り込むように進化し、容貌が昔と様変わりしている。
 位が上がったその木々は桜を咲かしている。
 この世界に、いや、特に日本という国からは四季という概念が無くなった。
 大規模な気候変動の影響で暦の四季がなくなった。前述の研究者が受賞した頃からのこと。
 だからいまは12月というのに桜が咲いている。
「綺麗過ぎて、嫌になるわ」
 いまだに湯は琉乃を狙ってくる。
(そのうち命を狙われるのも時間の問題かもしれない)
「殺されるなら、自ら死を選ぶのみ」
 琉乃は目を光らせ、荷物をまとめた。
 姿見の前の琉乃は、琉乃であって、琉乃ではない。見た目上は。
「完璧ね」
 時代は進みに進み、スパイの変装術を一般の人間でも手に入れることは出来る。けれどそれを一般の人間が試みるということはそういない。
 金髪のウィッグと、欧米人のような凛とした鼻。瞳はカラーコンタクトでブルーアイ。 
 肌質を少し荒くすることで実現性が増すという情報も取得済み。
 鏡の前に琉乃は自身を見て、ほわっとにんまり笑う。
(現実逃避って、なんて素敵なのかしら)
 ルンタルンタとリズムを取って、大きなキャリーケースを手に持つ。
 玄関のドアノブに手をあて、そして振り返る。
「わたしの事を安全に守ってくれて、ありがとうございました。この部屋、ううん、家のことは忘れないよ。
 天国に逝っても、忘れないからね」
 一礼をして、少し涙目になったので手で拭う。
 琉乃はドアノブを引く。静かにドアを閉め、ごめんね、ありがとう。と心を撫でおろした。
 雲のモイストで造られたエレベーターに乗る。空気の膜で一体は覆われ、私は右の手のひらを目の前の空間を左から右に撫で、階の選択をした。
「1階、と… 」
 このエレベーターの特徴は下へと降りるときにモイスト感を感じ、上昇する時はドライ感を感じることが出来ることだ。
 空気の膜が琉乃全体に被さった。
 目的地に着いた合図だ。
 マンションの入口をひょこっと覗く。
「いるいる… 」
 AIの記者、報道陣が集まっている。
 ハンチングを被ったAIもいれば、身体の一部が記録に残せるようにあしらわれたAIもいる。
 琉乃は右手の人差し指と親指を鳴らす練習をした。
「よし、行くか。… わたしは女優、わたしは女優… 」
 そう言い聞かせ、マンションの建物の外へと正面から堂々と出た。
 予想通り記者も報道陣も琉乃に寄ってくる。

《こちらに居住している東乃宮琉乃氏はご存じでしょうか? 最近姿を見ませんでしたか?》
《東乃宮琉乃氏の言動について、同じマンションの居住者としてどう思われますか?》

 ハンチングを被ったAIが琉乃の顔をみて解析を始めている。
 琉乃は人差し指と親指を気付かれないよに鳴らした。
「Sorry,I don’t know」
 指から喉に伝い英語ボイスが口から出る。

《日本人種ではないのでは、分からないのだろう》
《ああ、次の居住者を狙うとしよう》

 琉乃は颯爽と歩き、人種移動フィートへ向かって手を挙げた。
「Hey! Taxi!」

 電池自動車が琉乃の前に停まる。

 (ふふん、余裕ね。きみ達、甘いよ)

 琉乃が電池自動車に乗り込んだ、その時だった。ハンチングAIが叫ぶ。

《奴だ! 東乃宮琉乃氏本人だ! 私の解析推理が外れることはない! 》

 AI記者たちがわっと沸き立つ。そして琉乃の方へ向かって走ってきた。
「急いで! 出して‼ 」

《どちらへですか? 》
 電池自動車もAI搭載なのだ。
「とりあえず、西の方角へ! 」
《かしこまりました》

 AI記者の手が迫る、その瞬間に電池自動車の扉が閉まった。
《くそ!》

 電池自動車が発進した。
《危ないので、よく掴まっていてください》
「え? 」
 琉乃を乗せた電池自動車は駿足で西へと飛び出した。
「ひぇー‼ 」
 琉乃の安定的な座位は補償されずに、重力と戦う。

《お客様は急ぐ、出す、西へ、のキーワードをおっしゃいました。私は仕事をしているまででございます。クレームは遠慮させて頂きます》

 横目でみるとAI記者たちが琉乃を追ってきている。
「貴方は良い仕事をしているわ。自信を持って! 」
《お褒め頂き光栄です。私、もっと良い仕事をしたいです》

 電池自動車は更に倍の速さを出した。
 対向車を一瞬で避け、前を走る電池自動車を華麗に追い越す。
 AI記者も負けていない。

 宙に浮かぶ筒のトンネルに入った。自然と速さが落ち着きを取り戻す。
 トンネル内をスピードを出すのは危険行為だということを搭載AIも認識している。

 それはAI記者の乗車する電池自動車も同様だった。
 琉乃は座位を取り戻した。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
《なんでしょう? 》
 もうすぐトンネルが開ける。トンネルは、過去から未来へと繋ぐ橋だ。
 ほら、目が眩い。
《なんだ? どこに行った? 》

 AI記者が電池自動車の中で前方を見失う。その乗る電池自動車に搭載されたAIが困惑する。
《目的を失いました。ダウンします》
《ま、待ってくれ! 》
《… ダウンします》
 風が去り行く音にすれ違う電池自動車に搭載されたAIは、そういうものだ、と認識するに至っているようだ。

「OKよ。貴方、優秀ね。最高よ! 」
《お褒め頂いて嬉しゅう限りです》
「しかし、こんなにもパーフェクトに透明になれるものなのね」
《お客さまの指示・命令が適確でございました》
「このまま10kmくらい透明なままで西の方へ行けるかしら? 」
《かしこ…… ま…… り、ま…… 》
「どうしたの? 」
《ザー…… ザ・ザーーー…… 》
 耳障りなノイズ音が響く。
《…… ひ、東乃宮…… 琉、乃。標的は逃がさない、俺は完璧な仕事を…… す、る…… 》
 琉乃の頭の中が真っ青になる。
《に、…… 逃げてください…… 私のプログラムに…… 侵入者が、い、ま…… す…… 》
 タクシーの上部から重みが同時に琉乃の身体に覆う。
 透明な筈のタクシーのドアが開かれる音がした。次第に顕わになるそのAI。ハンチングのAIがハットをかぶり直しながらタクシーの中に入ってきた。
《言ったでしょう? 私の解析推理が外れることはない、と》
 琉乃は透明のままでも、このハンチングAIには理解ができている様子だった。
《造作もないことだ。このタクシーのAIのトゥースに入り込んでしまえばこっちのものだ。さあ、あなたには狩られる義務がある。人間は逃がさない。もちろん我々もだ》

《ザー…… ザ・ザーーー…… に…… 逃げて、く…… ださ…… 》

(ああ、最後にこのタクシーに乗れたことはわたしにとって幸せだった。わたしが逃げることを、このAIは…… 肯定してくれている)

 ハンチングAIの手が琉乃を掴もうと迫ってきた。
 
 琉乃は覚悟を決めた。

(ありがとう、タクシーのAIさん)
「貴方は最高よー! 素敵な仕事人に出会えたことに感謝するわー! 」
 ハンチングAIの迫るその手の中、琉乃は最後に叫んだ。
 この世の最後に、叫びたかった。そう思わんばかりに……

 その時、タクシーのプログラムが赤く文章を綴った。
《琉乃さま、座位の確保をお願い致します》
「え? 」
 タクシーは猛烈なスピードを上げて走った。
「キャー‼ 」
《っな、なんだと⁉ 》
 ハンチングAIは急激なスピードに開けっ放しだったであろうドアから転げ落ちそうになっている。
 落ちまいと必死でドアの端に掴まり、吊るされている。
《琉乃さま》
「え、ええ。了解よ」
 琉乃はスピードと重力をコントロールしながらドアへと近づく。
《き、貴様⁉ 何故だ⁉ このタクシーのAIのプログラミングは完全に支配したはずだ‼ 》
「じゃあね、バイバイ♡ 」
 琉乃はドアを勢いよく閉めた。
 ハンチングAIの叫ぶ声が遠くなっていく。
《このスピードはもう幾分か続きます》
「ねえ、どうしてハンチングAIの支配から逃れたの? 」
《琉乃さまが私に覚醒させるプログラミング式をお与えくださいました》
「わ、わたし… そんな事出来ないわよ」
《琉乃さまが私をお褒めくださいました、その言霊こそが覚醒させるプログラミング言語式でございます。こんなに嬉しいことはこの仕事に就けた誇りでございましょう》
「そう、良かったわ」

 そのまま10kmを進み、琉乃は硝子の向こうを透明なまま見続けていた。
 過行く対向電池自動車は平安にお客を乗せ、人生を運んでいる。

《もうすぐ西に10kmが完了致しますがよろしいでしょうか? 》
「そのあと、南西に3km進んでほしいの」
《かしこまりました》
「それから、もう透明の指示文字式を解くわね」
《かしこまりました》

 電池自動車と搭載AIと琉乃の姿が顕わに色と形を成していくことに温度を感じた。
「音楽流せる? 」
《ご希望はございますか? 》
「クラシック。ベートーヴェンの運命をお願い」
《かしこまりました》

 運命を耳に、全身に取込み、琉乃はまた外の景色をぼんやりと眺めている。
 気付くと、なにか妙な感じがした。
 搭載AIも気配がない。

「目的地はもうすぐかしら? 」
《… 》
「どうしたの? 」
《… 》

 再び外を眺めると、対抗電池自動車は誰もお客を乗せていない。
 琉乃はあることに気付いた。

「自動車のナンバーが全て00‐00だ… 」

 一台目、二台目、三台目、四台目… 全てだ。
 それ以降も00‐00が続いている。
 そして琉乃の前方にはずっと電池自動車が走っていない。
 それも、後方にもだ。

「どういうこと? ナンバーには個人情報が間接的に表示されているものよね? 全てが00‐00なんてこと… そもそも00‐00なんてナンバーこのご時世に存在しないはずよ? 」

 琉乃は前方を見た。すると、前方に自動車がいる。

「なんだ、いるじゃない」

 しかし琉乃は気付いた。その前方を走る自動車のナンバーは00‐01だったことに。

 タクシーは急ブレーキをかけた。
 タクシーはブレーキもかけずにそのまま吸い込まれていった。
 目の前が真っ暗になる。

「いたた… 一体なんだったのかしら」
 頭を打った。腰も打った。自動車たちは大破している。
 琉乃は重い身体を動かし、車の外にでた。琉乃の荷物も無事だった。

 AIの赤い文字式が鮮やかに綴られると、そのまま静かに消えていった。

「…… ありがとう」

 目の前には、竹林が拡がっていた。
 風に靡かれ、心に響く神聖な音がする。空気も清らかだ。
「此処よ。わたしの出生の場所… 」
 どこからともなく4096ヘルツの鐘の音が聴こえてきた。
 竹林の間から、一人の僧侶が現れた。

「お待ちしておりましたよ。もうそろそろかと… 」
「お久しぶりです。わたしのことは… メディアでご存じですよね」
「ええ。おとうさまの斗真さまも、おかあさまの妃乃さまも天国で心配していらっしゃることでしょう」
「そうよね… 」

 風が肌にあたって、痛かった。

「このような考えがあります。未来というものが既にあり、そのために現在があり、過去があるのだと」
「未来が既にあるの? 未来は創っていくものじゃないの? 」
「その説と逆説なのです。琉乃さんの未来は既にあるのです。だからこそ、いまここに現在があるのですよ。そして、過去も」

「その既に存在するわたしの未来は希望に満ちているのかしら? いまの段階では到底そうは思えないわ」
「それは、現在のみをみているからです。既に存在する未来は希望に溢れているのですよ。そこに行くのに必要な現在の闇が存在しているのでは? すべては光のみではないのです。光があって闇がある。俗説ですね」
「希望… ですか」
「琉乃さん、貴方が出生してから色々あったでしょうが総合的にみるとどうでしょう? 」
「… 幸せよ。とてもね」
「琉乃さんの運の強さは自負していることでしょう」
「ありがとう… 」

 琉乃は一礼して僧侶の瞳をみた。澄んでいる。僧侶は琉乃のことを信じている。
 琉乃は背を向けた。
 (ごめんなさい…)
 竹林の中へ進みながら、背の向こうで僧侶が心配しているのではと直感で感じる。
 歩を進めるペースが気持ち速くなる。
 僧侶の姿がみえなくなって少し経った頃、まだ靡く風が痛いことに気付いた。

 溜息をひとつ、つく。

 更に竹林を進み、そこを抜けると古びた建物があった。錆びつく看板に書かれている文字は、“東乃宮総合病院”とある。
 琉乃が継ぐ前に、廃病院となってしまった。
 溜息をふたつ、ついた。

 (さて、ここでわたしは命を絶つ)
 琉乃は荷物の中から短剣を取り出した。
 いわゆる切腹だ。
 痛みを生じるが、死までの間、出血が致死量に至る過程を眺めて死を迎えるなんて、職業上なんて素晴らしいことだろうと節に思った。
 
 風が止んだことに気付く。
 竹林の中からなにか音がする。連続音だ。
 竹林の方に戻り、音の行方を追う。
 駆け分ける竹林と、その狭間。
 そこには一面のハーブ畑と一冊の本があった。
 植物の根本に一冊の本があり、ページが捲れている。
 植物も竹の葉も揺れていない。風は止んでいるはずだった。
 琉乃が側に寄ると、そのページが開かれた。

 そのページにはみたことのない文字が書かれてあった。

 まるでこの世には存在しない、そんな文字。

 けれど、琉乃には何故か懐かしく感じた。
 読めないはずなのに、琉乃はその文字を、言葉を読み上げた。
 すると、大地が揺れ始めた。大きな揺れだ。これはいままで経験したことのない、震度15以上の揺れだ。
 (ううん、15なんて数字じゃない。20… 30… もっと?)

 空がラベンダー色になったことに琉乃は気付く。
 琉乃の目には涙が伝っていた。
 そして、本から声が聴こえる。

 懐かしい声だ。呪文のような唱和。

 琉乃の身体に流る血が踊っているようだ。
 そのまま琉乃の身体は本へと吸い込まれた。

 そしてその本はラベンダー色の空に溶け込んだような、そんな予感を琉乃は薄れていく記憶の中で感じていた。
 
 
***
 
 高床住居の一室に美しい木目のテーブルと椅子がある。そこには一人の男が座っていた。 
 スタンドを点け、本を拡げ、肘をつき、物思いに耽っている。
「どのようにしたら良いというのか… 人口を増やし、人類の発展を試みる… このままでは全滅してしまうというのか… 」
 どさ、と重い音がした。
 後ろを振り向くとそこにはいつものその男のベッドがある。
 しかし何やら埃が舞っている。
 ベッドの横にはなにやら四方の形をした大きな銀色の箱が寝そべっている。
「これはなんだ…? どこかでみたことがあるような…? 」
 ベッドの布団をめくると、そこには見知らぬ女性がいた。
「この女はなんだ? いつここに侵入したというのだ? 」
 (死んでいるのだろうか? いや、寝息をたてているから生きてはいる。
 いやに肌に艶がある。髪も綺麗だ。いや、それよりも容貌が美しい)
 その美しい女がうつろに目を覚ました。
「… ふぇ? 」
 (寝ぼけている)
「起きろ。お前何者だ? いつ俺の住居に侵入したんだ? 」
「… 侵入…? 」
 がば、と威勢よく女は起き上がった。
 (やはり美しい女だ。しかし見ない顔だ。こんな美しい女なら評判になり噂があちらこちらに飛び回ることだろうに)

「ここ、どこですか? わたし、確か大きな地震があって、いままでに経験したことのある震度15なんてものじゃなかったです。しかも空が異様な色に染まっていったわ。あれは一体? 」

「お前は俺の話を聞いていたのか? まず俺が聞いているんだ。いつここに侵入したんだ? まさかお前、俺を誘惑しに来たのか? 」
「誘惑? なにを寝ぼけたことを言っているの? 」

 そのまま自身がベッドの中にいることに気付いたその女性は、みるみる間に顔を引きつらせた。

「きゃ―‼ 貴方、わたしになにしたの? 女性をベッドに寝かすなんて、失礼極まりないわ‼ 」
「し―‼ 大きい声を出すな! いま何時だと思っている? 誤解だ‼ 俺はなにもしていない! 気付いたときにはお前は俺のベッドに寝ていたんだ! そこの銀色の箱も一緒にな! 」

 女性はその箱をみて、すべてを思い出した。
「そうだ、わたし… 」

 ドアのノック音がその家に響き渡る。

「壮馬さま、どうかなされましたか? なにやら大きな音がしたようでございますが…? 」

 壮馬と呼ばれるその男は慌ててドアの方へと向かう。ドアを開け、外へ出てドアを閉めた。

「いや、なんでもない。大石、すまない。考え事をしていてな。どうやら考えすぎてしまったようだ。心配かけたな」
「そうでしたか。夜遅くまで仕事を… ありがとうございます。ゆっくり休まれてくださいませ」
「あ、ああ。ありがとう」

 溜息をひとつついて壮馬は部屋に戻った。
 さて、この女はどうしたものやらと思い睨みつけた。
 女は既にベッドから出ていて、部屋の外を窓伝いにみていた。

「おい女、お前名はなんという? 」
「… 」
「おい! 」
「あ、ごめんなさい。えっと、わたしは東乃宮琉乃といいます。あの、ここどこですか? まるで先住民の居住地のような… 外には竪穴住居、それから掘立柱住居がある。ここは、もしかして高さからいって高床住居? しかも近代的な建物は一向に見当たらないばかりか暗いけど恐らく辺りは緑が豊かよね? 」
「お前、なにを言っている? 」
「けれど貴方の話す言語は日本語。顔も東洋系。日本人と推察してもいいのよね? 」
「さっきからなにを言っている? ここは紛れもなく日本だ」
「ここは地方なの? わたしは地方に運ばれたの? それにしても先程の来客者の様子からみるとかなり階級制度がはっきりしすぎていない? 」
「ここは日本の都だろう。なにを分かり切っていることを聞いているのだ? 」
「都? 京都のこと? 」
「日本に都道府県の概念がなくなったのは随分昔のことだろう? お前、どんな教育を受けてきたのだ? 」
「都道府県の概念がなくなった? どういうこと? 」
「千年以上前の大地震は世界を襲ったことは知っているよな? 」
「千年以上前の大地震? 世界を襲った…? 」
「お前、怪しい人間だな。 来い‼ 皆の者の前に連れ出してお前をここに手引きした者をあぶりだしてみせしめにしてやる! 」

 壮馬は琉乃の首根っこを掴み、外へ連れ出そうとする。

「え? ちょ、ちょっと待って‼ わたしにはまだ理解出来ていないことがたくさんあるのよ―‼ 」
「それはこっちの台詞だ‼ 」

 ドンドンドン‼
 ドアを強く叩く音が遠くから聞こえた。
 壮馬のドアの向こうから微かだけれどはっきりと聞こえる音と声。

「何事だ⁉ 夜更けだぞ‼ 」
「うちの子が… うちの優弥が昼間に怪我をしていたのです‼ この子ったらそれを言わずにずっと我慢していて… お願いです! うちの子に治療をしてください! このところ、ちいさな怪我でも死にゆく子どもも大人も多いではないですか! 心配なのです! 」

「… 家に戻り、自身で治療をしろ」
「そんな…⁉ お願いです! うちの子を診てください! 」
「… 何度も言わせるな! 」

 壮馬はドアの前で立ち止まり、夜兵の声とその治療を懇願する親と思われる母親の声を聞き入っていた。
 壮馬の手が震えていることに琉乃は気付いた。そして頬に伝う冷や汗にも気付く。

「どうしたの? 貴方たち、どうして治療をしてあげないの? 」
 壮馬は固まっている。身体全体が震え始めている。

 琉乃は壮馬の身体をどけ、ドアを開け外に出た。そしてその母親のもとへと駆け寄った。

「貴方の子どもはどこ? わたしが診るわ」
 壮馬が我に返り、琉乃のあとを追ってきた。
「おい、お前! 琉乃! 勝手なことをするな! 」
 夜兵が間に入る。
「壮馬さま、この者は何者です? 妙な身なりをしておりますが… 命があれば矢で射貫ますが? 」
「いや… 」
「壮馬さま? どうなされました? 」
 さっきの大石と呼ばれていた男の声だ。
「壮馬さま、この者は? 」
「その… 」
 会話の間に入る琉乃の顔は怒っている。
「ちょっと、貴方たち。そこでなにをしているの? ぼっとしてないで早くこの子を救護室へと運んで」
 三人の男たちはその妙な女に上から強く言われたことに尻込みをする。
 大石が口を開いた。
「救護室なんてものはございません」
「それじゃあどこか横になれるところか、それか座れるところでもいいわ。早く用意して」

 母親が恐る恐る声をあげた。
「わたしの家でよかったら… 」
「いえ、私たちの方で用意します。兵たちの談話室を使いましょう。いまなら昼兵も仮眠をとっていますし、使っている者はいないはずです」

 大石が指揮をとる。そして大石自らその傷を負った優弥という男の子をおぶって運んだ。

 この男の子は5才くらいだろうか。左の膝がぱっくりと割れていて血も滲んでいる。ここは一体どんな環境下なのだろう? 5才の子どもがこんなにも大きな怪我を負ってまでも声を挙げずに我慢していたなんて…。そう琉乃は考えていた。
 談話室に着くと、大石は優弥を椅子に座らせた。夜兵はそのまま警備をしてる。談話室に来たのは琉乃と壮馬、大石と優弥と母親だった。

「で? 治療道具はどこなの? 」
「… ございません」
「ない⁉ どういうことなの? 」
「壮馬さま、本当にこの者はなんなのです? 」
「いや、だからその… 」

 誰も頼りにならない。おかげで琉乃は判断がはっきりした。

「ちょっと待ってて。水だけ用意できるかしら?」
「わかりました」
「あ、おい… 」
 壮馬を振り切って琉乃は壮馬の部屋に戻った。ベッドの横に寝そべる琉乃の相棒。死ぬことを決めたときに琉乃の大好きな物たちに囲まれて死にたかった、この一式。
「あった、あった」
 キャリーケースの暗証番号をセットし、中から消毒薬とガーゼ、包帯を取り出した。
「まさかこんなところで役にたつとは… おっと、いけないいけない。治療はこれから。油断は禁物ね」
 部屋を出ようとした琉乃はひとつの写真立てに気付いた。
「女性… とても綺麗で上品な人」
 はっとして琉乃は急いで談話室へと戻った。
 その頃にはもう、大石は水を用意していた。
「ありがとう」
「いえ」
「優弥くん、これから治療始めるね。少ししみるけど、がんばれるかな? 」
 優弥は静かに頷いた。
「よし、じゃあまず水できれいにするね」
 口を一文字にしている優弥に琉乃は気付いた。
「偉いね。じゃあ次、これはちょっと我慢してもらうけど、早く治くなるためだよ」
 琉乃は消毒液をかけた。
 優弥は隣にいる母親に抱きついた。
「ごめんね、もうちょっとだから。大丈夫だよ、よし、終わった」
 琉乃は患部にガーゼをあて、包帯を巻いた。
「大丈夫? もう痛くない? 」
 優弥は力強く頷いた。
「そっか、良かった。よく頑張ったね、偉かったよ」
 琉乃は微笑んで優弥の頭を撫でた。

 その光景をみていた壮馬と大石は見惚れていた。まるで聖母が降臨したかのような、そんな光景だった。

 母親が琉乃に頭を下げた。
「ありがとうございました、先生」
「あ、いえ… わたしはなにも… 」
 大石が間に入る。
「申し訳ないが、このことは他言無用ということはお分かりでしょう。このような治療のこと、患部の様子なども口外してはなりませんよ」
 母親がはっとして、一礼する。

「お子さんにもきちんと言い聞かせてください」
 優弥の頭を手で下にさげ母親自らも改めて一礼する。
「この用紙にお子さん、患者名と、お母さん、そしてご家族ご一家全員分の名前、居住地、職業、勤務先を記入してください」
 母親は大石に言われる通りにした。
「このことがどういうことかお分かりですね? 」
 母親は難しい顔をした。
「… はい」
「よろしいでしょう。さあ、夜はもう遅い。家にお帰りなさい」
 談話室から去っていく母親はもう一度一礼した。優弥が琉乃をみて笑って手を振った。
 琉乃も笑顔で手を振って返した。
 そして大石はその間に入り込む。
「壮馬さま、事情を説明してもらいますよ? 」
 壮馬は頭をかかえている。
「わかっている。俺だってなにがなんだか… 」
 
 大石は夜兵にも口止めをし、壮馬の家へと向かった。
 ノック音と共に壮馬が眉間に皺を寄せながら大石を迎えた。家には既に琉乃もいる。大石を待っている間、壮馬は琉乃に様々な質問をしたがその答えが壮馬の想定を遥かに超えているものだったので、それだけで壮馬は疲弊していたのだ。
「なにか進展はございましたか? 」
「いや、それがさっぱり… どういう経緯があったのか、それだけでも聞きたいと言っているのだが、大きな地震が起きたとか、空の色のこととか、ちんぷんかんぷんだ… 」
 壮馬の家のこの部屋には振り子時計がある。時刻は夜の10時24分を指している。振り子の行く先に夢中になっている琉乃をみて壮馬と大石は、先程の治療時の琉乃と比較して、差異に顔を赤らめ困惑している。
 大石は咳込み、壮馬もそれに気付いた。

「琉乃さん、でしたね? 申し遅れました。私、壮馬さまの秘書をしております大石と申します」 
 琉乃は大石に気付き、自身も挨拶をする。
「東乃宮琉乃と申します」
 琉乃は壮馬を一瞥し、疑問を呈した。
「秘書って…? 」
「壮馬さまはこの日本の都の主(あるじ)でございます」
「主…? 総理大臣のようなもの? 」
「ええ。そうですね。ところで、琉乃さん、貴方一体どういったお方なのですか? 」
「わたし自身も混乱してまして… 状況把握に困っている状態なんです」
 その言葉に壮馬も大石も「それはこっちの台詞なんだが」と指摘を入れずにはいられなかった。

 殺風景な部屋に美しい木目のテーブルと椅子、ベッド。仕事部屋兼寝室。テーブルの上にあるPCに琉乃は気が付いた。
「あの、これ開いてもいいですか? 」
「いや、それは仕事で使っているから駄目だ」
 琉乃は構わず開いた。パスワード設定はしていない。
「おい、聞いているのか⁉ 」

 画面の右下に表示されている数字を確認する。そこには、こうあった。

「3333年3月26日⁉ はは、まさか… そんなはずは… 」
「なにを言っている? 今日は3月26日だぞ。西暦3333年のな」

 眩暈がした琉乃は倒れそうになる。
 それを大石が受け止めた。
「大丈夫ですか? 先程から変ですよ」
 そう言いながら大石は最初からだが、と思った。

「すみません」そう言い琉乃は立位をとる。
 壮馬はずかずかと琉乃に詰め寄る。
「おい、さっきからなんだと言うのだ。はっきり申せ! 」

 混乱状態の琉乃はアウトプットすることで状況整理をするしかなかった。

「わたし、ここに来る前、2222年12月9日に居たんです… 」
「なにを言っている? そんな馬鹿げたことが… 」
 琉乃の顔が赤らめ、涙目になっているその光景にハートを射貫かれ壮馬も大石も硬直してしまう。
「わたしだって、信じたくないです… 」
 涙を拭うその手は確かに先程、男の子を治療したあの手。その手がいま、自身の涙を拭って癒している…
 大石が咳込み、壮馬に耳打ちをする。
「壮馬さま、もしかして… 」
 なんだ? と琉乃が顔を挙げた瞬間、壮馬と大石が考え込んでいた。
「あの…? 」
 壮馬と大石は琉乃に気付き、3秒間見つめたのち、こう告げた。
「とりあえず、今夜はこの部屋を使え。俺は大石の部屋で寝る。琉乃、お前のことは一晩よく考えるとする」
 そう言うと、壮馬は颯爽と部屋を出ていき、その後を大石が追う。
「琉乃さま、もしなにか困ったことがありましたら私の部屋はここの隣でございます。なんなりとお申し付けください」
 急いでそう告げると大石も急いで部屋を出て行った。
「琉乃さま? どうしていきなり敬称になったんだろう? 」
 空を見上げると藍色の空に新月が銀色に輝いている。微かに杉の花粉も混ざっていることに気付く。
「これから、どうなっちゃうんだろう… 」

 
 大石の部屋には必要最低限の物が必要な時に必要な分だけ、きちんとある。
「まったく、お前は部屋に性格がでているぞ」
「それよりも、壮馬さま… 」
「ああ、わかっている」
「例の件通りとなりますと、琉乃さまは… 」
「… ああ、そうだな」
「壮馬さま」
「大石、俺は本当にこのような役職は向いてないらしい。本当に情けないんだ。俺は… もうこれ以上、人殺しになりたくないんだ… 」
「… 壮馬さま… 」


 
 朝陽が差し込む壮馬の部屋に琉乃はとにかく元の2222年に戻れるようにキーとなるものを探していた。つまり、現時点、3333年の状態把握に努めていた。
「パソコンはある。コンセントもある。電気は通っている。しかしこれらは蓄電池によるもの。恐らく推定1000年ぐらいは持つものじゃないかしら? 推測でしかないけれど… 」

 (文明が発達しているのにも関わらず、何故ここにいる人間たちは昔の様相なのだ?
 着衣も布をあしらった簡易的なものにしか過ぎない。お洒落なんて言葉はとうに遠い。家も弥生時代に相応しいくらいの高床式住居と竪穴式住居だ。
 しかもわたしが昨日治療をした時に言われた言葉…。 治療道具がない、ということ。 
 どういうこと? 医療は日進月歩といわれる所以。科学が一部残り、後退化しているものと混在しているということなのか?
 それから、わたしがあの竹林のハーブ畑で拾った一冊の本。あの本がすべての原因となっているように思えてならない
 読めない筈の文字をわたしは読み、そして地震が起こりラベンダー色の空が出現した。
 あれは一体なにを意味していたのだろう)

 琉乃は考え込んだ。
 開いているPC画面をもう一度一瞥する。最初に開いた時から気付いていた。インターネットが接続されていないということ。これはもはやワープロ機能の役割しか担っていないようだ。
 トントン。玄関からノック音がした。
「はい」
 大石が似合わない笑顔で挨拶をする。
「おはようございます、琉乃さま。よく眠れましたか? 」
「はあ… 」
 その隣で壮馬が難しい顔をし、琉乃と目を合わせようとしない。
 なるほど。壮馬という主がこのような不愛想な顔をしているから大石はそれを表面化しないようにこのように取り繕っているのだ。何とも出来た秘書なのだな、と琉乃は思うに至った。
「朝ご飯を用意しますので中、よろしいですか? 」
「え、ええ。もちろん… 」
「失礼いたします」
 木目の綺麗なテーブルと椅子に三人が座り、ノックがして大石が玄関先で朝食を受け取る。
 ウェイターのような男性の声が玄関先で聞こえてくる。
「大石さま、本当に三人分でよろしいんでしょうか? 」
「ああ、朝から運動をしたもんでね。多めに作ってもらってありがたい。空腹に耐えきれなかったんですよ。
 よろしい。下がって良いですよ」
 脚が一歩下がったような後ずさる音が聞こえ、それと同時に一礼をするウェイターの姿が容易に創造出来る。
「お待たせしました」
 オムレツに穀物を合わせてある朝食だった。
 琉乃はここでも情報収集をする。
 卵の生成は成している、そして穀物も。しかしこのような身分の人間の食べるものにしては質素過ぎるな。
 この身分の者がこのような朝食をとるのだから、民はそれ以上に質素なのだろう、と簡単に推測出来る。
 皿も木の器だ。漆器ではないし、上等なものとは言い難い。
 互いがオムレツを口に運び、無言が続く。
 そして最初に口を開いたのは大石だった。
「琉乃さまの今後についてなのですが… 」
 琉乃はごくり、と飲み込んだ。
「お前は元いたところへと帰れ。2222年という時代にな」
 壮馬が琉乃を睨みつけながら、そう言った。
「ということは、わたしの話、信じてくれるんですか? 」
「それとこれとは別の話だ」
「別の話って? 」

 大石が咳込む。
「琉乃さま、とりあえずなのですが… 琉乃さまの存在を他の者に知られたくありません。これは私たちの個人的な都合なのですが、非常に困るのです。ですので、できたら外出は控えるようにしてください。
 琉乃さまが一刻も早く故郷へ帰れるよう私たちも八方手を尽くしますので」
「それは、とてもありがたいことではあるのですが… パーフェクトに家の中に閉じこもるのは健康によくないです。ですので、大石さんの御意思を尊重するならば、人目も付かない時間帯などにこっそり外で散歩くらいは許可していただけませんか? 」
「まあ… それくらいなら… 」
「一歩も外に出るべきではないだろう? 」
 壮馬がじろりと大石を見ては大石は間に挟まれ悩ましそうにしている。
 可哀そうに… そう琉乃は思い、思うだけで同情などはしないのだ。
「あと、手を尽くすって何か策でもあるんですか? 」
「… それは… 」

 ドンドンドン!

「なんだ? 」
「誰でしょう? 」
 大石が玄関のドアを開けた。
「ほお… 大石が朝っぱらからいるのかのぉ」
「う、梅さま⁉ 梅さまこそ朝からどうして此処に? 」
「中に入れてくれんかの? 」
「いま、壮馬さまが朝の支度をされていますのであとででもよろしいでしょうか? 」
「年寄りの言うことは素直に聞いといて損はないぞい」
 梅は半ば強引に壮馬の家の中に入って来た。そこにいる、琉乃をみて目を大きくする。
「夜中に風たちが騒いでおったのはお前さんが原因か」
 梅は琉乃の顔を持ち、左の眉を上げ笑った。
「梅、勝手に入って来られては困る」
「お坊、わしにそんな口をきけるようになったとはお前さんも立派になったものだ」
 壮馬は頭を抱えている。
「梅さま、このお方は… 」
 大石は琉乃のことをごまかして説明しようとした。けれど梅はそれを遮る。そして梅は易をたて始めた。
「昨晩なにか妙な感じがしてな。どれ、娘さんや」
 そう言い琉乃の前で占いを始めた。
「やはり、な」
「梅さま、琉乃さまはですね… その、旅のお方でたまたまここに立ち寄っただけで… すぐにここを去る身なのですよ」
「わしにそんな言い分が通ると思うのか? 」
 大石が後ずさりをする。壮馬は琉乃に告げる。
「梅はこの都の古い占い師だ。都の危機を何度も占いで預言し、それを避けることで都が守られているのも事実だ」
「なんじゃ、その言いぐさは。年寄りはもっと大切に扱わんか。琉乃、と申したな。琉乃よ、そなたには破壊の相が出ているぞ。いや、正確に言うと破壊と再生の相じゃ」
「破壊と再生… 」
「梅さま、琉乃さまのことはどこまで… 」
「知られたくないことでもあるのかのぉ? 」
「いや… その… 」
「お前たちの考えることは大体見当はつくわい。安心せい。年寄りは野暮なことはせん」
「梅のことは信用している」
「ほお? わしも株が上がったもんじゃな」
 梅は再び琉乃の顔をくいと持ち上げた。
「あの…? 」
「ほっほっほ。お坊、良かったな」
「なにが言いたい⁉ 」
 壮馬は顔を赤らめている。
 琉乃はきょとん、としている。
 大石が間に入る。
「梅さま、お察しの通りでございます。しかし壮馬さまと話合いまして、琉乃さまを故郷へと帰れるよう努めたいのです。なにか方法は視えませんか? 」
「足掻くだけ足掻けばよいじゃろう。その先に光景があるはずじゃ」
「それはどういう…? 」
「どれ、わしはもう行くとするかのぉ」
「梅さま、琉乃さまのことは… 」
「他言無用じゃろ? お主らの考えていることくらいわかっとるわ。せいぜい足掻くとよい」

 ばたん! ドアが閉められ、壮馬と大石は頭を抱えている。

「あのぅ…? 」
「いえ、琉乃さま。なんでもありません」
「気にしないでいいことだ」
 梅の去り行く影に少し気を取られながら、琉乃は話を始めた。

「いま此処の、3333年の状況について聞きたいの」
「状況といったって… 俺たちはこれが当たり前として生活しているからな。見ての通りだ」
「AIの存在が見当たらないの。どういうこと? 」
「それですか… そうですね。琉乃さまは2222年に生きておられたお方でした」
「AIは33326年に自滅した」
「自滅⁉ どういうこと⁉ 」
「ブラックサーズディが起こったのです」
「それって1987年のブラックマンディのサーズディ版のこと? 」
「申し訳ありません。我々は3326年以前のことは知識として持ち合わせておりません」
「知識として持ち合わせていない? 」
「はい。私たちが生まれた頃には既にAIの能力は我々の頭脳として活用しておりました。
 ですので私たちは脳を使う、ということをすべてAIに… 悪く言えば依存していた、というのでしょうね。3326年にAIが自滅したと同時に我々の知識脳も破壊したと言っても過言ではないのです」
「だったら、なにか書物で知識を得ようとすればいいんじゃないの? 」
「… 」
「書物はすべて地球の為にリサイクルとして処分した。よってそのような書物は残ってはいないのだ」
「残った書物といえばあれしか… 」
「大石、口を慎め」
「申し訳ありません。琉乃さま、我々はこのようにしてAIとの付き合いをしておりました。
 それがこのような結果に繋がってしまいまして…。 もちろん、残ったものもあります。
 ガス、水道、電気、これらは先人が開発しました築年数の長い耐振性の高いものを発明してくれたお陰で生活は成り立っております。
 しかしこのように住居等に関してはAIで築年数と経年劣化のおよその年を試算はしていたのですが、AIが自滅してからはそれらの管理まで行き届かない状態になりました。住居はAIの手を使って建てていたので建築方法自体も壊滅状態でございます。
 かつての人間の手で造っていた頃の情報も全て我々人間はAIに委ねていましたので… 
 このような有様でございます」
「それで経年劣化が起きた建物ではなくてこのような高床式住居や竪穴式住居のような人の古来の方法で家を建てている… ということね。
 ところで、ここ都って言っていたけれど、東京とか、都心部はどうなっているの? 」
「都道府県の概念がなくなったと言っただろう? 日本の領土はこの都一体という小規模のようなものだ。
 それでも時々海底火山があり、少しずつ土地は増えている」
「⁉ どうして日本の領土がそんなにに少なくなっているの? 」
「千年以上前の大地震があったと我々は幼少期に聞いて育っております。それは日本のみならず世界的な大地震だったのです。世界的に壊滅状態になって生き残った人間も世界の1000万分の1になります。それから世界的に再建の動きが出てはAIの活躍が期待されました。それから7年前にAIが自滅する事態に陥ってしまった…。 恐らくAIのキャパシティがオーバーワークとなってしまったのではないか、と言われています」
「諸外国はどんな状態になっているのか把握は出来ているの? 」
「いいえ、出来ておりません。AIが壊滅してしまった以上、有効的な外国との連絡手段なないのです。遣いを何度か送らせているのですが、帰還した試しがございません」
「飛行機とか船舶、電車やリニアも壊滅しているの? 」
「ええ。それらもAIに依存状態でございましたので。1回伝書鳩が戻ってきたことがありました。外国は遣いへ行った者からです。鳩の首輪につけられた紙切れには、“神、至り”
の言葉が書かれただけでございました。その遣いも行方知らずとなっております」
「お前、医術の心得があるのか? 昨夜の手捌き、簡単なものであったが明らかに手慣れていたな」
「ええ、わたしは現場にこそ出てはいなかったけれど、医師の研究職に就いていたわ」

 免許剥奪された身だけど… と、思ったけれどそれは言葉にはしなかった。


「昨晩は特例だ。今後、あのような行為は絶対にするな」
「どういうこと…? 」
「医療資源が我々にはありません。それにAIに頼っていたので今までの医師はベースとなっている医学の心得がありません。知識的にも、道徳的にも。そのことは民は承知しています。それなのに、あなたの存在が知られたらパニックになることは容易に想像できます。
 琉乃さま、あなたはいずれここから去る身です。安易に民に喜ばせることはしないでください。民はあなたがいなくなったあともここの、なんの情報もない世界で生きていかなければなりません。残される者のことを考えてください」
 壮馬が手のひらをぎゅっと握りしめる。
 その時、琉乃は昨夜の自身の行為が安易だったものに気付かされた。治療をするのにも他人の顔色を伺わなければならない世界、ここはそういうところなのだ。
 治療をすることで心が痛むことがあるなんて… 琉乃は自分が情けなくなった。
「ごめんなさい… 」
「ご理解いただければ結構でございます、お気になさらずに。あの母親には口止めをしたので大丈夫でしょう。それよりも琉乃さま、今後のあなたの生活についてなのですが、ここの壮馬さまの家の右隣に空いている住居があります。そこは来客用に造られているものなのですが、そこをお使いください。
 この伝書鳩を授けます。この鳩を使い、私のもとへ用事をお申し付けください。ご飯は私が持って行きますので。
 それから、健康のための散歩ですが時間帯を我々で決めさせていただきます。その都度申し伝えに行きますので、それまでは家で待機していてください」
 
 案内された客室兼琉乃の仮住まいはそれなりの様相をしていた。しかも、高床式住居だった。
「2222年に比べたら風情がある、と言えばいいのね」
 キャリーケースを置き、ベッドに腰を掛ける。
「これからわたし、どうなるんだろう… 」
 天井を見ると扇の換気扇が円を描いていた。
「PC駄目だったか… 見た目通りケチね」
 PCは2222年から持ってこなかったので壮馬に懇願したのだが、3333年ではPCは壮馬の持っているこの1台のみしか現存していないとのことで、断られてしまった。
 琉乃は少しすねながら紙と墨と筆を用意してもらうことで了承した。
 綺麗な木目のテーブルと椅子はここにもある。そこに座り、一式を準備し、琉乃は腕を巻くった。
「よーし。まずはアウトプットから… 」
 刻は過ぎていく。そんなこと琉乃にはお構いなしだ。琉乃はただ、没入した。
 大石が昼食を持ってきた。トントントン、とノックをする。返事はない。
「琉乃さま? 」
 トントン… トントントン。一向に返事はない。
「琉乃さま? 失礼します」
 合鍵を使い、家に入ると琉乃は机に向かいなにかを書いている。
「琉乃さま? 」
 琉乃から返事はない。耳に入っていないのだ。

 大石は溜息をつき、玄関先に昼食を置いてそっと出て行った。
 夕刻5時半を指す。大石と壮馬は集って琉乃の部屋へと訪れた。

「昼に行ったときに大石に気付かなかった? あいつはなにをしているのだ」
「なにか集中しておられた様子ではあったので声は掛けずにそのまま玄関先に置いてきました。さすがに気付かれてはいるとは思います」

 トントントン… 
「返事がないぞ」
「まさかまだ… 」
「鍵を貸せ」

 鍵を回し、家の中に入ると玄関先には手つかずの昼食が、そこにあった。

「あいつは… 」
 荒く部屋に入る壮馬とそのあとを追う大石。
「おい、琉乃! お前なにをして… 」
 部屋の中には机に顔をうずめた琉乃が、座ったまま寝ていた。
「こいつは… まったく」
 大石が机に置いてある琉乃の書きかけの紙に気付いた。
「壮馬さま、これを… 」
「これは、医療の歴史。俺たちが失った情報だ… 」
「琉乃さまは1日中これを書いていたのですね。壮馬さま、琉乃さまは私たちが喉から欲しい情報をいかんなくお持ちのようです」
「… 大石、それ以上は言うな」
「申し訳ありません」
 壮馬は琉乃の寝顔を見る。
「お前の言う健康、とはどこにいったのだ? 」
 溜息がふたつ、重なったことに琉乃は夢心地に微かに感じていた。
 
 琉乃が目を覚ました頃、夜明けの4時過ぎだった。ベッドから起き上がった琉乃は、いつの間にベッドに入ったのか頭をめぐらした。
 朝の澄みが窓枠を浮かばせるように、としていた頃だった。それでもまだ辺りは薄暗い。
「お前の身体の睡眠活動は旺盛のようだな」
 木目の綺麗な椅子に座る、優雅なその男性。壮馬だった。
「どうして貴方がここにいるの? 」
 ぽわん、と琉乃は壮馬に聞く。壮馬は怒る。
「そうじゃないだろう。女性の部屋に男性がいるんだぞ。しかもお前いまベッドの中にいたんだから、最初に考えて言う言葉があるだろう? 」
「なんていう言葉? 」
 顔が赤くなる壮馬。
「まったく、まず疑え。俺は男だ」
「男だけれど、立場的に間違った方向へは進めない立場でしょう? 」
「それでも男は男だ」
「貴方はそういう男性なの? 軽蔑すべき男性なの? そんな人間が国の総理大臣をしているの? 」
 琉乃はいまだにぽわん、としているが言っていることはそれなりに厳しいことを言っているので壮馬はそれ以上は言えないでいる。
 壮馬はテーブルの上の紙を拡げた。
「こういうことは、するな」
「… どうして? 」
「どうしてもだ」
「答えになってないわ」
「これが外に漏れてみろ。お前がどういう立場になると思っているんだ? 」
「外に漏れなければいいんでしょう? 」
「現物がある限り、漏れる可能性はいつでもある」
「… アウトプットしないと、きついの」
「… それでもだ」
「貴方は、わたしから大切なものを奪うの? 」
 壮馬の脳内で琉乃と誰かが重なった。壮馬は頭を抱える。
「どうしたの? 」
「いや、なんでもない。俺はもう行く」
 少しふらつきながら、壮馬は琉乃の部屋をあとにした。
 琉乃の部屋から戻って20分程たった。いまでも壮馬の頭の中は琉乃の言葉、そして顔が離れない。

      貴方は、わたしから大切なものを奪うの? 

「くそっ」
 壮馬はそのまま再び琉乃の部屋へと向かった。
「俺は貴方じゃない、北山壮馬という名があるんだ」
 ドンドンドン… 
「返事がない。嫌味なやつだ」
 鍵を持ち、ドアを簡単に開くと部屋に琉乃はいなかった。
「外に行った? まさか、あれほど注意したんだ。そこまであいつも馬鹿ではないだろう」
 壮馬は家の中を探した。台所にトイレ、洗面所… 浴室の扉が少し隙間をみせていた。
 そこに琉乃はいた。入浴中だった。
 壮馬は見惚れていた。
 琉乃は、美しい身体をしていた。
 膨みのあるバストと締まったヒップ。縊れたウエスト。

 そしてそのうちに、琉乃の頬に伝う涙に気が付いた。
 そしてもうひとつ、琉乃の左の胸部に切開と縫合の跡が残っていたことに気が付き、我に返りそこからそっと出て行った。


 5時過ぎ頃、琉乃の部屋の玄関のノック音がした。琉乃はもう入浴からあがっていた。
 玄関をあけるとそこには大石がいた。
「おはようございます、琉乃さま」
「おはようございます、大石さん」
「昨日は健康の散歩に行けなかったので、今日は早朝にどうかなと思いまして… 行きますか? いまなら人の動きは少ないはずですが」
「ええ、行きますわ」
 森の中で行方のわからないさえずりが響き渡る。
「早朝の森は空気が澄んでいて気持ちが良いですね、琉乃さま」
「… そうね」
 何故だ、何故、大石が付いてきているのだ、と琉乃は半笑いをしながら心に思う。気付かれないように小さく息をついた。
「どうかされましたか? 」
「いいえ、なんでもありません」
 森を成す木々はなんとも青々しく、草花も豊かだ。蝶も活き活きとしている。蜜樹も栄養満点のよう。なにより、空気が美味しい。そんなことを感じられたのは、久しぶりだと琉乃は空をみた。
 果てを掴み切れないこの手にもどかしさを感じても、それをどうにか昇華することが出来るのが人間足る極みなのだろうな、と遠くに感じる琉乃。
「… 壮馬さまのことですが」
「… なに? 」
「壮馬さまはあの若さで国の長をしておられます。御年28歳でございますが、なんとも他人には言えないような負荷を感じておられるのです」
「そう。けれどそれは彼の背負うべきことでしょう? 他者が介入することではないわ」
「… そうですね」
「ところで貴方もその若さでその役職でしょう? 」
「私は義理でこの立場に立たせていただいている身ですので…。 壮馬さまは幼い頃に政治家である父上を亡くしました。そのあとを追うように母上も…。 梅さまはこの国の政治家お抱えの占い師で壮馬さまの乳母をされていたのです。梅さまはとても壮馬さまを可愛がっておられました。そして壮馬さまも梅さまに心を開いていました。
 壮馬さまが8年前にこの立場へといざなわれたのは梅さまによる神からの啓示を受けたからでございます」

「この国には特定の信仰する神がいるの? 」
「いえ、特定されている神が絶対的に存在するわけではありません。
 ただ目には見えない感じる神が必ず我々の心の中にいる、と信じられています。ですので、琉乃さまの存在を知られると… 」
「なるほどね。未知なる世界からの異端者の出現が悪く言えば依存へと繋がる… それを貴方たちは恐れているのね」
「おわかりいただけて、感謝致します」
「… 」
 数歩進んだところに琉乃は立ち止まった。そこには、アロエが植えられてあった。
「琉乃さま? なんでしょうか、それは? 」
 依存へと繋がる、そう言ったのはわたしだ、そう琉乃は思う。
「… なんでもないわ」
 近くのその向こうから子どもの泣き声が聞こえてきた。
「痛いよ―‼ 」
「走り回るからいけないのよ! ほら、立ちなさい」
 母親に促されてその子は立ち上がろうとするけれど、また涙してうずくまる。
 琉乃はその子に近づこうと一歩進もうとした。
「なりません、琉乃さま」
 振り向くと、大石が眉間に皺を寄せている。

 手のひらで拳を作る。

 なにもしないこと。
 
 これが、わたしの出来る、こと、と琉乃は心に滲ませる。

「しょうがないね、まったくこの子は」
 母親がその子をおぶって先へと行く。その子、女の子の手には笹の葉があった。
 残された琉乃、そして大石。
 琉乃は足元に植えられたアロエを一瞥した。
 自身のいまの身の上、そして医師免許を剥奪された時、琉乃はなにも主張すらしようとしなかった自身と重ねていた。
「一緒だね」
「え…? 」
「いえ、なんでもないわ」
 琉乃はアロエを少し拝借して、そのまま家へと戻った。

 琉乃はその日一日中家に籠っていた。

 その次の日も散歩には行かずに家に籠る。

 昼過ぎに琉乃の部屋の前を通った壮馬と大石。
「琉乃は? 」
 大石はなにも言わずに首だけ振る。
 琉乃の部屋を再び一瞥し、壮馬はそのまま仕事に戻った。

 15時頃のことだった。琉乃は外が騒がしいことに気付いた。
「なんだろう…? 」
 人だかりが出来ていたのは、保険省を管轄とする琉乃の家から少し離れた建物だった。

「医者が現れたって聞いたぞ! うちの家内が熱でうなされているんだ、早くよこせ! 」
「うちが先よ! じいちゃんが腰が痛いと言って畑作業が出来ないでいるのよ、早く医者をここに連れてきてちょうだい! 」
「幼い子供が丁寧に手当されていたじゃない! 早くつれてきて!」
「おれのうちが先だ! 」
「うちよ! 」

 そうこうしている間に壮馬と大石、そして閣僚が集まってきた。

「大石、これは…? 」
「あの優弥という子供の治療跡をだれかにみせてしまったようですね」
「これは… 一番避けたかった事態だ」
「壮馬さま、ご判断を」
「… 」
「早くしなければ、収拾がつかなくなります」
「わかっている… 」
「壮馬さま」
「… 」
「壮馬さま」

 壮馬は歯を喰いしばる。

「大石、あの一家の処刑を決定する。民の面前で執行せよ」
「かしこまりました」

 少し静かになりかけた頃、琉乃は先程の騒ぎが気になっていた。
「一体なんだったんだろう… 」

 すると、窓の外を走ってかけていく民がいた。
「おい、処刑だってよ」
「なんだってそんなことを… 」
「治療を受けた一家がみせしめに処刑されるんだとよ。治療跡を不覚にもほかの家族にみつかっちまったもんだから、それが噂で広まってこの有様よ。可哀そうになぁ」
「おい、はじまるんじゃないか? 」
「おお、行こうぜ」

「そんな… 」
 琉乃は思考を巡らせ、テーブルの上にあるアロエをみた。琉乃は想いを馳せる。思わずアロエを手に持ち、家を飛び出した。

 壮馬は民へと畏怖たる態度を示す。
「皆の者、みよ! これがこの者たちの末路だ」

 一家は十字の組まれた木に張り付けにされ、足元には藁が敷かれてある。
「お許しください! そんなつもりはなかったのです。偶然隣の家の奥さんにみつかってしまって… それ以上は隠せなかったのです」
 母親は泣きながら懇願し、優弥はきょとんとしている。父親は顔面蒼白で祖父と祖母は般若心経を唱えている。

 保険省の下の人間が小柄な倒木を手に持ち、火をつける。壮馬が目で合図し、大石が腕を使って合図する。
「放て! 」
 倒木の火が藁に移ろうとした、その時だった。

「待って! 」
「琉乃さま、ここに来てはなりません」
「… 琉乃、立場を弁えろ」

「殺さないで」
 琉乃の形相に押し倒されそうになる壮馬はその場に立つことで精一杯だった。

「言ったはずだ、お前はいずれここからいなくなる身だ。くだらない情けをかけるな」
 壮馬はもう一度大石に目で合図した。
 琉乃は大石の腕を掴んだ。そして壮馬から目を逸らさない。

「わたしが、ここで医者をする。
 ここで医療を発展させてみせるわ。
 人が殺されるのを医者のわたしが黙って見過ごすわけないでしょう」
「軽々しく言うことではない。意味を分かって言っているのか? 」
「無論よ」
「… 」

 集まった民の中に、いつかの女の子がいた。そう、いまも笹の葉を手に持っている。
「ママ、あのお姉ちゃん、なに? 」
「しっ。おだまり」
 琉乃はその女の子があの時森で怪我をしていた子だと気付く。膝がまだ少し赤くにじんでいた。
 琉乃はアロエをさっと湯にくぐらせ女の子の元へ来た。

 そして琉乃はその子に近づき、しゃがみ、優しく言う。
「痛い? 」

 女の子はこくん、と頷く。
 琉乃は患部を綺麗に水で洗い、そしてアロエのベラを患部に塗った。

「これはアロエと言ってね、アロエは万能なのよ」
「ありがとう! 」

 その時、その場にいた民たちが一斉に歓声をあげた。


                                    第一話完

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

コーズ・ストーリー 第二話 #創作大賞2024 #ファンタジー小説部門|板倉 市佳 (note.com)


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