SNSで、あなたにとって大切な人格を。


鏡の前にいる自分と、目を逸らした。

「こんなの、わたしじゃないのに。」

顔を洗い、肌を剃っている。
わたしにとって、途轍もなく苦しい時間。
これがなくなっても他にもあるし、きりがない。ずっと、ずっとわたしがなりたかったわたしは違うのに。だからこのSNSを使って、海に潜った。肯定されるまで息を止めた。誰かが振り向いてくれるまで、叫び続けた。


「終わりましたよ。」

何度も、わたしが呼ばれたかった名前を、呼んでくれた。朝日のような声が聞こえて、薄眼を開けるとそこには好きな花びらと水彩画が映っている。人生を朦朧とさせたまま、たった一滴でわたしの心は潤う。


「ずっと、あなたのしたいことをしてください。」

「ずっと、あなたがしたくないことを、僕が代わりに。」

そんなの全部、"はったり"だと思った。

ただひとつひとつが叶っていくうちに、これが夢ではなく、現実であることを知り、わたしは安心してまた深い眠りに落ちていた。



「想像と、違いました。」

まあるい目をして、こちらを見ている。

数年前、わたしが社会人になったばかりの頃、よくSNSを使って人と会っていた。特別な目的があったわけでもなく、人に会わないと呼吸が苦しくなる時期だった。職場と家の往復。仕事は思うようにいかず、かといって休日を返上してまで何かを考える余裕もなかったわたしは、人との会話でそれを紛らわしていた。

今のこの、『いちとせしをり』ではなく、別の名前で生きていた。もちろん本名ではない。そこでの、名前。そしてわたしは自分が「女の子」として生きたい気持ちを隠していた。同性愛者であることも呟くことはしなかった。


もうひとりの自分を作って、息抜きができればそれでよかった。よかったはずなのに、わたしはSNSで人に会えば会うほど、体が冷たくなっているのを感じた。

わたしは結局、生きづらかった現実と同じ自分をSNSに入れていた。もうひとりを上手に作れなかった。本当はもっと、「夢」みたいなことを言えばよかったのに。


それもあってか、誰かに会うたびに言われる。


「もっと、男らしい人かと思いました。」


少し、嘲笑混じりの声。
わかっていたけれど、それが自分にとっての生きたい姿だったから。男らしく、なれなかったのだ。でも自分は男だから、SNSでは男として生きなければいけない、そう思っていた。女の子のふりをしてSNSで生きる方が、人をがっかりさせてしまうかと思っていた。けれど現実は見事なまでに、逆だったのだ。


それから、月日が経って。
わたしはこの『いちとせしをり』という名前を名乗るようになった。考えて、考え抜いた名前。意味を沢山込めたこの名前が、わたしの背中を押してくれた。


わたしはずっと、「女の子」として生きたかった。ワンピースを着て、口紅を塗って、可愛いものを手に取って、格好いい男の人と手を繋ぎたかった。

ただそれを、社会に持ち出すことはできなかった。職場で自分のその姿を見せることはない。男としての人格を提示し、本名として生きる他なかった。


いちとせしをりになってからというもの、わたしは仕事を終え、家に帰るとすぐに「女の子」になった。自分が好きなものを、好きなだけSNSで呟いた。何も、我慢する必要はない気がした。

大好きな文章を書き続けた。なりたい自分を描き続けた。叶うはずがないという気持ちを携えながらも、勘違いに勘違いを重ね続けた。男らしく生きる必要を、置いた。家でワンピースを着たら、そのことを書き、大好きな男の人の話をこれでもかとここで書き続けた。


「これが、わたしなんだ。」

鏡の前でもそう言ってみたかった。
でも、いいのだ。わたしにとっての夢は、ここで終わり。むしろいくらでもここに詰め込める。SNSを宝箱にして大切に生きられれば、それでいいと思っていた。


そんな自分で生きていたら、いままでとは違う調子で声が聴こえてくる。


「今度一緒にごはん食べに行きませんか?」


またわたしにも、友達ができた。

ひとり、またひとり、と。

自分から頼んだわけでもないのに、「しをりちゃん」と呼んでくれる人が増えていった。わたしは男だったのに、わたしのことを「彼女は…」と、他で話してくれる人がいた。

そこからSNSで仲良くなった人に、いざ会った時に言われたこと。それを今でも思い出し、涙が出る。


「想像した通りの、女の子だね。」


ずっと、これがわたしのなりたい姿で、"人格"だった。
もっと、丸みを帯びた体がよかった。でも、生えてくる髭を言い訳にしている場合ではない。女の子として生きたいと叫び続けたら、周りが自然とわたしのことを女の子にしてくれた。人生において、正しい道は現実で決めなければいけないことの方が多いのだと思う。それでもわたしは、大切にしたい人格を、SNSで羽ばたかせることができたのだ。SNSと現実が、イコールで結ばれていた。


そして気づけばわたしにも恋人ができた。男性の、恋人だ。愛を何度も伝えた。もう何も隠さない。これがわたしの人格で、人生だと叫んだ。

街で彼と、手を繋いで歩いた。
ずっとずっとなりたかった「女の子」になっていた。いまでもこれは勘違いなのかもしれない。それでも現実に、夢を持ってくることができた。


これを読んでいるあなたは、どうSNSで生きているだろう。社会にいる自分とは大きく離れているだろうか。わたしが願うとしたら、もう。


隠さず、ここでは見せてほしい。

あなたが大切にしている、人格を。



もっと、意味を広げるとしよう。

あなたは本当は明るく生きたかったりするだろうか。本当はこれが好きだと言いたいものがあったりするだろうか。本当はこの性格で生きたいと思っていたりするだろうか。これは"理想"とは、少し違う。


"自分らしい"は、SNSで出してもいい。
"自分らしい"は、SNSだからこそ出していい。

あなたのなりたい姿を、SNSを通して見せてほしい。それが真実であれば、いつか、本当の姿になっているから。


わたしは「女の子」になったよ。
でもこれからもっと「女の子」になりたい。


心みたいな人格。

たくさんの自分がいてもいい。その中で、大切なひとつが見つかれば、あなたは現実でも夢でも生きることができる。


わたしの恋人である彼は、言っていた。


「しをりさんの、したいことをしてください。」


わたしの名前を、他の誰かの生きたい名前に置き換えて。この言葉を、わたしはもっと沢山の人に言えるようになりたいのです。


書き続ける勇気になっています。