物理学者と科学哲学者の対談『科学を語るとはどういうことか 増補版』はすごくおもしろかった

物理学者で東京大学大学院理学系研究科教授の須藤靖と、科学哲学者で京都大学大学大学院文学研究科准教授の伊勢田哲治の対談『科学を語るとはどういうことか 増補版』(河出ブックス、2021年5月21日)を読んだ。以前から読もうと思ってすっかり失念していた。

「科学者、哲学者にモノ申す」という副題からわかるように、ごたいそうな用語を並べてはいるものの進歩も成果もないように思える科学哲学の理解できないところ、納得出来ないことを問い詰めてゆく対談である。科学哲学についての手ほどきも行っていている。

物理学や科学哲学について知らない人でも、パズルや不条理が好きな人は楽しめそうな気がした。安部公房の『人間そっくり』を彷彿するほどに、ふたりの会話は噛み合わない。問題意識、言葉の使い方、前提とする「常識」、そういったものが違っていることはわかるものの、どうすれば噛み合うようになるかはわからない。

「はじめに 科学哲学と科学の埋めがたき違和感」で始まっているように、徹頭徹尾、違和感の連続である。対談しているおふたりもそうだと思うが、読者も違和感にさいなまれる。「なんでこれが伝わらない」と思うことしきりである。

おふたりの肩書きを見てわかるように、どちらも論理的にものごとを考えることが仕事といって差し支えない方々で、なおかつ教鞭を執り、書籍の著作もある。表現力や理解力に問題があるはずはないのに、どこかが食い違っている

話題は科学の歴史、科学哲学の基本、因果論、学問の目的など多岐にわたり、読んでいて飽きない

単純な事実誤認は解消されるものの、基本的な問題は残ったままで対談は終わる。

ただ、これはこういうことに興味のない人や、すっきり結論が出ていないとダメな人には向かないとは思った。あと、科学哲学についてある程度知識があった方がより楽しめると思う。たとえば、クーンのパラダイム論をかじったことがあるとか、ハリー・コリンズの専門知をかじったことあるとか。伊勢田がハリー・コリンズを引き合いに出さなかったのはちょっと不思議で、出せば立場の違いをもう少し整理できたような気もした。


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