#10とニブンノイチ 誰かの小さな歴史

こんなときこそ僕ら冷静であるべきと思う。
立ち向かう優しさを忘れないでくれ。

僕ら必ず忘れないさ。辛さすら飾りにしてやる。
本当人間ってやつは面白いけど弱い。

でもね届けるよ胸の中。ダサい姿も全部晒そう。
あなたいるこの世界守りたいと叫ぶ。
見えない明日は待たない。今もあなたの無事を祈る。
絶対距離は遠くないんだ。今も近くにあるんだ。

BISH / LETTERS


みなさん、おはこんばんにちは。
昨日も今日も明日も、いつもイチブンノイチを聞いてくださりありがとうございます。風番長とともにグレートコンジャクションによる風の時代に祝福されし番組プロデューサーのサトウが10とニブンノイチの放送後記をお送りします。まあ、他のイチブンノイチクルーも執筆するんですけどね。

このnoteが公開されるのは正月の三ヶ日を終え、幕の内も終盤に差し掛かる頃合いでしょうか。みなさんは年末年始をどのように過ごされましたか?未知の災禍が襲い、今なお収束の兆しが見えない中で、今回は外出や帰省を控えて身近な人たちと過ごした方も多いのではないでしょうか。それでもやることは変わらず、食べては寝て食べては寝てといった生活で正月太りしてしまったという声もちらほら聞こえます。けど大丈夫です、安心してください。プロは正月以外でもしっかり太ります。

嬉しいことに回を重ねるごとにリスナーのみなさんから届くお便りが増えてきており、毎回のオープニングトークだけでは全てを紹介しきれなくなってきました。こんな小さな配信でさえ、待ち望んでくれるファンがいるという事実。そんなリスナーの声をみなさんに届けたいと考えた時、MCチョウタr(ry…ヤマモト君の思いa.k.a野望もあり、イチブンノイチ 1stシーズンのボーナストラックとして今回の10とニブンノイチ回をみなさんにお届けする機会をつくることができました。みんな、もう終わったと思って油断したでしょ?ヤマモト君もやればできる子なんですよ。


さて、イチブンノイチ 1stシーズンが駆け抜けた2020年は奇しくも歴史の転換点と位置付けられるような災禍による、大きな時代のうねりが起きた一年でした。これまでうやむやにしていた様々な軋轢や齟齬が目に触れる機会も多かったように思います。某海賊漫画さながら、時代が動く瞬間をそこで生きる当事者として感じた一方で、途方もなく大きな歴史から見た私たち個々人の営みはちっぽけな存在であると、事ほど左様に突きつけるのです。しかしイチブンノイチ自体は否応にも内省せざるを得なかった途方も無い時間の中で、大袈裟かもしれませんが「人間らしさ」「人間味」とは何かを考えた末に生まれたプロジェクトでもあったわけです。

今回の10とニブンノイチで一旦の休止を迎えるわけですが、ご存じの通りこれまで多くのゲストにお越し頂きました。詩人、アーティスト、漫画家、会社員、風番長、Hairdresser、ライター、建築家、ミュージシャン、そしてYamamoto。それぞれの肩書を見るだけでもその多彩さがうかがえますが、一方で彼女・彼らはそれぞれがスペシャリストである前に一人の人間(ただしヤマモトは除く)であり、その肩書という表層の部分だけを捉えていては、“その肩書の人“としか見られなくなってはしまわないでしょうか。その内側には表層だけを見ているだけでは忘れ去られがちな、目の前の他者が生きてきた幾層にも重なった営みが本来存在するはずです。イチブンノイチはそうした分断、個々の無力さに抗うためのレジスタンスの場であり、ゲストからリスナーへのエッセイという名の手紙が届けるため、その障害となるものから守り抜くための場でもあるわけです。

ゲストはエッセイを書き上げる中で自身に向き合う。我々クルーも共同編者として対話を通じて彼女・彼らの小さな歴史を紐解き、共に言葉に紡ぎ、編纂し、産地直送でまだ見ぬリスナーの元へ届ける。エッセイを読み、聞いたリスナーはそこから滲み出るものを通じてゲストの生きてきた時間を想像する。今日までに積み上げてきた十人十色のエッセイには嘘偽りや忖度、上辺など一切ない生々しい感情が詰め込まれており、それぞれがこの世界に生きた証として残り続ける。そこから想像できる彼女・彼らの人生はどんなものでしょうか。それぞれがこの時代を生きる70億人分の1人でしかないかもしれませんが、イチブンノイチの等身大で紡がれたものだからこそ、時代という大きな歴史の括りからは見えてこない、ちっぽけな誰かの小さな歴史が垣間見れるはず。それが糧とならんことを切に願っているのです。


しばし幕間の時、またお会いできるその日まで、


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