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いつか絶対に死ぬと覚えておくと、生きることが柔らかくなる。


「ただいま。」

そこへ手を入れたら、痛みなんてきっとない。
生クリームに包まれているみたいに、非日常の香りがする。久しぶりでもないその電車は、昔より少し淋しそうだった。きっとわたしが今年初めて入ったであろう駅のトイレは、心の奥底まであたたまるような綺麗さだった。誰かがこうしてわたしの知らないところで、生きている。誰かが生きるために手助けをしてくれている。持ちつ持たれつという言葉が少しだけ純粋すぎて苦手だったけれど、初日の出を背中に浴びていたらどうでもよくなってしまった。

田舎から田舎に繋がる線路。
車掌さんの声が少しだけ膨らんでいた。
心がぐいっと窓の外へ飛んでいく。

わたしの人生に登場人物は少なかった。
主人公が誰かも明確ではない物語。寂寥感が笑ってくれた。別にひとりで1月1日を過ごしてもよかったけれど、わたしよりももっとひとりの人がいた気がしたから。そんなことを馳せるのも、生意気だと思う。そう言っても許してくれる気がしたから、わたしはこんなにも照れ隠しが下手くそになった。



祖母に、ひとりで会いに行ってきた。

東京から群馬まで数時間。
たったそれだけ。本を数ページ読めばあっという間に辿り着いた。「おばあちゃん、もうすぐ着くよ」なんて連絡は途中で出来ない。スマホを持っていないおばあちゃんは、炬燵に足を入れてテレビでも見ていたのだろうか。


何度も通ったけれど、そこまででもない。
家から職場までの往復よりも圧倒的に少なくなっているはずなのに、どうしてこんなにも見慣れた道が存在しているのだろう。車が一台も通っていない道路。降り立った駅は、音楽を聴いていたら気づかず通り過ぎてしまうほど小さかった。

"家族"はやっぱりわたしにとって特別で。笑顔になったら一緒に笑顔になってくれて、嬉しいときに隣で一緒に泣いてくれた。絶対が証明されるのが家族だと思った。でもそれはわたしだけの話で、誰にだって共通するものではない。わかってる、家族が時に毒になる瞬間もある。それはネガティブな感情ではなく、覚えておくと少しだけいい気がするものであってほしい。

やっぱりおばあちゃんは、家の外で待ってくれていた。わたしが着く時間より少し前になったらきっと律儀に外へ出ているのだろう。数ヶ月前に会いに行った時もそうだった。「寒いんだから、中で待ってていいんだよ。」と、わたしはもう何十回も言ってきたけれど、外で必ず待っているおばあちゃんにいつも期待している自分がいた。"言葉"が好きで大切だと思っているわたしも、言葉よりも大切なものがあることも、改めて思い出した。


おばあちゃんの家はいつも外と同じくらい寒くて、だからこそ炬燵の中が優しかった。お正月らしい料理がわたしの目の前には並んだけれど、一番美味しかったのはおばあちゃんが作った豚汁だった。


外から入ってくる絹糸のような日差しを浴びながら、わたしたちはなんて事ない話を沢山した。

いつ会ってもわたしに深く話を聞いてくることはなかった。顔だけを見て「元気そうで良かったわ。」と、何もこっちが言っていないのにおばあちゃんはいつも言う。「そっか、わたしはいま"元気"なんだ。元気でいいんだ。」と思わせてくれていたのかもしれない。

ただふたりでごはんを食べていただけなのに、ずっと幸せだった。お腹が膨れていくのがこんなにも幸せなことなのだと、一人暮らしをして偏った食生活の中だけで生活していると忘れそうになる。


覚えていたけれど、忘れていった。
忘れていたけれど、思い出した。

そんなことの繰り返しなのかもしれない。
新しく学べること、それは段々と少なくなっていく。隣で当たり前のように笑顔でごはんを食べていたおばあちゃんを見て「わたしは後、何回おばあちゃんに会えるのだろう」と、少しだけ不謹慎なことを考えた。でも本当は、そうなるのが当然で。忘れていることのひとつとしてある。わたしは当たり前に生きすぎてしまった。



「しをりちゃん、来てたんだね。」

ごはんを食べていたら、窓の外から伯父さんが顔を見せてくれた。口には煙草を咥えていて、今にも倒れてしまいそうな華奢な体はわたしそっくりだった。そんな姿を見ておばあちゃんは言う。

「しをりちゃんも、もし煙草を吸うなら、程々にね。」

わたしが煙草を吸っていることを、おばあちゃんは知らなかった。そのはずなのに、何となく知られているような言葉だった。もう、全てお見通しなのかもしれない。煙草一本で縮んだ寿命は、いくら泣いても取り返せない。寿命を縮める行為が煙草に限っているわけではないけれど、何となくその意味を考えるようになった。


いつか死ぬことが、じんわりと温かくて。
月が満ちていくみたいに、儚く映った。

いつかわたしの周りから家族がいなくなってしまうことを考えて突然怖くなった。それは自分が死ぬことよりも怖いことだった。

おばあちゃんの料理をお腹いっぱい食べたわたしは、小さくげっぷをした。そのとき体の中にあった消化不良のようなやり場のない感情が出ていった気がする。すーっと鼻からも口からも空気を吸い込み、わたしは肩に乗っていた持ちきれない感情もおろした。

冬の空と、おばあちゃんの声がわたしの全てを軽くしてくれた気がした。


帰り道は伯父さんが駅まで車に乗せてくれた。煙草くさい車内も、わたしにとっては心地よくて。気取った大人の世界を、少しだけ忘れさせてくれた。



電車に乗って、またわたしは家に帰っている。こうして家族と一日中会った日も変わらずこうして書いている。何かに取り憑かれているわけでもなく、嫌々やっているわけでもない。日常の本当に小さな風景として、わたしは自分の心を書き続けている。

年が変わっても、わたしは変わらずやっていることは同じで。人気の少ない電車の中、わたしは秘密を打ち明けるような小さな声で笑っていた。


「これからも、もっともっとわたしは書いていたい。」

それはもしかすると、人によっては当たり前のような感情なのかもしれない。抱負と言うには少し物足りない気もして、でも壮大なことを言いすぎることも怖い。

抱負とは違った、目標みたいなものが人にはあったりする。例えば今年は本を100冊読むとか、今年は100記事書くとか。実際わたしは去年、300記事以上を毎日noteに書いてきて。でもそれは、去年の1月1日に思い描いていた具体的な未来ではなかった。「書いていきたい」と、なんとも言えない抽象的な想いだけを胸に入れていたのだ。他人事のように何故か思ってしまうけれど、よくわたしがこんなに書いてきたなあと思う。

上手くいかない事だらけだったけれど、結局は生きてこれた。それは特別な事だったはずなのに、時々わたしはそれを忘れてしまう。当たり前だと思っている。どうせわたしは明日も生きられると思っているし、明日も書いているのだと思っている。

ぼんやりと、死ぬことを忘れていた。
それでも書いてこれたのは、わたしの運がよかったから。パニック発作が日常的に抜け切らないわたしも、書いて全てを昇華させようとしていた。生活するお金を稼いで、こうして自分の表情を創造している。祝いの言葉を、たまには自分の口から溢したい。



「あけましておめでとうございます。」

やっとこの言葉を書けた。
今年も一番、わたしがわたしのことを書きます。そして『いちとせしをり』をどうか見ていてください。彼女はいつも落ち込んでいます、哀しい顔をしています。その姿をわたしは誰よりも近くで見ていて、奮い立たせるようにこうして毎日文章を書いてきました。でも近すぎるからこそ気づけないことも沢山あります。全然それは数え切れていません。強みを考える前にすぐに弱みが思い浮かぶような人間です。

人の幸せは、正直苦手です。
自分の持っているものといつも比べてしまいます。挙句の果てにはわたしと『いちとせしをり』を比べたりもします。"自分が思う幸せで生きる"というのは言葉で表せるほど簡単な事ではありません。それでもわかりやすい言葉にまず救われるのが人間なのでしょうか。


好きなことをすればいいと言う人は、中々好きなことを見つけるのを手伝ってはくれません。人生は長い旅だと言っても、わたしは自分の庭を手入れしているだけでも十分幸せだったりします。

人と会えばいいってものでもないし、書いていればそれだけでいいわけでもないと思います。バランスが大事でもない。じゃあ何をしていればいいかって、生きていればいいと思います。

楽観的で、今日はわたしがわたしじゃないみたいです。これもおばあちゃんがくれた"柔らかさ"のおかげなのかもしれません。


わたしは誰かに泣きつくばかりだったから、今年は「おかえり」を沢山言えたらいいなと思います。誰かに居場所を求めるのではなく、わたしが愛する人の居場所になりたい。綺麗な器は用意出来ないけれど、あなたに渡す言葉は持っています。


「ありがとう。」

わたしなりの温かさと冷たさで、生きていきます。

いつか死んでしまうけれど、その時はその時です。でも忘れないように生きていきます。後悔しないように生きるのは、なんだかもう生きた心地がしなくなるのでやめます。人一倍頑張った後は、人一倍怠惰でもかっこ悪い事ないです。その分、沢山のことを覚えていたい。言葉も表情も声も景色も人も。何もかもとは言えないから、大事にしたいものだけでも。


2020年は、希望でも絶望でもない。

命の中にある、薄い光の上で生きている。


そんなわたしと『いちとせしをり』を、今年もどうかよろしくお願いいたします。また明日も、お会いしましょう。


書き続ける勇気になっています。