政治メディアとして「真実の裁定者」を目指すツイッター?

SNSの単純なシェアでは遅れを取っているツイッターだが、政治や社会への影響力ではシェアで勝る他のメディア以上の影響力を持っているように見える。ネット世論操作に関する各種調査や各国政治家がツイッターを好んで使っている(もちろんフェイスブックの利用も多いが)ことからもわかる。

2021年6月5日New York Times(https://www.nytimes.com/2021/06/05/world/africa/nigeria-twitter-president.html)によると、ナイジェリアでツイッターが同国大統領のツイートを削除したことが発端となり、先週金曜にツイッターの使用が禁止された。ツイッター社はすぐに遺憾であり、アクセスが回復するよう努力すると土曜に発表し、ナイジェリア政府は禁止に反した者には罰が与えられるとした。しかし、実際にはVPNを使っていまだにツイッターを理由することができるため、ナイジェリアでは "Thank God for VPN " が土曜にトレンド入りした。
ナイジェリアでのSNSのシェアではフェイスブックやWhatsAppが多いが、政治的な影響力はツイッターの方が多いため、知識人や活動家、ジャーナリストの多くはツイッターを利用しているという。

SNSプラットフォームにメディアとしてコンテンツの責任を持たせようとする動きが進んでいる。それは言葉を換えると、私企業であるSNSプラットフォームが世界各国において「真実の裁定者」(https://fij.info/archives/2960)となることを意味している。SNSと既存のメディアの大きな違いのひとつは前者は利用者が能動的に参加できることだ。場合によっては世界的なムーブメントに参加したり、自らムーブメントを起こすこともできる。既存のメディアの基準でそうした人々の発言をチェックし、ツイートあるいはアカウントを削除することは言論の自由を毀損することになりかねない。
もうひとつの大きな問題はその際の基準は世界共通であるべきなのか、それとも各国ごとに定めるべきなのかということだ。前者では世界共通で守るべき価値観を提示することになり、後者の場合は各国ごとに基準が異なることによる混乱が起きることである。日本ではツイッター社のアカウント停止やツイート削除の基準に対しての疑義が以前からあったので世界共通の基準ではないように見えるが、実態はわからない。

いずれにしても非常に気になるのは民主主義的価値観をツイッター社は基準にしているように見えるのだが、世界では民主主義国よりもそうではない国の方が多いことだ(「世界でもっとも多い統治形態は民主主義の理念を掲げる独裁国家だった」https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2021/03/post-22.php)。その現実を踏まえると、世界共通の価値観を前提にするにしても、各国の事情に合わせるにしても民主主義的価値観を選ぶ根拠を明確に示さないと、理念だけ民主主義で中身は独裁主義という世界の多数派の国と同じことになる。それを目指しているなら、それは企業のあり方としてはいいのかもれないが。

本noteではサポートを受け付けております。よろしくお願いいたします。