呼吸する、そして100日目のわたしは
手に入れたかった。
自分の持っていないものがほしかった。周りの人が持っているものがただただ羨ましい。ひとりが持っていれば、それはみんなが持っているものになって。わたしだけが持っている何かはいつまでも見つからない。
痛みは時間でなくなっているわけではない。
擦りむいた傷も、削れた心も、それを治しているのはいつだって自分自身の力だった。それなのに、自分の努力を自分で褒めるのはそう簡単なことではない。いつだって虚しさだけがわたしを取り巻いていた。
noteを毎日更新して、100日が経った。
水滴石を穿つなどという言葉を信じれるのはきっと先の話。これほどまでに実感の湧かないものはなかった。けれどたしかに時間の流れを感じ取れた。
◇
わたしは去年の7月に会社を辞めた。
それはもうあっさりと。
人生で二社目だったその会社は、きっとわたしには合っていた。
温かい職場に、難しすぎない仕事。
給料は良くなかったけれど、別に生きていくにはわたしにとって十分なものだった。
それでも続かなかった。
辞めるまでの会社員生活、わたしは何度も会社を休んだ。
何故休むことになってしまったのか。
温かい職場に、難しすぎない仕事であったはずなのに。
けれどそれはわたし以外の人にとってだった。
わたしにとってそこの職場は息苦しかった。
すでにそこで完成されている人間関係。そこに飛び込んでいける勇気もなければ生き続ける力もなかった。女の子の多かったその職場で、女の子ではないわたしは当然女の子としてみてもらうことは出来なかった。
わたしは女の子ではない。それでも女の子になりたいわたしはずっと輪の中に入りたかった。ひとりでいるのが勿論怖かったのもある。けれどそれ以上に、女の子たちの心に触れるのがとても怖かったのである。
仕事の覚えも悪いわたしは、あっという間に置いていかれてしまった。いや、本当は置いていかれてなどいなかった。見てくれていた、先輩だって上司だって、他部署の人もわたしのことを気にかけてくれていた。
誰ひとりとしてわたしのことを見限ってなどいなかったのだ。会社に向かう途中、吐き気が止まらなくなって駅のホームに飛び込みたくなった時も。会社のトイレで信じられないほど泣いてしまった時も。広かった会社のフロアのど真ん中で倒れてしまった時も。今でもいくらでも浮かび上がってくるわたしの不幸自慢は止まらない。それでもわたしの不幸は、周りの優しすぎる目に支えられて生きてきた。辞めるしかないわたしを必死に運んでくれる手が無数に見えていた。
怖かった。
同じ思考を何度も繰り返す。
仕事の出来ない自分と、人と話すことが苦手な自分と、女の子として見てもらえない自分との違和感と。そんな思考の檻から出られなくなった。
出来ないこと、やりきれないこと。それを嘆いていても仕方のないこと。そんなことを言い続ければ居場所など簡単に失ってしまうこと。それもわかっていた、わかった気でいた。
そんなわたしが今言えること、
noteを毎日更新して、100日が経った。
それだけだ。
それは出来たことでも、やりきったことでもない。
ただnoteから知らされる
「100日連続の投稿!!!
noteチームも驚いています!」
温かすぎるその言葉に、落胆する。
無機質な画面に、わたしは吸い込まれそうになった。
価値が与えられたわけでもない、認められたわけでもない。小学生の頃、やたらと皆勤賞を取ることに嘲笑の目は向けられていたと思う。その目は決まって努力しなくてもそれなりにやっていけている人からの目だった。それも全て偏見なことも、決めつけてはいけないことも、努力の仕方は人それぞれ違うことも。そんなことは小学生の頃はわからなかったけれど、それもきっと大事な時間だった。
ネットの世界では拡散され、評価され。なければ"捨てる"という動作すら見ることも出来ずに回収される。
社会だってどこだってそれは少し似ていて。
苦しくはなかった。書きたいことがない日はなかった。こんなわたしでも1日職場で8時間の労働をこなしている。体力と時間が欲しいと思った日は何度もあったけれど、自然と言葉の流れが止まることはなかった。完成度はまた置いといて。
きっとnoteは仕事でもなければ、わたしを取り巻く性別の虐待もない。
もしnoteを書いて収益を得ようとしたり、女の子として見てもらえない環境に置かれてしまったとしたら、その時それでもわたしはnoteを続けられるだろうか。
言葉を書くことを、どんな形かはわからないけれど対価を得れるようになりたい。そんなことを少し思ったりもする。傲慢で横暴だ。そのためには自分語りだけでは救われない、誰も。
毎日更新を続けているからどうにかなるわけでもないけれど。自分を少しでも納得させるためにわたしはここで生きているのかもしれない。
101日目のこのnoteを書いている気持ちも、死にたかった過去の自分も、それでも死ねなかった自分も、無数にあった救いの手を無視してしまったことも。刻む。
昔の自分とは少し違う。不幸自慢に混ざった、わたしのただの自慢を。100日書いただけのわたしを。これから何も約束されていない現実も。
続けた。
それだけでわたしは痛みをひとつ癒すことに成功したのだろう。
書き続ける勇気になっています。