「健全な言論プラットフォームに向けて ver2.0」読みました

「健全な言論プラットフォームに向けて ver2.0」(https://www.kgri.keio.ac.jp/docs/S0120230529.pdf)を読みました。昨今の状況についてよくまとまっていて参考になります。情報的健康にかかわる話がなければコンパクトにまとまったよい資料だと思います。
読み込んで、引用されている文献もチェックして、Ver1との比較もしようかと思いましたが、少し読んでそこまでしなくていいかなと思い直しました。
以前も書いた(https://note.com/ichi_twnovel/n/n92274237964b)けど、健康というキーワードで現在の情報空間の問題を整理、課題を抽出、対策の提言を行っている。

健康という言葉を使う必然性と、その定義がよくわからないのと、ユーザー、事業者、政府の基本原則が示されているのだけど、多くは以前から言われていることで新しいアプローチがないと進まないような気がする。
一歩間違うと「ファクトフルネス」なみになってしまう。(「ファクトフルネス」は事実の重要性を標榜する本ですが、そのほとんどは10の本能の説明に費やされており、10の本能は著者の仮説でしかありません。著者自身が脚注にそう書いているから確かです)

アテンション・エコノミーを最大かつ優先すべき問題にしているけど、World Inequality Databaseが提示している格差の拡大とそれにともなう貧困層の政治、分化からの疎外の方がより深刻のような気がする。という話をこの間ニューズウィーク日本版(https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2023/05/post-46.php)に書いたばかりだった。

偽情報やナラティブが広まる背景には国内の問題がある。その問題を解決しないで偽情報やナラティブに対策しても根本的な解決にはならない。その問題はアテンション・エコノミー以上に格差のような気がする。

そういえば前回も今回も資金提供元が書かれていなかった。参加者各人が自腹を切って合宿したり、工数かけたりしていたのだろうか? 資金提供元があれば書いた方がいいと思う。
前回、話題の成田悠輔が参加していたけど、今回はいなかった。なにかあったんだろうか?

以下は個人的なメモ
時代を超えて存在する事実ことや、科学的事実があるという前提がありそうな気もする。もちろん、過去を振り返れば必ずしもそうではない。科学は社会や政治の影響を受ける。その結果、再現性の危機を招くことになった。また、一般的に言われる「科学的」は機械論的決定論的なもの=古典力学的なもの(同じ条件下で同じことをすれば同じ結果になる)であることが多く、これはカオス理論や量子論ではそうではない。
科学的事実は時代によって変わる一方、人間の意識は直感的な理解が容易な古典力学に留まったままだ。
個人的には「多様な科学」と「多様な事実」を許容することが次の時代を拓くことになると思っているのだけど、ほとんどの人、特にアカデミアの人はそうじゃなさそうだなあと思った。

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