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偏見がなくなればいいとは思わない。結局決めているのは"心の態度"だけだもの。


息を吐き出した。
こんなに白い空気は久しぶり。
冬の天が花曇りしている。
季節が捻れる、吹きこぼれるような喜びをいつから感じていないだろう。親からもらった身体に穴を開けて、わたしは心の穴に色を塗っている。そうやって前を見ている。些細だ、繊細だ。細い糸で立っている、わたしたちは想像で言葉を操っているのか。

早く、自分になりたい。
青く、透明だった肌で生きた瞬間はいつだったのか。今もそうと、胸を張って言えるだろうか。人は自分の世界で物語を創っている。あなたの細かい人生なんて知る由もないし、ましてやこのわたしの"コンプレックス"だとか"本当の闇"だとか。それが陳腐で、誰かが必要とするものではなかった。けれど、自身はずっと見つめていなければいけない。丁寧に触れているのだ。



いつも通り、わたしは職場である飲食店へと足を運んだ。そろそろ目を瞑ったままでも辿り着けそう。それくらい変わらない人生をわたしは歩んでいる。

店内は広いくせに、わたしたち従業員の与えられている事務所は狭い。更衣室はなく、奥がカーテンで仕切られておりひとりずつ着替えるスタイルだ。

その日、わたしはいつもより家を出るのが遅れてしまった。普段早すぎるほどの時間に職場へ向かうので、少しくらいのもたつきで遅刻することはない。


「おはようございます…」

遅れを誤魔化すかのよう挨拶を小さめに。いつも通りわたしはゆっくりと事務所の扉を開けると、すぐ目の前で女性の従業員が上着を脱いで、着替えを始めようとしていた瞬間だった。

別にその女性は、下着姿になっていたわけではなかったけれど。白い腕が露わとなり、胸元が美しく煌めいていた。そしてその腕と胸元には花が描かれている、刺青がそこには見えた。


「あ、すいません…」

そうわたしは咄嗟に謝った。
刺青と目が合い、それと同時に女性とも目が合う。


「なんでしをりちゃんが謝るのよ。」

柔らかく、笑ってくれた。

「ごめんね、今日はしをりちゃん来るの遅いと思って油断してた。」


彼女はわたしよりも年上で、わたしの名前を"ちゃん付け"で呼んでくれる。わたしは女の子ではない、けれど女の子として生きたいと思っていること。それを彼女に伝えたことなど一度もない。それなのにわたしの欲しい答えをたまにくれる。彼女にとってそれは些細なものかもしれない。ただわたしにとっては寄りかかりすぎなほど、その愛を大事に生きている。


彼女の刺青を目の前にして、わたしは心の中でわかりやすく反応してしまった。"そんな人"だとは思っていなかったから。ただ"そんな人"とはどんな人を指しているのだろう。そして彼女は自分の刺青を隠すようなことは一切せず、

「ねえこれ、可愛いでしょ。10年くらい前にいれたんだよ。」


そう意外にも彼女は嬉しそうにわたしに刺青を見せてくれた。彫られた花の名前はわからなかったけれど、それを知る必要もわたしにはないのだろう。意味だって、きっと彼女の中で物語が進めば十分だったから。

わたしに刺青は入っていない。
ただ彼女の刺青と、わたしは自分のつけている両耳のピアスを重ねた。



ずっと、わたしはピアスをつけている。それも両耳。別に、誰かに言われて始めたわけでもない。誰か特定の尊敬する人や、目指している人がそうしていたからでもない。きっとぼんやりと、当時のわたしは女の子に近づきたかったのだと思う。ひとつの方法に過ぎなかった。そして、変わらず。より強く気持ちを今も持っている。


耳の穴は、病院に行って開けた。
自分で開けるのは怖かったし、誰かに開けてもらうにはピアスをつけようとしている事実を先に知ってもらう必要があり、間の悪い心持ちだったから。

初めて自分の買ったピアスを両耳に通した日、その瞬間は確か夜だった。自分の部屋でひとり、一歩大人になったような気分だった。揺れるこの心が、本当に幸せだった。"男性"がつけるピアスに、ましてや両耳のピアスに否定的な意見は多いと思う。それもわたしの中の偏見の一部だ。性別で分けているわけではない、ただ整理すると、わたしは女の子の両耳につけているイヤリングやピアス、それが本当に本当に羨ましかったのだ。

そしてわたしは恵まれている。
こうして日々文章を書き、イベントに顔を出したり会いたい人に会うたび、わたしの両耳のピアスを見て怪訝な表情をされることはなかったのだ。もしかするとわたしが自分の世界に酔いすぎて気づいていないだけかもしれない。それでもいい。だってわたしは誰のことも傷つけていない。だから誰もわたしの心を傷つけないでいてくれてありがとうと言いたい。恵まれすぎだ、むしろこれを機に殴られてしまいそうだ。


ふと思い出す。
以前わたしの仲の良い女の子が妖艶に話していた「この口紅をつけるとわたしは最強になれるんだよ。」が格好良くて、やっぱりわたしは今日も女の子になりたくて堪らないんだ。わたしにとってのピアスもきっとそうなりつつある。これをつけて街を歩くだけで、風景の色がひとつ、またひとつと増えているんだ。



「刺青に偏見はあったけど、あなたの刺青は素敵ね。」

「男性のつける両耳ピアスに偏見はあったけど、あなたのピアスは素敵ね。」

そんな前置きは、なくていい。

ただ刺青を見て、ただピアスを見て。

あなたの"それ" 素敵ね。
ただそれだけでいい。

そして別に素敵だと思ってもらえなくても悔やまない。自分のためと思い、昇華する幸せな心の容姿を持っていたいのだ。

わたしたちが目一杯可愛く生きていること。その全てが伝わることなどないのだから。そして全てを肯定される世の中には絶対にならない。偏見は、あっていい。偏見こそが人を面白くもさせていると思うから。傷ついている人は"偏見"で傷ついているわけではない。相手の心の態度が、肌をいつだって突き刺してきている。


わたしはこうして生きて、近づこうとしている。

何にって?
それは自分の心が「なりたい」と叫ぶ、その先。わたしは大人になった。残された人生で、わたしが変わることの出来る場所はどこか。容姿か、それとも性別か。完璧な答えはまだ出ない。それでもわたしたちは歳をいくら重ねようとも自分の信じる自分を作っていくしかない。他人に「いい歳して何やってんだよ」と茶化されようと、妖艶な誇りを纏っていれば気にならない。

捻れるような偏見と歩いている。
部屋の窓から外を見れば、夏のような日差しに見えたのに。一歩外に出てみたら、やっぱり秋冬だった。


単純にわたしには「偏見をこの世から無くそう!」という運動が、合っていないだけかもしれない。窮屈な世の中で、自分の心を広げる。その場所は誰にも奪われない。

誰かが自分の価値観とは合わない表現をして、それを攻撃する趣味を持ちたくはない。偏見で心を潰さないで、偏見で心を解してほしかった。


女の子ではないわたしも、いつか必ず爪に色を塗りたい。女の子のあなたも、男の子のあなたも、そうでないあなたも。あなたの思う"可愛い"を見せてほしい。そして可愛いわたしの姿を見て、あなたには恋をしてほしいのです。


書き続ける勇気になっています。