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わたしはずっと、"男性として"肌を見られるのが恥ずかしかった。


目を見れなかった。
あなたの目を見れば、いつだって見られていることを肌が感じるから。自分の顔の皺がじんわりと湿り。脇を伝う雫が、わたしの嗅覚を刺激する。透明人間になれなくてもいいから、わたしは"対峙"したくなかった。


「でも、人には会いたい。」

話したい。
けれど自分の醜さに心が拍車をかける。
コンプレックスと形容すらしたくなかった。
生活に支障をいつだってきたす。
自分のことが好きなわけでも、可愛いと思えているわけでもないのにわたしは鏡が手放せなかった。出来れば見たくないけれど、他人の目がいつだってわたしの光を潰す鏡だったから。だからわたしは暗闇に逃げ込み、どんな時だって鏡で自分を舐めまわした。


「嫌だよ、嫌だよ。」

外に出た瞬間に、逃げ場がないことなどわかっている。誰も助けてなどくれない。わたしは涙を瞼の裏に隠す。そして不快な音を鳴らしながら人と笑う。


" 見ないでほしい、でも見てもらいたい。"

ただその時のわたしの見てもらいたいものは同じではなかった。見られたくないのはわたしの"今の肌"で、見てもらいたいのは全く別の人間として生まれ変わった、わたしではない誰かだったのである。



写真も苦手だった。
"苦手"というのは嘘だ、やめよう。
わたしは写真に映る自分が"大嫌いだ。"
写真だけではない、動画でもなんでも、自分自身を暗闇で映る姿以外で認識したくなかった。ましてや自分の姿が不特定多数の目に八つ裂きにされるのがこの世に未練などなくなるほど苦しくて逃げ出したかった。


顔だけではない。
胸、腕、脚、お尻、そして身体も。
全てわたしのものだったはずなのに。
肌がひとたび誰かの目に晒された瞬間、それは"他人のもの"になった。わたしの肌で遊ばないでほしい、蔑まないでほしい。それでも「綺麗だよ」なんて言葉が嘘だとわかっていようとも、わたしは自分への憎悪とともに大粒の涙を足跡にしている。


これは写真、そしてそれに映る人。
そしてそれを楽しみ、生業にしている人。
それら全てを悪い意味はなく、無にして読んでほしい。

誰かに何かが伝わればいいとも思っていない。
ただ、ネットの海に流した時点で何もかも独り言にはならなくなってしまうこと。それもわかった上でわたしの"声"を聞いてください。



20年も前からだった。
わたしは兎に角自分の容姿が受け付けなかった。
それでもその当時は人並みに友人だっていた。恋人もいた。家族はわたしのことを容姿で蔑視することは一度もなかった。それがずっと不思議だった。自分の容姿をいくら過大評価しようとしたって、それはただ喉の通りを悪くするだけだった。


周りは輝いていた。

わたしだけどうして、と何度も嘆いた。
少しでも自分のことを良く見せようと当時から必死だった。お洒落は周りよりも先に手を出していた気がする。自分に足りないものを服やアクセサリーで誤魔化すこと、そのことすら重苦しい嘔吐のような気分だった。服やアクセサリーは何も悪くないのに、わたしは自分の容姿を燃やすことに溺れていた。


出口がなかった。
髪型にも気をつかった。
肌のケアだって誰よりも時間をかけた。
それでも自信がなくて、思春期の頃も今こうして大人になった今も変わらず踠いている。



わたしの高校時代。
ちょうどその頃ガラケーが普及していた。
皆が携帯を片手に、甘酸っぱい青春を謳歌していたその隅でわたしは震えていた。

それはなぜか。
携帯にはカメラがあったから。


特別校則が厳しくなかったわたしの高校は休み時間、皆好きなように携帯を手に振りかざしていた。もちろんわたしもそのひとりではあったのだけれど、カメラを使うことはなかった。何より自分が映ることのある行為をしようなどと一度も思えなかったのである。

周りの人間のカメラのシャッター音が怖かった。自分が映らないように学校生活を送る。こうしてお互いに話が出来るのにカメラを向けるのはやめてくれと、ずっと心の中で叫んでいた。


そして何より苦手だったのは、校内でのイベントを影から取るカメラマンの存在だ。そしてその撮った写真が校内の一番目立つ場所に張り出される行為だった。

もう、何も見たくなかった。
自分を見つけることも、諦めた。
いっそ自分が一枚も映っていないことを期待して日々を生きることを選んだ。


そこからわたしは現実でも映像でも。
どこにも逃げ場がない気がした。


そして月日は経ち。
わたしは立派な男性の身体になっている。

わたしは女の子ではなかった。
ただずっと女の子になりたかった。
日を追うごとに男性になる自分の身体を傷つけてしまいたかった。どうして、どうしてと。絶望で身体が氷のように冷たく感じることすらあった。


身体からは丸みを失い。
男性を象徴する容姿に近づく。
それは誰かの目の保養になるような象徴ではない。頭の天辺から足の爪先まで、男性の老いを感じさせる自身の風貌が虚しかった。

どこも映せなかった。
そして街に出ようが、ネットの海に潜ろうが。そこには美しい肌の景色が広がっていた。

自分とは違う全ての肌と容姿を憎んだ。
そしてそこに近づく自分の努力が足りていないことに、また落胆する。


肌は女の命と聞いたことがあるけれど、それは男だって等しく命だった。



感覚が悪い方向へ研ぎ澄まされる。

人を貶すこと。
それが良くないことはきっと誰しもがわかってはいることだろう。それでもわたしも含め、皆人を無意識に貶している。


ただ、その中でも容姿だけは。
人の魅力は中身だと、そんな話を聞くたびにその通りだと思う。わたしにとってのその真意は、外身を貶すことのない中身の美しさの話だ。


人の容姿を小馬鹿にし、冗談を言い。
笑いになって、それで楽しくて。
自分のコンプレックスをネタに出来ている人間は信頼できるとか。そんな話が大嫌いだ。


人の心の葛藤に土足で入る君を。
止めたかった、でも出来なかった。
自分が面白くない人間として見られ、また違う刃物で刺されそうだったから。


苦しい。
出口が見えないのではなく、出口はないのだろう。

全人類、皆容姿が美しいなんて。
そんな話が嘘だと言うことはわたしにもわかる、そしてこれを読んでいるあなたも心のどこかでそれはわかっているはずだ。

ただ意識的に誰かの肌を剥がさないでほしい。

これは願いだ。わたしがそれを全て徹底出来ているかどうか、一度も人生で人の容姿を笑ったことがないか。それもまた嘘だ。


誰かの容姿を嘲笑しないで。
そして全人類。自分の身体を愛してほしい。
これはスケールの大きい話ではない。
壊して綺麗なんてこと、心にはないはずだから。


書き続ける勇気になっています。