#9 ライオンでいいのだ

こんばんはサイトウです。
にはじまるトークを重ねる事ここまで27回、期間にするとおよそ半年。
初めてこのスタッフブログ「イチブンノコト」の文章を書いていた頃の自分とは、気の持ちようというやつがたしかに違っている気がする。変わってきたというより。

こんなことを書くと、何をカッコつけやがって、と思う人もいるかもしれないけれど、この文章の中に生きている私のことくらいは、どうか圧倒的主人公でいさせて欲しい。
リスナーはみんなヤマモトくんばかりにオチをつけるから。
そんな面倒くさい人間である、ということを心の底から実感した実に不思議な半年だった。


毎日、毎日、なにかと目の前に現れる分かれ道。
そこに自分の正解を探して、選択をしなければならないという人生から、私はよく逃げ出したくなる。
その選択に迫られた分だけ、人生経験というものが積み重なり、人は歳をとって大人というやつになるのかもしれない。もしも本当にそうならば、私はもう、まぁまぁ立派な大大人だ。
しかし、そんなことで大大人になるくらいだったらと、探すことのできる選択肢に難癖をつけ、屁リクツをまくし立てる。そして、いつか役に立つという金言や、効率的な思考の数々も蹴っ飛ばしてきた。
だけども結局のところは分かれ道ばかりの現実の世界から目を背けたくなって、ラジオという世界に逃げ込んだのかもしれないと、今だから思うことができる。もちろんそれだけじゃないけれど。
現実世界に生きる自分、そして自分の世界にある現実から、遠く離れたところへ、誰も私なんぞを知らない世界へ行ってしまいたい。そう思った時に、架空のラジオ局からのせた電波と逃避行することを私は決意した。流れるように、私は逃げる、逃げる、まだ逃げる。それもまた人生。そう思いたい。


そんな私なもんで、流れ行く時間に何も得ることがなさそうな予感がするということを、人間はきっと必要とするはずだと思っている。
イチブンノイチは、そんな予感のするラジオだと思いたい。
1日の終わりに湯船に浸かって鼻をつまんで潜る。ブクブクブクブク。耳がツーン。そして静寂。そこからの10秒。あの感覚。研ぎ澄まされなくていいのだ。何も起こらない自分だけの時間。
自画自賛もよし。溺愛もよし。自分によし。
それでいいの。


人間は、人生の分かれ道に自らの選択を目印として、何か形のあるモノを残してきたのではないだろうかと考えてみる。
人間が生活をする建物、住居いうやつはその代表のように思う。
生まれた家族のもとに住み、少しずつ歳を重ねて大きくなったら寮やアパートに住んだりして。もしかしたら家族が増えて、新しく家を建てたり貸りたり。暮らしを続けていく中で、だんだんと家族が減っていく頃には、自分の家ではなくなっていったり、誰かの家に住むことになったり、そして最後にはお墓に入ってみたりして。
なので今回のゲスト、建築家である山田さんの仕事とは、選択肢の岐路にある人の想いを平面に書き起こし、目印として立体にする、記憶を記録する建物作り。そういうことなのだろうかと考えてみた。
今回はそんな山田さんに、スケールを言葉に持ち替えて頂き、人生という図面のイチブを一緒に覗かせてもらった。
だから我々もラジオの中では山田さんと同じく建築家なわけだ。気分だけでも。
我々の力不足もあり、言葉の屋台骨がぶにゃぶにゃな建物を建ててしまった気はしているけれど、チームイチブンノイチとして、山田さんの多大なるご理解とご協力のもと、無事に「メメメ」というエッセイを竣工することができた。この作業に乾杯。めでたしめでたし。
改めまして、山田さんご出演頂きありがとうございました。


そして最後に、リスナーの皆さん、イチブンノイチを聞いてくれて、たくさんのおたよりをくれて本当にありがとう。引き続きこれからもよろしくお願いしたいところです。
ものすごく光栄なことに、イチブンノイチについて、そして我々に対して、色々と質問や相談をもらうことが増えてきた。
ラジオってすんごいムズカシキュートなもんで、その場でうまく答えられなかったこと、少し文章にしてみる。
あぁ、やばい。また野暮だと怒られそうだ。
だけどもやっぱり私は野暮中の野暮なんだから。許しておくれ。
ということで番組内で頂いた、イチブンノイチの隠し味みたいなものはありますか?というおたよりに対して。ささいな約束事かもしれないけれど、実はけっこう大切にしていたことがあるので、少しだけこれを読んでくれている人にお裾分けしてみる。内緒だぞ。


お気づきの方もいるかもしれないけれど、我々のラジオには2020年の現実、今、世間、に蔓延るウイルスの名前は出てこない。
2020年の空気や記憶をしっかりと残したい。この気持ちは番組に携わるみんなが抱いている共通の想いであって、だけどそれでもやっぱり、イチブンノイチに必要のないことは徹底的に省く、省く、省き通す。これは作家きんちゃんの意地でもある。もちろん私にとっても。
だから我々はゲストの方々や、携わるみんなの理解を経て、このラジオに我々なりの放送コードを設けた。
放送コードというものは元来より法律ではないらしい。であれば、番組を観る人聞く人が、それぞれその番組に没頭したり、楽しめるようにと作られたものだと思いたいし、そうであって欲しい。
我々の放送コードもそうでありたい。
いつ聞いてもイチブンノイチは、イチブンノイチスレスレでありたいし、イチブンノイチ以上になってはならないのだ。
だから我々のラジオには、あなたにとって何か必要な情報などほとんどないのかもしれない。でも、だからこそ、聞く人それぞれの記憶のどこかには、ほんの少しだけでも何かが残ると信じていたい。
現実は乗り越えるものでもなければ、逃避するものでもなくて、死ぬまで生きるためのものなんじゃないか、と思うようになった。
だから現実に向き合わなければならないことなどない。
現実は意外と寂しがり屋だから、むしろ我々から付き合ってやってる。バカタレ。
イチブンノイチを聞いている間が、一番現実と付き合ってやってるし、ずっと現実のことをぶっ飛ばしてもいる。
だからこのラジオで我々が闘うのは、人間と同じ大きさだったらどうしよう、そんな蚊やライオンでいいのだ!ダッフンダ!


#9の後編でもお知らせしたように、イチブンノイチファーストシーズンは次週から配信がはじまる#10と、その後予定している「ニブンノイチ回」なんかをもって一旦閉店ガラガラ。いや、改装工事期間に入る。寺社仏閣の改装工事期間の切なさには負けるが、イチブンノイチも最終回間近浪漫飛行ナウ。というわけ。
ただ、シーズンワンというからには、シーズンツーもやらないと私の気が済まない。シーズンツーが終わる頃には、シーズンスリーもやっちゃうぞと思うだろう。世の中で1番強い三部作構成という摩訶不思議な力のもとに。
なので聞いてくれている皆さん、とりあえずイチブンノイチのファーストシーズンを最後までよろしくお願い申しあげます。


というわけで、スタッフのみんなとヤマモトクンには、またイチからラジオをやってくれませんかと頭を下げに、2021年のあけましておめでとうをしにいこうと思っている2020年師走の初め。

街はオアシス、クリスマスムードの冬真っ盛り。冬を真っ盛りということってあったろうか。夏の方が真っ盛りのイメージ。
しかし己の冬が真っ盛るためには、マクドナルドの寒中見舞いことグラコロと、ミスタードーナツ冬の食べる装飾品ポンデリースを買って、眺めて、しーんとした外の空気に耳を澄ませてから食べるのがいい。
それらを口にした瞬間から冬が思いのほか真っ盛る。
申し訳ないが大きな容器に詰め込まれたパーティ仕様のクリスマスフードとはあまり縁がないかもしれない。しかし、そんなことは気にする程のことじゃない。どちらも自分のためだけに包まれた包装紙をあけるあの瞬間、立ち込めるしずる感、そして手に伝わるぬくもり。間違いなく、心の冬は真っ盛るはずだ。
油断なんてしていると、口の中に自分だけの陽気なクリスマスソングのハーモニーが流れてしまう。2個ずつ食べてまた、ラジオに取り掛かる。

只今冬、真っ盛り。


イチブンノイチ サイトウ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?