恋人にはSNSをやっていてほしくない その胸中は花束に


出来るだけ楽しく生きたいって。
卵を割ったら、二個入ってたよ。
ねえ、そんな事を誰にも話せない。
今日の雨の匂いは、甘いねとか辛いねとか。
雨でも寂しいよ、下を向いて歩くから。
どっかの映画の一幕みたいに。
わたしの日常、ポップコーンを片手に観て。
でも貴方はスマホから目を離さない。
無意味な時間にしがみつく。
でもそれ。無意味じゃない事。
わたしだったらわかってあげられるのに。

恋い焦がれる。
その日常がネットの世界に花を添える。
好きな人と話す時間は何物にも変えられないのか。貴方の片手に渦巻く、その小さな画面にわたしは一生勝てないのかもしれない。でもわたしが戦うべきはそこではない。わたしたちは現実をいつだって生きているという事、当たり前に忘れてはいけない。


自身の価値を上塗りされる


わたしはこうしてネットの世界でも生きている。
日々、職場にいない時間はここへ潜る。
noteにTwitter。
わたしにとっては無くてはならない存在。日々ここでの生きる力は惰性で生まれているわけではない。ただ自分の言葉を信じて、そして悩みながら美味しくないごはんを食べて息をしている。


" 恋人にはSNSをやっていてほしいか。"

そんな事をたまたま職場の人と話をした。ほんの一瞬、そんな会話は世の中で何度も繰り返されているだろう。


当然わたしの答えは昔から決まっている、"どっちでもいい。"

なんの解決にもならないその答えが。
でもそんな事に答えを求めている方がきっと詰まらなかったりもするのだろう。わたし自身、こうしてSNSを手放せない人間になっている。仮の言葉を使わせてもらえるのであれば、わたしは"依存"している。そしてこの話を楽しめるのはきっと"依存"している人たちなのだろう。

恋人と過ごす時間はふたりだけの時間だったりもする。それを手元の小さな画面に取られてしまう事、それは物凄く哀しい。


もっとわたしのことを見て。
もっとわたしの話を聞いて。
もっとわたしの目を見て。
もっとわたしだけを好きでいて。

もうSNSなんてやめてほしい。
でもわたしはSNSでも生きるけど。

感情と欲望が醜く混ざり合う。
SNSに依存していない人は、SNSに依存している人を蔑み。SNSに依存している人は、SNSに依存している人に寛容なのか。
それともただ恋人に依存し、許せなくなっているのか。SNSをする恋人を理解しようとする事を飛ばして、自分の居場所を失ってしまう事を怖がっているだけではないのか。


SNSという一括りでは包めない。
もっと愛の先。
"恋人にはSNSをやってほしくない"と、その表現の皮は剥がすべきものだった。

悪くないはずの印象を少しでも色の付いたものにしたい。ここでも生きているわたしだからこそ、そんな話でSNSが"駄目なもの"と思われたくなかった。

朝起きて顔を洗う、そんなことと同じだった。話を肥大化させ、向ける必要のないところに矛先をわたしたちはきっと伸ばしていたのだ。


ただふたりでの会話を、純粋にSNSに全て取られてしまっているとしたら、それは謝りたい。それだけの関係なのかもしれない。



曖昧でいて、でも愛は明瞭で。


でもSNSは可愛い。
だって卵を割ったら、二個入ってたよ。
その事、この場所がなかったら誰にも教えてあげられなかった。そんな細い糸みたいな手段が、わたしの心もあなたの心もきっと救う。


誰も求めていない事。
それを卑下するのって勿体無い。
誰しも最初は何も求めていないんだから。
言葉に表せない声をあげ、生まれる。

意味があるとか、意味がないとか。
そんな天秤を腐らせたい。
届かない感情の一端を掴む。
SNSをやっていないから素敵なの?
SNSは無駄?別にいい。
あなたの言葉。ネットから拾った言葉。
それも全部花束にしちゃいたい。
好きな人が生きているところで生きさせて。

わたし、女の子。
それって本当?
でもそんな事、どっちでもいいでしょう?

ここでも、現実でもね。


書き続ける勇気になっています。