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自分との小さな約束をなかなか守れない



もう泣かないと決めた瞬間がある。

甘えてはいけない。変わらなくてはいけない。強くならなければいけない。自分でもう決めたのだから。繰り返すのは嫌だから。幸せになりたいと誰よりもわたしが望んでいたのだから。

ただ、そんなものはいつの間にか簡単に覆ってしまった。


「一生のお願いだから」と縋り付く子どものように、わたしの言葉には責任がなかった。

ずっとわたしは何となく生きている。同じ失敗を何度もしてしまうあたり、わたしは学習能力が圧倒的に欠けているようだった。

常にわたしはネガティブに生きている。そのくせ一丁前にプライドだけは高かったりする。本当に迷惑な話だ。それでも自分の性格ってそう簡単に変わらない。大人になってから性格を変えるのって並大抵の努力じゃ到底及ばない。だから最近はちょっとそんな自分を諦めている。わたしの迷惑はいつまでも続く。だったらどうするか。迷惑な自分をnoteに書いてみようかと思った。読んだ人が不快に思ってしまったらその時はその時だ。それでもnoteを書き続けることをわたしは小さく誓ったのだ。




エゴと遊び


別にわたしは誰と約束をしたわけでもない、ただnoteも何となく始めて、何となく続いている。頑張っている気になっているものって大抵続かないもので。大好きなゲームや遊びだってすぐ飽きてしまうこともあるのが人間なんだ。それでも文章を書くことがやめられないわたしは自分に溺れている。

夢を追いかける大人が笑われてしまうわけではない。夢を追いかけている気になって結局何もしていない大人が笑われてしまうのだ。

今更わたしには夢がない。思えばわたしに夢があったのはいつだっただろうか。


約束をしなければ約束を破ることもない。ただ、約束が少なすぎると人は死んでしまう。わたしには何もない。才能がないのであれば何かを続けるしかない。たった一本だけnoteを書いてそれでそれが認められるのであれば、わたしは毎日なんて書いていない。平凡な人が行き着く先が毎日noteを書くこと、SNSをやることなんだと思う。

消去法だったりもする。肩書きがないのであれば"せめて"毎日書いてみる。それが少しでも肩書きになればいい。わたしはそれを自分で約束にしている。この約束があればわたしはいま生きていける。

本音を言えばもっとnoteを読んでもらいたいし、Twitterももっと見てもらいたい。でも何もせずに見てほしいだなんてそこまで贅沢を言うつもりもない。ただ、毎日ひとつのnoteでもツイートでも、わたしは絞って捻り出して必死になって書いていることを少しだけわかってもらいたい。我儘だね、拙いね。まとまりも芯も軸もないけれど、わたしが少しずつ自分との約束を守れればちょっとはマシになるかもしれないから。だから、もうちょっとだけ息をさせて。

これを読んでいる人はどんな人が多いのだろう。約束を守れる人達だろうか。

あなたは日頃自分とどんな約束をしていますか?それは守れていますか?どんな小さな約束でもいいから持っていたい。沢山約束があるのは疲れてしまうから一個や二個できっといい。それを守っているあなたやわたしを誰も笑う権利なんてあってたまるか。99%の人はつまらない人間なのだから。だからわたしは誰かの自分との約束を尊重出来る人間になりたい。

選択肢が沢山ある人はずっと幸せに悩んでいてほしい。でも選択肢が沢山あるってことはきっとその人は努力してきたのだろう。環境のおかげだったりもするかもしれない。それでも頑張ってきた結果の選択肢なんだと思う。わたしに選択肢は沢山は与えられていない。選択肢が少ない人間ってもがくんだよね、死にたくないから。けれどそんな人から生まれたガラクタみたいなものをわたしは眺めてみたい。綺麗な美しい作品も当たり前に素敵だけれど、才能も何も感じないただ血だらけの作品もわたしは好きだ。わたしみたいな人がいるせいで"エモい"なんて言葉も流行ってしまったのだと思う。

それでもそのお陰でこの世にはガラクタが沢山転がるようになった。でもそれを「ガラクタじゃん」と蹴飛ばすのではなくて、ちょっと手にとってみれるような人間になりたい。同じ凡人として、生きていこうよ。天才ばかりが目立っているけれど、この世はほとんどの人がつまらない人間なのだから。安心してよ、安心してほしいよ。

だからわたしのこともずっと見ててほしい、一生のお願いだよ。無責任だね。


書き続ける勇気になっています。