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生きていたい記憶と、飛びたい群青。助けてほしいなんて、一言もいってない


「助けてほしい。」


覚えていませんでした。
忘れたい記憶が多すぎて、わたしは抱えきれず。向き合えるのは硬くて熱いアスファルトでした。残された時間は数えたくありません。今わたしには何が残っているのか。誰に助けられてきたのか、助けられただけで終わるのか。

心が閉ざされていました。
わたしはわたしと会話させてくれない。休むことを許されない。死ぬ勇気なんてこれっぽっちもないのに、死んだ時の妄想を何億回と繰り返した。目の下が黒くなっていくけれど、視界はどんどんと白くなっていく。


『 こんな風に生きたい。』

それが出来る"君"が、わたしは羨ましかったのだろうか。きっと、そんなものじゃない。ただただ君は"わたしが死ぬこと"を許さなかった。根拠なんてない。君も死んだことなどないのに、わたしに何度も生きていてほしいと言うのだ。枯れない君の笑顔が忘れられない。わたしはまたふとした日常で君の表情を思い出しているのだ。



わたしは、薄っぺらかった。

それなのに些細な段差に躓いていた。


四年か、五年ほど前か。
わたしには友達がいた。
その友達は今、どうだろう。


わたしは大学を卒業し、"普通"に就職をした。個性はなかった。持っているものは"真面目"だとか、それくらい。普段は声が小さいこと、それを隠すかのように生き生きと言葉を溢していた。そう、溢していた。


入りたいと、そう思える会社に入った。
でも今思えばそんなことはなかった。
馬鹿だ。わたしには何もやりたいことなどなかったのだ。それでも"普通"にしがみ付いて、他に行く場所のない存在。わたしはその会社を、二年経たずして辞めた。まともに出勤したのはきっと一年もない。それでもわたしはお金をもらい、温かいごはんをその間、食べてしまった。不幸だ、これは。でもわたしには死ぬ勇気がなかった。そんな人間がこの世には沢山いる、そしてこれからも空を見上げることすら許されない人間がいるのだ。こうしてわたしが文章を書いていること、それは意味がわからないくらいの、幸福だった。



わたしは、鬱でした。きっと普通の鬱。

恐らく何万人、何億人といる鬱のひとり。それでもわたしは生きた心地がしなかった。会社が特別辛かったかと聞かれたら、勿論辛かったに決まっている。ただわたしと同じ人生を誰かに歩かれてしまったとしたら、きっと簡単に羽ばたかれてしまう。それがわかっているからこんなにも悔しいのだ。



知らなかった。
心が萎み、気絶してしまった。
朝日に照らされ、わたしは会社へ向かうその道。高架線の、その下の道で倒れた。今でも鮮明に覚えている、その時駆け寄ってくれたのは40代くらいの女性だった。


「ねえ、大丈夫?あなた、スーツ姿じゃない。これから会社に行くの?どうしたらいい?」


顔は見ていない、声だけ。

その日の朝は季節外れの暑さだった。
倒れたわたしを見たその女性は、わたしのことを熱中症か何かと思ったのだろう。わたしが普通の鬱だなんて、知らずに。

その女性につられて集まってきた人が、救急車を呼んでくれたのだと思う。わたしはその時人生で初めてパニック発作というものを経験した。手足が痺れ、呼吸はままならない。間違いなく「死ぬ」と思った。


そのままわたしは病院へ運ばれた。
涙が流れる、というよりダムが決壊したかのような勢いで瞳から水が吹き出していた。

『これでわたしは終わり。』
もう何も残されちゃいない。大して人生経験もないわたしは、病院に"鬱"で搬送された、その事実だけで人生に幕を閉じようとしていた。



病院のベッドでひとり。
わたしの周りはカーテンで仕切られている。どこからも音がしない。わたしはたったひとりの部屋に入れられていた。どれほどわたしは救急車で暴れていたのだろうか。倒れた時のことは今でも覚えているのに、その間のことをよく覚えていない。とにかく苦しくて、前が見えない。もう生きていたくないと、心の中で叫んでいた気はする。


そのままわたしは病院まで来てくれた上司と、少し話をした。


「3ヶ月お前は休め。明日から来なくていい。」


そう、言われた。
その上司はわたしのことを一番気にかけてくれた、わたしにとって"やさしい"上司だった。そしてわたしの"鬱"が始まっていたこともきっと知っていた。


「休め」いう言葉に、わたしはただひたすら頷くことしか出来なかった。声も出せず、ただもう生きれないのなら、どうってことない。それくらいの勢いで首を縦に振っていたのだ。


その後わたしは病院で検査を終え、そのままひとり暮らしの家に帰った。パニック発作というのは些細なものだ。些細なものなのに「死ぬ」と思う、そんな症状だった。


そして鬱で会社を休職することになった。

そのことを両親には伝えなかった。わたしの両親は、わたしのことが大好きだったから。だから、言えなかった。本当はそんな両親にこそ伝えるべきだったのだろう。わかる、わかっているけれど。それがわたしには出来なかった。


そしてわたしは三ヶ月間、家に引きこもった。引きこもるといっても、ごはんを食べるために買い物に出かけることはあった。ただあらゆる友人知人との連絡を、わたしは絶った。元々LINEは多くの人とやりとりをするような人間だった。グループでの会話も頻繁に行い、わたしのもとに誰からも連絡が来ない日などないくらい。淋しいと思う日など一日もなかった。そうだとしてもわたしは鬱になり、気づけばアスファルトに焼かれていたのだ。


するとわたしにどういう変化が起きるのか。それは友人知人から余計に連絡がくるようになった。いつだってすぐに返事を送っていたわたしが、急に誰の連絡も返さなくなる。


" どうしたの? "
" 何かあった? "

そんな言葉が毎時間飛び交う。
そのスマホの画面を見れば見るほど苦しくなった。通知はすぐに切った。それでもアプリの右上にある通知を知らせる数が、百、千と上がっていくのを確認し、わたしはもうスマホを見るのをやめた。


三ヶ月間。
わたしは昼には目を覚ます。お腹が極端に空くことはない。それでも生き続けるために必要最低限の量の食事をとった。あとはもう、寝るだけ。


何もない。
日記をつけようものなら、そのページは全て同じ色になる。三ヶ月後、わたしはまた会社に戻りたいのか、それとも他の会社に行きたいのか。はたまたどうにもならないのか。

自分のことなのに、それを考えることをしなかった。というよりは出来なかった。頭が空っぽになる、正真正銘のそれだったのである。


三ヶ月が経とうとした、その一週間ほど前に上司から電話がかかって来た。

「体調はどうだ。一応あと三ヶ月は休むことが出来る。その後はもう、どうするかは自分で決めなさい。」



わたしはその言葉にひたすら「はい、はい、」と答え、結局また三ヶ月休むこととなった。


もう、生きる理由がなくなりそうだった。
今までも大した理由もなかったはずなのに、わたしはわたしの狭い世界で絶望していた。鬱とパニック発作はそれから日々加速し、家の便器の周りは吐瀉物まみれの生活になった。


寝ようにも、寝られない。
生きようにも、生きられない。

そんな心を抱え ベッドに横になっていると、聞き覚えのある声が玄関の方から聞こえてくる。


「中にいるんだろ?心配なんだ。出てきてほしい。」


わたしの友達の声だった。
その声はわかりやすく、わたしの大好きなたったひとりの友達だった。その友達、以下 彼はわたしの高校時代からの仲だったのだ。


会社員になってからわたしはひとり暮らしを始め、それからわたしは早々に倒れてしまったせいで、彼はわたしの家の場所を知らないはずだった。それなのにわたしの家に辿り着いた。これはのちに知ることとなったが、わたしが住んでいる地域、つまり"市"だけは知っていたため、わたしの名字があるアパートの部屋をひとつひとつそこから探していたらしい。

確かにわたしの名字は珍しかった。それでもわたしのことをその情報だけで仕事終わりや休日を使って探していたらしい。そのことを、わたしは"幸せなこと"なんて言えない。ひたすらその事実に「ごめんなさい」と、泣きながらの「ありがとう」しか言うことが出来なかったのだ。


わたしは彼の声を聞き、すぐには自分の家の玄関を開けることは出来なかった。顔を合わせたら、もうわたしはわたしでいられなくなると思っていたから。自分の顔も身体も、以前とは比べものにならないほど醜悪になっていたから。


それでもわたしは、自分の手で、家の玄関の鍵を何も言わずにゆっくりと開けた。

するとすぐに扉は開く。


「やっと見つけた!!」


深夜にそれは響き渡る。
その声を思い出しただけで今のわたしは心が押しつぶれる。その当時のわたしはどうしてもっと早く連絡を返さなかったのか、心配させたことや、もうありとあらゆる申し訳ないことが頭をよぎり、また呼吸が出来なくなりそうになる。

そしてその当時、彼は醜悪なわたしの姿を見て、


「とりあえず生きててよかった〜!おいおい、トイレの周りどうした?吐いたのか?ってかお前、ごはん食べてんの?生きてても死んでるみたいになってちゃ困るんだよ。」


枯れたわたしの存在を否定など一切せず、彼はわたしにいつもみたいに話しかけてくれた。


わたしは馬鹿だ。
どうしてこんなにも彼と過ごしてきたのに、わたしはそれを無視してしまったのか。"後悔"なんて言葉では収まりきらない。ひたすらわたしは額を床に擦り付け、友達の存在と生きている自分に感謝をしていた。



彼とそれからわたしは残りの三ヶ月間、楽園に足を運ぶかのように遊びに遊んだ。彼の車に乗り、海に行った。山に行った。温泉に行った。美味しいごはんを沢山食べた。BBQをしたり、公園で花火をしたりもした。3000円もするステーキを食べて、ふたりにしかウケないくだらない話を沢山した。「どこか他行きたいとこある?」と彼が聞くので、わたしが美術館に行きたいと言ったら、彼は全く興味もないのにわたしを連れていってくれた。展示を見ても彼は詰まらなそうにしていたけれど、わたしが少し笑えば、それ以上に横で笑ってくれた。



彼はわたしと過ごしたその間、自分の夢の話を沢山してくれた。

彼はパイロットになりたかったのだ。
そのことをわたしはずっと昔から知っている。パイロットなんて、わたしはアニメや漫画だけの世界だと思っていた。子どもが語る、プロ野球選手になりたいと、それと並列に考えていた。けれど彼は大真面目である。そしてそれを本当に叶えられると思えるのが彼の途轍もないところだったのである。


彼の両親は弁護士だった。
両親の影響で、彼は弁護士の資格を早々に取得していた。弁護士がどれほどのものか、説明しなくともわかるだろう。誰にでもなれるものではない。しかし彼は弁護士として生きることはなかった。

彼の両親が資格取得後、離婚をした。
その時、弁護士を目指していた自分の空っぽさに気づいたという。本当はパイロットに昔からなりたかったのに。親からの圧力により、弁護士にならざるを得なかったのだという。


それから彼は両親とはほぼ縁を切ったらしい。
それも本当かはわからないが、"弁護士として生きない"というのは、彼の息をしていた家庭では許されないことだったのかもしれない。


そして彼は数々の試験を経て、その当時空港でもうすでに働いていた。わたしと過ごす日常の中で、パイロットになるためのことを沢山話してくれた。


そんな、夢みたいな夢。

大人になってから夢を見るのは笑われてしまうことが多くなった。ただ、笑われるのは"夢"ではない。"叶える気のない夢"が笑われてしまうのだと思う。彼の夢は叶える気のある夢、そしてもうすでにそこにあるかのようにわたしは感じていた。



そんな話を聞き、そしてわたしたちは遊びに遊んだ。

あっという間に三ヶ月は過ぎた。
最初の三ヶ月とは比べものにならないくらい、あっという間だった。


そしてわたしは休職明けに、会社へ向かった。身体は重かったけれど、軽い。その矛盾と手を繋ぐ。わたしは目をこすり、上司と面談をした。

その時のわたしは、もう一度そこで働こうと思っていた。また戻ったとしてもきっと辛い。他の会社へ転職したとしてもきっと辛い。天秤にかけたわけでもなく、わたしはまた同じ会社で働こうと、胸に決めていた。



けれどわたしは、上司との面談でまた泣いていました。

あれほど彼の前で"やり直す"ことを決めたはずだったのに、わたしの身体は上司を目の前にし、身体は固まり、喉が締まった。会社の中に入っただけでわたしの記憶は飛びそうになり、汗は止まらなかった。



『やっぱり、無理だ。』

心の中でわたしはそう、呟いた。

そしてわたしは半年間の休職を経て、最終的に元いた会社へ戻ることはなかった。



家への帰り道、足取りは重かった。
これからどうしようか。仕事もない。貯金だってきっとすぐに尽きるだろう。絶望しながらも、わたしは"生きるため"のことを考えていた。


彼にはすぐに連絡した。

「ごめん、やっぱり会社辞めることになったよ。」


そう、メッセージを送った。


数時間後、彼から返事がくる。

「仕事終わったらすぐ〇〇駅に行くから待ってて!」

〇〇駅というのはわたしの家の最寄り駅。彼の仕事終わり、駅前のカフェでわたしたちは落ち合った。


そのままお互いに一杯の珈琲を注文する。

そして彼は、わたしが会社を辞めたこと、それに初めは触れてこなかった。

ただただわたしたちにしかウケない、くだらない話をまた沢山した。そんな中、自分の中身が彼に比べてどれほどちっぽけか、ずっとそのことだけをわたしは考えていた。



そしてわたしは、ふと流れた沈黙をきっかけに、

「ごめん、会社辞めちゃって。」

そう呟いた。
言葉を発したというよりは"落ちた"に近い。

すると彼は、

「別にどうだっていいだろそんなこと。俺がいるんだし。」

と、またいつもみたいな屈託のない笑顔で言った。


そして彼はまた、

「俺がいなかったらどうなってたか。感謝しろよ。」

そう、彼は冗談口調で言った。




『 ごめん、ごめんなさい。』
わたしは、わたしから言いたかったのに。わたしから言うべきだったのに。"君"にわたしはどれほど助けてもらったのだろう。君にわたしはこれからどんなことが返せるのだろう。それも全て君は「いらねえよそんなの」と言うかもしれない。でも、でも。


また、涙が止まりませんでした。
田舎にある、チェーン店のカフェでわたしは泣き叫んだ。珈琲カップの周りには水溜りが出来た。夕方のカフェとはいえ、人は沢山いた。それでもわたしにとって、そこの世界はわたしと君だけだった。


『ごめんなさい、ごめんなさい。』
わたしは君がいなければまだあの1Kのアパートの中だ。わけもわからない薬を飲み続けてわたしは、どうなっていただろうか。

『助けてほしい』なんて。

わたしは一言も言っていない。
それなのにどうして、どうして。



ずっとそんなことを頭の中で馳せる。

それなのに。
彼は涙でぐしゃぐしゃになったわたしの顔を見て、


「やっとお前、笑ったな〜!」


そう、言うんだ。
そう言う、"君"だったんだ。
そう言う君だから、わたしは生きていたいと思えたのだろう。

君と空をいつか飛べるだろうか。
わたしは飛びたい。
何も操縦できない。なんの資格もない。
わたしが乗せることのできるものなんてないのかもしれない。それでも君と、飛びたい群青を。


『助けてほしい』

言っていないけれど、ありがとう。
そんなことは関係ない、ありがとう、なんだ。

わたしが会社を辞める決意をしたのをきっかけにしたかのように、その後すぐに彼は九州へパイロットになるためのカリキュラムを受けに行った。その時から、彼は言っていた。


「これからは連絡も取れなくなる。でも、ちゃんと生きろよ。俺らは友達なんだから。」



ずっと、覚えている。"君"のことを。



4、5年前。

あれからわたしは君と連絡を一度も取り合っていない。

それでもわたしが、どんなことがあっても"生きていたい"と思えるのは君がいたから。君という存在、君という記憶があるから。


わたしは君を助けることは一生出来ないかもしれない。それでも君はわたしに教えてくれた、助けるとはどういうことかを。わたしは誰かを助けられるだろうか。やっぱり君がいないとわたしは言葉をうまくまとめることが出来ない。

それでも"生きていたい"を届けたい。君にも、そして"あなた"にも。


君に連絡は出来ないけれど、この文章を君がどこかで読んでくれることを願って。


わたしは生きているよ。

君の空に、わたしも連れて行ってほしい。

むしろ今度はわたしが連れて行く番だ。


書き続ける勇気になっています。