400日間毎日エッセイを書き続けたわたしに起きた、"小さな"変化
「いいことでもあったんですか?」
彼が、わたしの生活を読んでいる。
吸い込まれそうなその瞳には、わたしにしか味わえないものがある。画用紙を貼り付けたような空。錆びたベランダから見える、新しい景色。少し背伸びをすると届く、あなたの唇と重なりたい。「今、そっちに行くから」と声を出さなくても隣にいる、わたしたちには"日常"があった。
「愛してるよ」と言うのは恥ずかしいから、他の言葉を使っている。「ありがとう」とか、「ごめんね」とか。
言葉を使わない時もある。背中を追いかけたり、歩幅を合わせたり。手を取り、繋いだ。抱き合って眠る、あなたの前髪がくすぐったい。零れていく胸にわたしは耳をあてた。聴こえてくる愛の色。わたしはやっぱり我慢ができなくて、毎日「愛してるよ」を渡す。歩幅は自然と、合うようになった。
わたしにはきっと、格好が付かない真面目なところがある。長所とか、才能とか、そんな言葉を自分に向けては言えなかった。
「気づいていますか?」
彼が、友達が、家族が、わたしのことを見つけてくれる。「これもわたしのものなんだ」と心の中で思う。それをまた誰かに繋ぐ。言葉を分け合っているみたいでその瞬間、深く内から押し上げてくるような幸福を見ていた。
◇
街に行こう、そう思った。
仕事終わりに、わたしがすることは決まっている。"わたしたち"が主人公のエッセイを書くことだ。
去年の一月にnoteを始めた。その頃のわたしには、人に言えるほどの好きなものは一つもなかったのだと思う。
初めてここで文章を書いた日、わたしはこう書いていた。
実家もない。友だちもいない。わたしは明日も普通に仕事をする。
それで十分幸せだ。文句ある?
今でも鮮明に思い出せる。わたしは疲れていた。それは、生きていくことにだ。それでも生きていく選択をし続けていた。死ぬのが怖かったからではない。やりたいことが心の中でまだ、息をしていたのだろう。
当時26歳だったわたしは、会社を辞めてアルバイトを始めていた。生活をするため、自分の日常を壊さないため。誇れるものがあったわけではない。そもそもわたしが会社を辞めた理由は、"続けられない"と思ったからだ。
大学を卒業し、わたしは社会人としての一歩を踏み出していた。あらゆるものが初めての景色だった。スーツを身に纏い、声を出し、日々を生きた。家族にも頑張る姿を見せたかった。友達にも格好いいところを見せたかった。名前も知らない誰かに見られても恥ずかしくないように生きようとした。
そんなわたしは、人の心を手に取りすぎてしまった。仕事をしていても、何をしていても。だからいつもわたしが泣く時は、大袈裟に見えていたかもしれない。
明確な何か大きな出来事があったわけではない。もっと、染み込んでいったもの。わたしは、仕事ができなかった。
初めての会社員で、"できる"方がおかしいと言う人もいるだろう。失敗をして学んで、前を向いて、たまに下を向く。進めた時、それが堪らなく嬉しくて、先輩や同期、沢山の人に支えられて人は生きていく。わたしもそうだった。そのはずだった。
続かなかった。続けられなかったわたしは、パニック障害になった。そのこともここで何度も書いてきた。突然心の中で生ぬるい風が吹く。体が割れそうなほどの動悸、汗は海に飛び込んだかのように滴る。吐き気は止まらなかった。破裂するのではないかと思うほど手足が痺れる。自分の意思で体は動かなくなり、その恐怖に襲われ続ける。「死ぬ」と思った、何度も。救急車で運ばれ、ベッドの上で涙が出るのが痛かった。病院の人がやさしい言葉と共に拭いてくれる。格好わるくて、続いていなかったのに、やめたいと思っていた。
◇
わたしは自分でも知らないところで、文章を書いて生きていた。noteを始める前から別でブログをやっていた。それを当時、"書いている"と捉えていなかった。
賢くもなかったわたしは、読まれるための一歩目をひとりでは見つけられなかった。そのブログは今でも残っている。アクセス数は毎日、一桁台だった。それでも書くことを続けていた。
わたしにとって、書くことは楽しいものではなかった。書かずにはいられなかったのだ。良いものが書ける喜びがあったわけでもない。気づいたら言葉を紡ぐ、そんな毎日を別に自分の中で取り上げていなかった。
そんなわたしが、noteに出会った。ふわりと匂いにつられた。ネットを歩いていたらたまたま見かけた、それは「街」だった。
わたしにとってそこは白紙のようで、余白のようで、無地だった。いくらでもわたしが言葉を書いて歩けそうな、温かさがあった。
書いてみよう、そう思った。今までも書いていたのに、不思議な感覚である。気持ちを書いた、それは日記のようで、"エッセイ"だった。
今まで言いたかったけれど、言えなかったこと。伝えたかったけれど、伝えきれなかったこと。零れてしまった気持ちを、もう一度見たかった。とるに足らないものも、残したかった。誰かの声を聴きたかった。自分の声を聴いてもらいたかった。友達が、ほしかった。
書いて、続けていたら届いた。
ブログをしていた頃は、変わらなかった。けれどnoteは違った。ハッシュタグや、note編集部のおすすめ。何者でもないわたしの言葉、文章でも街で流れるようなやさしい仕組みがあった。
会社員の頃の話を沢山書いてきた。パニック障害と今も一緒に生きていることを書いてきた。恋の話を書いてきた。自分の家族の話を書いてきた。友達がいない淋しさを、涙にしてきた。
それくらい、それくらいしかわたしにはなかった。十分すぎるだろうか。わたしには趣味も特技もなかった。書いてきたのはいつだって「人」のことだった。だからエッセイがわたしに合っていた。
毎日書こうと、強くどこかで決めたわけではない。去年の3月から自然と毎日書いていた自分がいた。それはきっと、まだ自分でも気づいていなかった。仲間ができていて、友達ができていた。
書いて、誰かが読んでくれたから、"スキ"が届いた。わたしの話は役に立つようなものではなかったけれど、わたしにとっての「文化」だった。格好なんて付かなくてよかったのだ。その中で見つかる笑顔や涙や、誰かの歩んだ道に背中を押され、生きる選択を無意識にしたかった。
孤独を羽織っていた。それはすぐに脱ぐことのできるものだった。わたしの両親は別居をしていた。それでもわたしのことを見てくれていた。どんなに失敗をしても、わたしの姉が側にいてくれた。わたしのことを世界で一番愛してくれる家族がいた。それはずっと、前から続いていた。やっとわたしが書いて、気づいていった。
わたしには友達がいたのに、いなかったことにしていた。パニック障害になったわたしは、自分がとても情けなかった。そんなわたしは心を隠し、想像の自分を作り上げた。素を出せない日常と生活に、あっと言う間にわたしは息が苦しくなり、学生時代の友達とは連絡を取り合わなくなる。誰とも遊びにいけない。でも、遊びたかった。街に出かけたかった。正解がわからない。また、友達に会いたい。友達と言葉で会いたかった。
書いていて、出会うことができた。書くからその分、読みに行くようになった。「今日は何をしているかな」って、スニーカーを履いて散歩に行く。色の近いあなたに会うことができた。全く違う色でも、混ざり合った。見ようとしなかっただけで、わたしの世界は広いことを知った。連絡を取れなかった学生時代の友達にも、自分から連絡をした。「書いているよ」と伝えると、「いいじゃん」と返ってくる。たったそれだけで、やっぱり友達だった。「ごめんなさい」とわたしが送ると、「そんなことより遊ぼうよ」と、あなたの心に救われていた。
本当に少しずつ、変わっていた。
誰しもが持っている原色を、わたしは大切にしたい。
あなたには、いいところがある。
至極、綺麗事だろう。それでも書いている全ての人にわたしは伝えたい。
「気づいていますか?」
あなたが見つけてくれた、いいところがある。いいところは伸ばすことも大切だ。ただそれを"見つける"ことがより、「創作」なのだろう。
わたしたちは繰り返し、一歩目で生きている。
そしてわたしには、ここで書いていたら出会った、最愛の人がいる。
わたしはずっと、「人」が好きだった。
わたしの性別は、男性だった。わたしの恋人になった、その相手も男性だった。同性の彼と今は一つ屋根の下で暮らしている。わたしのエッセイの側で生活をする、愛する"人"。
いつも彼はわたしの表情を掬い、笑う。
「いいことでもあったんですか?」
その言葉にわたしは抱きついた。あったよ、いいこと。聴いてくれますか、わたしの話。あなたの話も、わたしに聴かせてくれますか。
わざわざ言うことでもないけれど、書いて、残したいことがある。残るということはその前を誰かが通りかかる、だってここは「街」だから。
とるに足らないけれど、わたしにとって大切な話。
書いてもいいですか。ここで毎日。
小さな声でも続いていく。
飛んでいく、画用紙を貼り付けたような空へ。
今日、こんなことがあったよ。
「あのね、」
書き続ける勇気になっています。