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同性愛者のわたしは、恋の証明がセックスでしか出来ない。


萎んでいった。

心も、わたしの体のこれも。

いやだなと思うこともなくなり、必要もなくなっている気さえした。この文章を書こうとしただけで瞳に光の影ができる。"苦しい"にはいつだってしぶとい根っこがびっしりと張られていて。それを無理に抜こうとすれば自分の肌も一緒に剥がれてしまう。


ひとりでいる時。
淋しいと思う夜に。

わたしは今まで何をしてきたんだっけ、何をして紛らわせていたんだっけ。お酒で誤魔化していたんだっけ。ベランダから月を見上げて酔っていたんだっけ。

忘れてなんかいない。わたしはいつだって手持ち無沙汰で、どっと押し寄せてくる悲しみをかき消すように自慰行為をしていたんだ。


「きもちわるいよね。」

こんなことを書く場所ではないのかもしれない。ただ先日とあるイベントでnoteの中の人に会った時があった。その方にわたしはずっと恐れていたことを聞いた。


「noteの中の人が選べない言葉はありますか?」


それは例えば直接的すぎる性的な表現やグロテスクな表現。正直Twitterやその他のSNSでそのカテゴリーは、あまりいいイメージは持たれていない気がしたから。

それでも女の子になりたいわたしにとって、そこは避けては通れない場所であった。そして自分の生きる道に清潔なものはあまりなかったのだ。冗談めかして自分の性別を笑ったり何度もしてきたけれど、きっと根っこはもう腐り始めていた。


だからこそ、わたしは食い気味に聞いてしまった。noteの中の人は、どうやってわたしたちの文章を読んでいるのか。そして、弾くものは当然あるだろう。

だってここは"世界"だから。わたしの"苦しみ"を選んでほしいとまでは思い切れないし、全ての人にそれは平等に刺さるものを中の人は選ぶべきでもあると思う。そこにだって苦しみはある。そんなことをまさにわたしはnoteの中の人に聞いた時も感じていた。

言葉に詰まったような表情を浮かべていた。けれど中の人はこう答えてくれた。


「選べない言葉は正直、あります。でもそれを含んでいるものが創作や作品ではないという意味ではないです。自分はそういう文章も読みますし、好きですよ。」


たったひとりの言葉にわたしは安心しきることはできないけれど、その言葉に嘘はなかったと信じたい。これが何かの証明になるわけではないけれど、ずっとわたしの声が向かいたい先は、空でも月でもなく、"人"だったのです。


以下、わたしの体と、愛の話です。




わたしはセックスをしなくなった。

人としてどう扱われるのだろうか。セックスをしていない人を"枯れた"と表現されるのが苦手だった。それもきっとどこかで自覚があり、図星だったからなのだろう。けれど無理に相手を作って、それで本当に性欲というのは満たされるのだろうか。


最後にお付き合いをした恋人と別れてから、もう4年が経とうとしている。その間にわたしは好きでもない人とセックスを繰り返してきた。無理に相手を作ってきたのだ。ただそれも、長くは続かなかった。

勿論わたしの魅力のなさもある。人間関係を築く煩わしさがあったわけでもない。単純にわたし自身生きる道を完全に見失っていた。セックスをしている場合ではなかったのだ。性欲に限らず、欲を満たすためにはしっかりとした人生の土台が必要だった。ぐらついたままだと、無様な欲でシーソーは傾き、たちまち心は真っ逆さまに落ちてしまう。

明日を生きるか死ぬか。むしろ今日を生きるか死ぬか、その二択を日々繰り返していた。


そして無情にもわたしは"生きる"を選んだ。

勇気なんてこれっぽっちもなかったのだ。言い訳に言い訳を重ねた。嘘に嘘を重ねた。「死にたい」に「生きるしかない」を重ねていた。

自慰行為すらしなくなった。
わたしの体は"女の子"から遠く離れているけれど、それでも女の子になりたかった。

ただ女の子らしいことなんてひとつもできなかった。だからこそせめて、せめて性欲だけは無くなってほしくなかった。それを持ってさえいれば、わたしの体から艶がなくなることはないと思ったから。しかし結局は性欲を向ける対象がこのまま同性だとしたらこの心ももう、保てそうにない。

セックスをしなくなり、わたしは自分の"せいき"に触れることすらしなくなっていた。異性を目の前にしても、以前のような体の火照りがない。性欲が無くなっていくのは別に構わないと思っていたのに、いざ無くなっていく実感が湧いたその時、ひどい恐怖が襲ってきた。


「このまま"わたし"で終わっていくんだ。」

わたしから、そのあとに続いていくものがひとつひとつ消えていった気がした。性の魅力は、人の魅力でもあると思う。それは肌を出せばいいというものではない。艶のある表情というのは、内面から必ず伝わってくる。


「セックスがしたい…な…」

それは叶える気もない願いだった。
そもそもこれは願うものでもなかった。運命のようなセックスもこの世には存在していると思っていて。またそんなことを考えていたらますます"枯れていってしまう。"




仕事終わりに、いつもは寄らないコンビニへ行った。

わたしはハイボールをひとつ、買った。

誰も見ていなかったのに、わたしはわざと"不幸そう"に歩いて家に帰った。

食欲もあまりなかった。
ただ無意味にお酒が飲みたかった。
ただ酔いたかった。それくらいでよかった。
セックスだって、それくらいでしたかった。

異性を見て体が火照ることはなくなったのに、わたしはお酒を飲めば簡単に体が火照った。お酒の力で誤魔化さないと、恋が出来なかった。何も始まらなかった。セックスがなければ、わたしは上手く終われなかった。


火照ったまま、わたしはその日お風呂にまだ入っていないことに気づく。おもむろに全裸になった。部屋にあった姿見に映る自分の体と見つめ合った。


部屋の電気は消えたままだった。

わたしは、可能性を消したくはなかった。スマホを取り出し、以前のように自慰行為をしてみようと思った。流れるその映像を見て、自分のせいきを触ってみた。一生懸命、自分の体に問いかけたのだ。わたしにまだ性欲が残っているか、ここではっきりさせようと思った。


撫でるように触った。
するとわたしの肌は、すぐに硬くなったのだ。

当たり前の体の状態に少しだけ安心した。ただこれが当たり前にならない人だってこの世には沢山いるのだろう。同性に恋をしてから、わたしはどうにも自分の性が纏まらない。


結婚をしてもセックスはするのだろうか。
当たり前のようにセックスをするのだろうか。それとも段々と遠ざかっていくのだろうか。いつしか儀式のようにセックスをしたとしても、それらしい愛を囁くのだろうか。関係を壊さないために体を重ねるのだろうか。

結婚をしていなければ誰とでもセックスしていいのだろうか。恋人という関係はとても曖昧だ。口約束で繋ぎ止めておけるものなんてもしかするとないのかもしれない。

繋がった証明。それが出来るのはセックスしかないのではないか、そう思った日すらあった。



" わたしはセックスがしたい。"

勿論それは誰とでもという話ではない。
セックスは好きな人とでないと意味がない。意味を、求めてはいけないのかもしれない。でもそれは自分や相手を大事にしない理由にはならない。ただ自分と相手の性別は関係ない。わたしはセックスをしたい相手を、真に持っていたい。結婚よりも、これはもっと覚悟の話だ。


わたしは恋をしている。
大好きなひとりの男性がいて、今でもわたしは彼に度々会っては愛を伝えている。空回りしているかもしれない。それでもわたしが火照る、唯一の相手が彼だった。

彼とセックスをし続けられたら、どんなに幸せだろうと思う夜もあった。ハイボールで全てを流し込んで、届かぬ愛を何度も叫んだ。恋の証明が、わたしにとってはセックスだったのだ。


わたしは選ばれたい。

彼に、そして人間の言葉に。

わたしはもう、彼を選んでいる。

わたしが彼に対して、一番気持ち良くなれる才能がある。


火照るわたしの体をそっと撫でてくれる。

冷める夜、覚める夜はない。

わたしは一生彼の隣がいい。

そう想いながら、わたしは朝までせいきを抱きしめ、自分の性欲を零さないように毎日のように泣き崩れている。

苦しい、苦しいんだ。

自分の中でしか正解と不正解の答え合わせが出来ない。どこかの誰かの恋なんて、当てにならない。何故ならわたしが一番、彼を愛しているからだ。



一度だけでもいい。

わたしは"最期"まで持ち帰れるセックスを、心の底から求めているのです。


書き続ける勇気になっています。