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不幸が慣れ親しんだ感情にならないよう、わたしは幸せになる練習をしている。


自分でも思う、効率がわるいなって。

「頑張っているつもり」と、何となく良くない"許し"を自分の中でしてしまう時がある。「わたしだって頑張っているんだから」なんて、誰も求めていなかったのに。


わたしは今飲食店で働き、そのお金で一人暮らしをしている。精神的に強くないことを20代後半になってやっと自覚したわたしにとって、今の職場、そして今の業務レベルはちょうどいい。

それと同時にここが限界だとも思っている。

気づけば店の副店長になったわたしは、毎日のように働き、周りに頼られる存在になった。ただ些細な人の感情にわたしは疲弊してしまう。最近では遅刻する従業員が多くなり、それに対して不満を持つ人が増えてきている。正直職場の空気はあまり良くない。どうにか"みんなで仲良くしたい"と思っているけれど、流石にわたしもわかっている、それが如何に難しいことか。そして、誰もそんなことを求めていないということも。


いつだって消耗する必要のないところで勝手に項垂れている自分がいた。仕事の忙しさよりも、人の機微を無意識に吸収することによってわたしの心の糸がもつれている。



「上手くはないけれど、生きている。」

朝の5時から15時あたりまで働き、家に着くのは16時だ。


そこでやっと"わたしの時間"が始まる。

300日以上noteを毎日書いていると、考えなくとも家に帰ればまずノートパソコンを開いている。書く内容が決まっていることが殆どだけれど、決まっていなくてもとにかく文章を書いた。日々18時半にわたしはnoteを更新することを決めているので、ノンストップで書き続けなければ間に合わない。

いくら体が疲れていても、いくら職場でいやな気持ちになったとしても、いくら仕事で失敗をしても、いくら不幸が襲ってきたとしても。とにかく何があっても書き続けた。そこに明確な意志なんてない。「体が勝手に動いている」という表現が近い。「今日は書きたくない」と思っていても指はキーボードを叩いていた。


ごはんも食べずに静かすぎる部屋で間接照明をつける。そこからやさしい孤独が始まっていた。自分の気持ちをひたすら書いた。殆どが哀しくて辛くて、報われなくて、叫びのような文章ばかりをわたしは書いている。面白い文章や、楽しい文章を書くことをいまだにわたしは恐れていた。

幸せを感じることを無意識に制御していたのだ。幸せが、不幸の前触れだと思った。楽しいや嬉しいという感情が怠惰な人間に与えられているものだと感じていた。それが間違っていることなどわかっている、ただそれを自分の行動に当てはめる事が出来なかった。


自分の不甲斐なさを感じると、子どもに戻りたがる。「大人になんてなれない」と呟いている。精神的に自分が強くないことを自覚するのにも、わたしは何十年と時間が掛かった。それでもうつ病だとかパニック障害だとか。そんな名前がついて、わたしは安心して当時涙を流していた。


「やっと、不幸になれた。」

安心していたのだ。
これがわたしにとっての肌触りのいい心。棘が体を突き刺すのが気持ちよかった。哀しみと体を合わせ、やっとわたしは浅い眠りにつけた。


数年前、社会で挫折し精神が完全に壊れていたときのこと。わたしは病院のベッドの上で毎日のように泣き叫んでいた。何が正解かもわからずに、泣くしかなかった、叫ぶしかなかった。体内を流れる血が全て嗚咽した。意識が朦朧としている中でも、いやになるほど覚えている。わたしは何人もの大人に体を押さえ付けてもらい「大丈夫です、大丈夫ですよ」とわたし以上に叫ばれていた。

暴れるだけ暴れた後、気を失っていて、目を開けばわたしの体はベッドに固定されていた。さっきまでの自分がなんだったかもわからなくて、本当の自分ではないと疑いたかった。そこでまた叫ぶこともなく、わたしは蛇口が壊れたかのように涙を流し続け、ベッドの上には小さな湖ができていた。


「幸せになりたいな。」

そこで今度はわたしは幸せを望む。
感情はいつも行ったり来たりした。
道がわからなくて、自分が何を求めているのかもわからなかった。景色が全て白に見えた。窓も扉もない箱の中で、箱の外を空想した。


喜怒哀楽はわたしにとって救いでもあり、毒でもあった。出来るだけ感情を外に出したくない。ただそんなことが出来るほど利口ではなかった。わたしという存在がいて、もうひとり確実に隣にいる、怪物のような心臓。


慣れ親しんできた。
わたしにとって"不幸"は居て当たり前だった。自分でそれを作り上げていたとしても、ずっと手を繋いで生きてきたのだ。そんな簡単に忘れられるわけがない。最愛の人はたったひとりしかいないのと同じように。それでも人は、時が経てばまた別の人を愛することの出来る、響きの良い欠陥だった。



散々、不幸の話をここまでした。
ここでやっと、話は巻き戻される。

わたしがここまで言葉や文章に取り憑かれてしまう理由、何があっても千切れないこの"無意識"は、きっと今までの"不幸"が作ってくれた。

わたしは不幸を望みながら幸せに目をやった。
本当は、楽しく生きたかった、本当は嬉しいと叫びたかった。些細なことでも笑顔になりたかった。小さな幸せを自分なりに大きくしたかったのだ。


「帰りたかった。」

いくら孤独であろうとも、自分の家と文章が"体"になった。病院のベッドとは、違う。「居てもいい場所」という気持ちが窓を作った、扉を作った。


箱の外が見えてくる。
少しでいい、息をするために書き続けた。

わたしにとって「家に帰る」というのは「noteを一つ書ききること」までを意味していたのかもしれない。


今日も無事、18時半に間に合った。

ここで苦しみから解放されるわけではない。
繰り返される不幸の中から、自分なりの幸せを見つける。


やっと、ごはんの時間だ。
やっと、わたしは家に帰った。

誰もいないけれど、わたしがいる。


「ただいま。」


わたしのnoteを読み終わったら、どうか「おかえり」と想っていてほしいのです。


書き続ける勇気になっています。