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「わたし、発達障害なんです」という言葉を、最も救う回答はなんだ。


普通の一日でした。

それは単に、わたしの中だけの話で。他の誰かがこの世で苦しんで"普通"を擦り減らしていることなど、わかりきっている。正しい答えにひれ伏している。反論する勇気を毎日のように隠し、目を閉じて泣いていました。


"出来た人"が、怖かったんだ。

それはわたしが出来ないことからきているのは言うまでもない。身長の低い男性と横を歩きたくないわけではない、きっと身長が低いことをコンプレックスにしている人を嘲笑っている。届かない、でも少し背伸びをすれば届きそうなんだ。けれど、足の指がいまにも潰れそう。言葉でいうほど人間は簡単じゃない。証明するのには、確かな実績と自信。それなのに言葉を並べ続けるわたしは踏み台を要求している。簡単にわたしだって取ってみせたいんだ。自分のことを選び、生き伸びたい。本当の意味で、戦うべき障害はなんだ。ずっと、その的が定まらないんだ。



職場の後輩がいる。

可愛い後輩の女の子だ。
歳は確か21か、22くらい。

わたしたちは飲食店で働いている。

わたしのことを会うたんびに彼女は笑顔で迎えてくれる。別にわたしだからではない、彼女は誰にだって優しいのだ。瑞々しい表情で、人と接している。わたしとは違う、"生きやすい"人間なのだと思った。彼女の「おはようございます」と「お疲れさま」の声色だけで身体が癒されている。

もう彼女と共に働くのも半年は経っただろうか。いままで遅刻することも欠勤することもなかった。だからこそその日は珍しいと思った。


先日彼女が二日続けて急に休みを取ったのだ。それも事前にではなく、急に。


彼女が出勤する10分前、店に電話が来た。

「いちとせさん、ごめんなさい。急に吐き気が止まらなくなってしまって…今日休むことは可能ですか…?」

声は少し、弱々しかった。
いつもの彼女の明るさはない。
もっと早く連絡がほしいとは正直思った。勘繰るように言えば、急に体調が悪いことを訴えてくる子は仮病であることが多い。ただそれも、どうしようもないこともわかっている。苦しい声を出している人間に、無理してでも来いとは言えない。

わたしは彼女に無理をしないで休むよう伝えた。そして結局は数時間後にまた電話が来て、次の日も出勤だった彼女は「体調が回復する気がしない」と自身で口にしていた。わたしと相談した上で、二日続けて休むことになった。

店のシフトはどうとでもなった。
勿論店はその分忙しかったけれど、人がひとり休んでもこの世はなんとかなるように出来ている。



そしてそれから数日が経ち、わたしは彼女と久しぶりに会った。


「いちとせさん、この前はすみませんでした…」

彼女はそう口にした。
気にする必要はない。
ただ体調が悪くなった原因だけが気になっていた。特別その瞬間では聞かなかった。徐々に冷えていく季節だ。体調のひとつやふたつ崩しても、普通だろう。そう思っていた。

特に彼女を気にすることもなく、わたしは休憩中 店の事務所に本社の人が来ていたので楽しくふたりで会話をしていた。

すると、小さく事務所の扉を叩く音がした。


「いちとせさん…いま大丈夫ですか…?」

さっき話していた彼女だった。
本社の人も明るい人だったので「どうした〜?」と変わらず楽しそうにしている。

すると彼女はわかりやすくわたしたちの前で唾を飲み込み、涙腺を踊らせながら話を始めてくれた。

「あの、あの…この前休んでしまった、と、思うんですけど。わたし、実はこの前病院で発達障害だって診断されて、その…ADHDだったんです。だから、だからわたし…これから迷惑かけてしまうかもしれません。言うか迷ったんですけど、でもごめんなさい…いちとせさんは副店長だし、言っておいた方がいいと思って…すみません、でも、頑張ります。ごめんなさい…」


わたしはその時、目を瞑ってしまった。
過去のわたしそっくりだったからだ。

彼女の姿を見て、わたしは言うか迷った。

「そうか、わかるよ。辛いよね。」

そう言ってしまおうかと思った。そしてわたし自身も過去にパニック障害であることを会社の上司、先輩、同僚に告白したことがある。その時の相手と同じ表情をきっとわたしもしていたと思う。

何も、言えないのだ。けれど当時少しだけ見えてしまった、想像してしまった。「甘えるなよ」という声が聞こえたのだ。誰かが言ったわけでもない。けれど胸に刺さっていた。


わたしは今、立場が変わった。
告白される側になった。そして告白した側の記憶が甦ってくる。

ああ、わたしはどんな表情をするのが正解なんだと。考えれば考えるほど、その時、間を埋めようと必死になった。


そしてわたしが出した、その時の回答は、

「そうか、話してくれてありがとう。〇〇さんが頑張っているのをわたしは知っているから大丈夫だよ。気にすることはない。」


何様なんだ、わたしは。
そう仕事の帰り道、嘆いた。

「知っているから大丈夫。」

何を言っているんだわたしは。
彼女の戦っている姿を一瞬たりとも想像したことがなかったのに。何故なら彼女をわたしは"生きやすい側"の人間だと思っていたからだ。



全部、彼女の嘘かもしれない。
誰も証明出来ないからだ。

鬱病も、パニック障害も。発達障害の中の、ADHDも。

けれど病院に行けば言われてしまうのだ。

「あなたは発達障害です。」
「あなたはパニック障害です。」と。

わたしは彼女が嘘をついているとは思わない。彼女が話をしていた時、涙がいまにも溢れそうだったから。身体が震えていたから。でもそれも、証明出来ない。わたしみたいな人間がいつか意味のわからない高額な壷を買ってしまったりするのだろう。もう、信じる理由なんてひとつしかない。"わたしもそうだったから"なんだ。

甘やかしてほしいわけではない。
ただ、結果的に甘やかすしかないこともわたしは知っている。知った気になっている。

当時会社に馴染めず、通勤電車で泣いていた日々。わたしはもう、何から手をつけていいかわからなかったのだ。ただ、会社を辞める勇気がなかった。お金がなくなり、生活が出来ない恐怖があったからだ。それも全てあとからどうとでもなること、そして今のわたしはこうして生きれていること。それをその時簡単に想像など出来ないのだ。辞めたら終わり。物事を判断する能力を失い、会社を辞めたら人生が終わりだと思うのだ。


そこで涙を堪えながら言った。

「わたし、パニック障害なんです。」


わたしはどうしてほしかったのか。
周りに何を求めていたのか。
障害の真の怖さを知ったようだった。障害のある人間だと他者に定められ、症状が出た時の苦しみも当然大きい。ただそれよりももっと深い。障害を授かった時点で、誰かに嘆くしか選択肢が思いつかなくなってしまうのだ。


彼女の告白を受けて、その時隣にいた本社の人はただ黙っていた。わたしはその時、静かに見守ってくれているのだと思っていた。大人の優しさはこういうところもあるのか、と。けれどそれは少し、違った。少しなのだろうか、それもわからない。本社の人は彼女が事務所を後にした、その数分後わたしとこんな会話をした。


「いちとせさん、最近の子は大変ですね。それとさっき言ってた、えっとアルファベットの、あのSDなんとかみたいな。HDAみたいな。」

「ADHDのことですか?」

「そうそう!それってさ、なんなの?」


わたしも、同じように唾をその時わかりやすく飲み込んでしまった。そんなものなんだ、実際。わたしたちが勝手に不幸に浸かり、苦しんでいるだけ、酔っているだけのよう。馬鹿みたいだとすら思う。本社の人は何も悪くない。知ろうとしているだけ、知った気になったわたしより何倍も優れた人だと思う。

わからなかった、正解が。
ただ彼女が欲しかったのはきっと"正解"ではない。パニック障害であることを告白し、当時一番わたしが渇望していたのは、知ってもらうことだったのだろう。


共感は、時に刃物だ。

容易く「わかる」だったり「辛いよね」と口にする。それを聞いて、かえってこれなくなる人間はきっと沢山いる。

じゃあどうすればいい。
「甘えるな」なのか。
「そうなんだ」なのか。
「がんばれよ」なのか。


わたしの言葉は何も解決しなかった。棘もないから誰の心にも刺さらない。誰も傷つけないというのは、時に横着だ。

生きづらさを感じ、嘆き。そして証明されない障害を持った。だから必死に普通になろうとした。普通の一日がほしかったのだ。根本的に背を伸ばそうとするのではない。いつだって方法が"背伸び"しかなかった。力を抜けば元に戻る。むしろその疲れで背骨も曲がるかもしれない。解決にならないのだ。それでも背伸びし続けている。だから限界が来てしまう。踏み台だって言えば用意出来るし、誰かと肩車も出来る。ジャンプも出来るし、もっと言えば腕を伸ばすだけでよかったのに。


当時告白した、その中のひとりの上司に言われた。


「いいか。お前だけが辛いなんてことはない、絶対にだ。」

その言葉が耳に残っている。
誰でも思っていそうな言葉だ。けれど、この言葉を口にし、相手に伝えられる人間がどれほどいるだろう。

当時も今もわたしは思っている。自分だけが辛いなんてことはない。けれど人によって辛いと思う感覚は違う、ただそれは誰かを傷つけることにも繋がっている。自分を下にしたら、相手が気持ち良くなるとは限らないのだ。心の負荷をかけている。正常な判断がまた出来なくなったとしても、わたしはそこまでの想像を怠らないでいたい。



もっと、方法を知りたい。
そして、知るべきなのだろう。


全員の普通はない。
そして、特別もないのだろう。

障害があることが不幸せでもない。
障害がないから幸せになれるわけでもない。


相手の顔色を伺っているのではない、わたしはきっと数秒後の自分の顔色だけを想像していた。自分視点で、自己犠牲。それで人は救えない。


本当に相手を救えるのは、人を傷つける勇気のある人なのかもしれない。


撫でるだけが、優しさではないから。


書き続ける勇気になっています。