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現代でも使える名著『クーデターの技術』を読んだ

『クーデターの技術』(クルツィオ・マラパルテ、中公文庫、2019年6月20日)を読んだ。

●本書の内容

本書はタイトル通りクーデターを成功させるための方法論と、防御するための方法論を著者の生の体験をもとにまとめたものである。

本書は90年前、スターリン、ムッソリーニ、ヒトラーの時代に書かれたもので作者はその時代に生き、実際に彼らと直接、間接に関わったことがある。そんな昔の本がいまどき役に立つのかと思うかもしれない。そういう読者のために冒頭に「解題」があり、本書の現代における意義を説明している。
そもそもクーデターの現場にいて、調べ、感じた経験をまとめた名著は少ない。こうした貴重な経験と暦的事実が著者の洞察力によってクーデターの実行と防御の方法論にまとめられている。

ただし、本書はきわめて文学的な体裁となっており、情緒的な表現に満ち、要点がチャートにまとめられていたりはしない。私は小説家ということもあって、違和感なく読めたが、たとえば現代の安全保障関係の論考や計算社会学の論文を読み慣れた人にはつらいかもしれない。

そういう人のためには「訳者あとがき」が役に立つ。あとがきの数ページに本書のポイントだけ知りたい人のための要点がまとめられている。ただし、私の考えるところでは、本書は「作品」であり、要点だけ取り出して理解したつもりになるのはあまりよくない。

・1930年代(本書執筆時)、イデオロギーとクーデターの技術分けて考えるということは非常に目新しいものだった。たとえば革命には大衆の蜂起が不可欠というのはイデオロギーに基づく発想で、少数の精鋭部隊によって首都の交通、通信、発電、行政などの要所を占拠するというのは技術に基づく発想になる。後者の発想は当時あまりなかった。今でこそ、こうした発想は当たり前になっているが、最初に明確にそれを指摘し、その防御方法も提案したのが著者だった。

・クーデターには「警察や軍の暴力を用いる方法」や「国家の中枢である交通や通信を掌握する方法」などさまざまな方法がある。

・クーデターは「政権を奪取する方法」であると同時に「政権を守る方法」でもある。「政権を守る方法」を守るための方法としてはゼネスト(当時はきわめて有効)、憲法を改正し国民と国会の自由や権利を制限することがあげられている。

・政権奪取、政権防御いずれの場合も「合法的」であることを装う。しかし、もともとクーデターは非合法なものであるため、この矛盾はつきまとう。

・自由で民主的であればあるほど、クーデターに対して脆弱である。マラパルテの次の2つの言葉が象徴的だ。

「議会制民主主義の弱点は、近代ヨーロッパの産物の中で、議会制民主主義ほど脆弱な制度は存在しないにもかかわらず、『自由は必ず勝利する』という過剰な信頼を基礎として制度設計されていることにある」

「人間の本質は一九三六年に私がリパリ島から書いたように『自由の中で自由に生きることではなく、牢獄の中でも自由に生きること』にあるのだから」

これらの洞察をロシア、ポーランド、ドイツ(カップ)、フランス、イタリア、ドイツなどの事例をもとに導き出している。

●今日的文脈での活用

著者によれば、1919年から1920年にかけてヨーロッパはいつ革命が起きてもおかしくない状況だった。そうはならなかったのは、革命をする側にも政府の側にもその能力がなかったことが理由だという。適切な技術を知っていればクーデターを起こすことも、逆に守ることも可能だったという。

読んでいて実は今の状況もこれに近いような気がした。関連して思いついたことを書き留めておく。ようするに、内乱、紛争、クーデターを招きやすい状況に向かって突き進んでいるように思える。最悪なことにマラパルテの時代のように正しく状況を認識していない政府が多いようだ。

・国内パワーバランス

私はかつて国家内のパワーバランスとして、政府、市民、非国家アクター(以前の論考では民間セクターと呼んでいた)の3つのバランスが重要と考えていた。
市民の自由と権利が肥大した状態はマラパルテが書いた「自由の中で自由に生きる」ことに当たり、自由であるがゆえに国家は攻撃可能な隙が多数でき、その一方で対抗策は自由と権利に阻まれるため脆弱になる。非国家アクターの影響力が肥大すると、政府と市民の自由度や権利は制限され(ほとんどの場合は明示的でなく)、国家や市民の便益とは関係なく非国家アクターの便益に基づいた活動が優先されるようになる。アメリカでビッグテックがゆるい規制のおかげで成長したのがよい例だ。陰謀論者や白人至上主義者が国政にも影響を与え、市民活動にも影響を与えるようになってきている。

・弱者はイデオロギーではなく、陰謀論や人種差別に向かう

本書が書かれた時代は社会主義が大流行していたが、いまはそうではない。いま、下層の弱者に流行っているのは陰謀論や白人至上主義などだ。かつての社会主義のように国を超えて広がり、不思議な連帯意識すら生んでいる。
1919年から1920年にかけてのヨーロッパほどではないにしても、世界各地でクーデター未遂事件や暴動が起きている。

・防御と攻撃について

クーデターは非正規戦であり、非正規戦は攻撃にも防御にも使える。サイバー空間では防御と攻撃はシームレスに融合できる。たとえばデジタル影響工作や監視システムがそうだ。この点は重要であり、中露を始めとする権威主義国およびその傾向を持つ民主主義国では意識されているものの、欧米にはほとんどこの考え方がない。そもそも非正規戦に関係する非国家アクターについての知見が決定的に不足している。
ACLEDによれば政治的暴力に関わる武装した非国家アクターは3,000以上存在し、反乱軍、民兵、ギャング、暴徒など多様である。これらのグループは、2022年の全武装組織活動の64%に関与し、民間人を標的とした全暴力の76%を実行している。しかし、これらの目的、範囲、手法など多くのことが明らかではなく、当然効果的な対策も難しい。

・世界的に政治的暴力は悪化している

マラパルテは1919年から1920年のヨーロッパではどこの国で革命が起きてもおかしくないと書いたが、いまの世界の一部もそのような状態に陥っている。ACLEDによれば政治的暴力は増加しており、中でも世界の46カ国が世界全体の政治的暴力の95%を占める。
これらの紛争を収めるべき国々(たいていはアメリカを中心としたグローバルノース)は紛争を正しく理解できていないことが多い。たとえばこれらの国々で紛争が起きた場合、政府と反政府組織というわかりやすい対立図式で理解されることが多いが、実際には反政府組織が関係した政治的暴力は全体の23%にすぎず、残りの77%は多様で混沌としている。
また、民主主義のナラティブで世界を理解する失敗も多い。たとえば政治的・経済的破綻から深刻な紛争が起きるというナラティブは当てはまらないことが少なくない。どちらかというと、政治的・経済的破綻から深刻な紛争が起きた国に焦点を当てているから、そのナラティブが正しく見えると言った方がよいかもしれない。実際には多様な要因で紛争は発生する。
紛争は破綻した国以外でも頻繁に発生しており、国の発展や豊かさの度合いに限定されない。紛争は中所得国で最も急速に拡大しており、同時に低所得国でも継続しているのだ。紛争のパターンは過去20年間で大きく変化しており、2022年から2023年にかけては、民主的政府の形態を持つ中所得国での暴力の拡大が顕著に見られる。政治的暴力の形態がますます多様化している。

なんだかまとまりなくなった……

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