見出し画像

大して変わる気もないくせに それっぽい言葉を自分の中に並べて納得させている



様々なものが終わっていく。

時代だけじゃない。けれどわたしの人生は何も始まらなくなったせいで何も終わらなくなってしまった。


平成最後の日。わたしはまた職場で体調を崩した。


職場での景色がまたどんどんとぼやけてくる。手先からわたしの身体は動かなくなってきてしまった。以前病院に行った時には、精神的ストレスが原因でわたしの場合筋繊維がおかしくなるらしい。本当にそんなことあり得るのか?と自分の身体ながら思う。でも実際現実ではあり得てしまっている。そしておまけにわたしは何故か 普段は手足だけのはずが、今日だけは背中と腰の筋の痛みも急激に加速し、しまいには立てなくなるほどまでに酷くなってしまった。痛すぎるあまり止まらない汗。仕事のことがうまく考えられなくなったがわたしは退勤時間まで必死に、必死に耐えた。


そうしてわたしは足早に職場を後にし、また自分で救急車を呼んだ。

救急車を呼んだ時にはわたしの身体は全身動かなくなっていた。運ばれた後病院の人にはパニック障害と、栄養失調により身体が急激に弱くなっていると診断された。

言葉がなかった。この光景は一体何回目だろうと自分の中で懺悔した。それでもわたしは身体の痛みに耐えながらも心は少し落ち着いていた。その時わたしは自分以外の人に迷惑をかけずに病院までこれたことを少しだけ褒めていた。もちろん病院や救急隊の人には迷惑をかけているが、もっと昔のわたしであればまず職場の人に迷惑をかけたり、街で突然倒れた時には面識のない人にもたくさん迷惑をかけた。

けど、今日だけはひとりでここへ来れた。普通の人からしたら、わたしがしている話は馬鹿げたことだと思う。それでもわたしにとってはそれは少しの前進で、変わるための少しのきっかけであったと思う。




約束と思い込み


わたしはもちろん変わりたいと思っている。自分の精神的な弱さも肉体的な弱さも含めて。

それでもわたしはその具体的な解決策を自分の中で提示せず、何と無く生き続けてしまっている。

本当は社会で普通の人と同じように生活して、同じくらいの収入を得る。趣味にも時折精を出し、充実した日々を送らなければならない。別にいまのままでいいかなとも思う。わたしは他の不幸な人から比べたらきっと不幸すぎることはない。"それなりな不幸"というのが適当だろう。けれどわたしは度々自分の弱さや不幸を人のせいにしてしまう。それは違うということが自分でも痛いほど分かっている。だからこそ変わらなければいけない。それをわたしはnoteを書き続けることによって何かが見つかればいいと思っている。

今日も身体の痛みに堪えながらこの文章を書いている。いつもより更新が遅れてしまって、そんなことばかり気にしているわたしは本当にどうしようもない。それでも今日が無意味になってもいい。わたしはきっとまた見えない何かにすがろうとしているのだと思う。

ああ。わたしはそれっぽいことを言ってまた自分を納得させている。でも今日は許してほしい。いつもより今日は自分でも頑張った気がするから、ね。


書き続ける勇気になっています。