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声は大にしづらい。それでも男の子だってセクハラを受けている。


「ごめんなさい。」

絞り出した、その言葉が限界だった。

自分が謝ることなんてなかったはずだって。それだけで感情を支配しようとは思わないけれど、一筋でいいからわたしも希望が見たい。

身体だけでなく、心が大きく拒絶反応を起こしていた。怠慢だと笑うだろうか、凡人だと嘲るだろうか。それでも魚が水のないところで息が出来ないように、誰しもがそんな場所を持っているのではないか。

日に日に本来の自分から遠ざかっている気がした。笑う瞬間に肌が割れる音が確かにしていたのだ。



「いちとせさん、ちゃんとごはん食べてくださいね。」


そう職場の女の子に言われた。

わたしはその日だけでなく、いつも職場でのお昼ごはんはパンひとつだけだった。それはお金がないから、ということではない。もちろんわたしの収入は同世代から見たら恐ろしいほど低いだろう。そしてわたしが特別少食だから、ということでもない。どちらかといえばわたしは人よりごはんを昔から食べられる方だった。

では何故わたしは職場でパンひとつしか食べないのか。その答えはわたしにも実はわからない。食欲がないというのもどこか違う気がして、何と無くわたしは気を許していない人の前でごはんが食べられなくなった。相手を目の前にすると、胃が即座に萎んだ。臆病な内臓は、途端に泣き出してしまう。原因も上手く整理出来なかった。



それでもなんとか整理しようとした。

わたしは沢山食べなければいけない"性"に疲弊していたのかもしれない。

数年前にわたしがいた会社は、所謂体育会系だった。食べて飲んで、大声で笑って。それだってわたしの偏見だけれど、そこでのわたしは必死に周りに合わせていた。


わたしはお酒が弱かった。
ビールだとしたら、二杯飲むのが限界だった。

であるならば、わたしはとにかく食べようと思った。とにかく食べて目立ってやろうと思った。わたしが食べれば皆笑っていた。これでいいんだ、これしか出来ないんだ。これならわたしが出来る、そんな気がしていた。


何故ならわたしは"男の子"だったから。

女の子ではなかったのだから。
男の子だったからこそ求められていることでもあったのだ、きっと。

ただわたしは昔から体が細かった。身長は平均以上ある、それでも体重が50キロにも満たない体でわたしは生き続けてきた。そもそもわたしの体は沢山のごはんを食べれるように出来ていなかったのだ。有名なフードファイターは痩せている人が多いけれど、それは例外中の例外だ。わたしのように体が細い人間が沢山食べられる道理などなかったのだ。


今でも思う、わたしが当時沢山食べることが出来たのは体が勘違いを起こしていただけだったのだ。事実わたしは飲み会の後にはお酒も大して飲んでいなかったのに食べたものは全て吐いていた。

それも会社でのストレスが重なり、自分が異常なことをしているのに気づけなかったのもある。そしてわたしは皆の前で"沢山食べることが出来る男の子"として捨て身になっていたのだ。



そんな時を経て、今に至る。

気づけばわたしは"女の子"を求めていた。
女の子を求めているというのは、女の子とお付き合いをしたいという意味ではない。わたしは女の子そのものになりたくなった。

抽象的で曖昧だろう。
それでもわたしはひとりの男性への恋をきっかけに、女の子を目指した。オレンジ色のスカートを買った。真っ白なワンピースも買ったし、レトロなワンピースも買った。化粧だって、見様見真似でやってみたりもした。SNSで女の子になりたい気持ちを叫んでいたら、わたしの心を汲んでくれた人が口紅をプレゼントしてくれたりもした。

わたしのこういう衝動にも、きっと名前がついていたりもするのだろうけれど、その上を歩く気はあまりない。結果的に歩くしかなくなることはあるかもしれないが、わたしの恋の方向が変わっただけ、わたしの性への接し方が少し変わっただけ、その解釈だけで十分だった。


ただわたしの心が変わろうと、見て呉れの変わっていないわたしに対して世間は厳しかった。


わたしは今飲食店で働いている。

「いちとせさん、男なんだからもっと食べた方がいいですよ。」

そう言ってわたしと仲の良い職場の女の子は、余った料理を休憩中のわたしの目の前に運んでくる。


「パン一個じゃ駄目です。食べてください、男なんですから。」

その女の子はわたしのことをきっと心配してくれている。少し体を押せば簡単に倒れてしまいそうなほどわたしの体は脆そうなのだろう。ただ最後の一言がわたしにとって重くのしかかるものがあった。


「男なんですから。」

この言葉を聞くたびにわたしはやっぱり男の子なんだなあと当たり前のことを理解しようとした。

そう。わたしは男なのだ。
だから、沢山食べるのが普通なのだ。当たり前なのだ。わたしの胃袋は小さいお弁当箱で十分だったのに、いきなり目の前に現れるのはチャレンジメニューのような大皿だったのだ。

わたしは無意識に銃口を突きつけられていた。いつもわたしにごはんを食べさせようとしてくるその女の子は、きっとわたしのことを想ってくれている。それでも、それでもわたしを男として見ないでくれ、男の当たり前を押し付けないでくれ。

そう、叫んだ。けれど声は出なかった。
女の子がこうあるべき、こうするのが当たり前だと押し付けられてしまう世間と同様だ。男だからこうするのが当たり前という刃物のような言葉は、実は無意識に、そして透明な言葉として世間を同じように飛んでいる。



今日もちょうど、わたしが勤務しているときに起こったことがある。

厨房にはお客さんに提供するための、ドリンクを注ぐ場所がある。そこには大きな炭酸ガスのタンクが設置されていた。その炭酸を入れ、そうして炭酸飲料をお客さんに提供することが出来ている。


当然その炭酸ガスの大きなタンクも、いつか中身がなくなる。ただ中身がなくなれば、新しいものと交換をすればいいだけの話。わたしも今まで何度も交換してきた。

けれど今日は少し違ったのだ。前に交換をした人が、タンクの接続部分にあるボトルを思い切りきつく閉めてしまったせいで、ビクともしないほどそこが固くなっていたのだ。


すると、どういうことが起きるか。

わたしのいる飲食店は、女性の従業員が多かった。わたしは当然、男だった。皆がわたしを頼った。体がいくら華奢だろうが、男であるわたしを頼ってくるのだ。


「いちとせさ〜ん!開かなくなっちゃいました…」

そこでわたしが片手でくいっと開けることが出来れば誰も心を大きく動かす必要もなかった。それなのに、わたしにはその力がなかった。


思い切り、出せる全ての力を振り絞ってボトルを手で回そうとした。


「開いてくれ、」

そう心の中で叫んでいた。
その時点でわたしはいやな想像をしていたから。もしわたしが開けられなければ、わたし以外に男の従業員はいなかった。誰も頼れない。わたしよりもっと華奢な女の子しか今日は勤務していなかったのだ。


「開いてくれ、」

何度も何度も力を込めた。

手は真っ赤になり、わたしの握力は限界を迎えていた。そんな時、またわたしの目の前にあの女の子が来た。


「いちとせさん、男なのに開けられないんですか?」


その言葉を聞いた瞬間、何か名前のない場所が割れた気がした。誰も頼れないと思っていた。むしろ頼りたくなかったのだ。わたしは男で、周りは女の子しかいなかったから。


「わたしに貸してください。」

そう言ってその女の子はボトルに手をかけ、力を込めた。するとどうだ。わたしのさっきまでの奮闘が嘘だったかのようにボトルはいとも簡単に開いたのだ。


「開くじゃないですか〜いちとせさん男なのに力なさすぎです。ごはんちゃんと食べないからですよ。」


もう、逃げ場はなかった。

雨のように降ってくる彼女の言葉を避けきれなかった。わたしは苦し紛れに「そうだな〜ごめんごめん。ありがとう。」と、体を丸めながら言った。言うしかなかったのだ。


ごめんなさい。



日々、こうしてわたしは仕事をし、家へ帰ってくる。

そして体を風呂に入り、洗い流す。

その間にわたしは、鏡を見ながら生きてきた。これを読んでいるあなたは鏡に映る自分の性を認識しようと思ったことはあるだろうか。

わたしは今日もちゃんと女の子だ、とか。今日もちゃんと男の子だ、とか。そうわざわざ確認する人は少ないのではないだろうか。


わたしは男性に恋をしてから、心が大きく湾曲している。鏡に映る自分をひどく憎むようになった。わたしじゃない誰かだと思うようになった。


「これはわたしじゃない。」
「これはわたしのなりたい姿じゃない。」

逃げ続けている、今もずっと。
これに説教や苦言を呈されたところで、わたしは聞く耳を持つつもりはない。


力がない人間だった。沢山ごはんを食べるのが当たり前だと思われたくなかった。

だったら変わろうとも思った。筋トレをして、体を強く大きくしようとも思った。運動をして、沢山食べられるようになろうとも思った。


ただわたしの心の奥で叫ぶ女の子の声を無視出来なかった。


「女の子になりたいんじゃないの?」

わたしの叫びを、わたしは無視出来なかった。無視したくはなかったのだ。

わたしはとにかく今自分の顔だけでなく、体全身を見たくなかった。隆起した筋肉。腕に浮かぶ血管。それら全てを認識したくなかった。変わってしまえば、わたしはまたなりたい自分を捨てることになってしまう。


わたしの思い描いている"女の子"という象徴も、また誰かの目にそれはセクハラのように映るかもしれない。わたしが描いている女の子をここに書き出せば、それはまた女の子はこうあるべきと強要しているようにも取れるだろう。


性別は繊細だ。自分には関係ないと思っている人ほど、実は誰かとの会話でその舞台に立っている。


「男の子なんだから。」
「女の子なんだから。」

その言葉と心の機微は、この世からなくなることはないだろう。これだけ散々言っておきながらわたしだってふとした瞬間に性別をベースにした会話をしてしまう。


ただ、きっかけにしてほしかったのだ。

この世には沢山の"性"がある。
どの"性"も苦しいと叫ぶ人間だっているだろう。

そしてわたし自身は女の子という"性"として見られたいと思っている。だからこそ矛盾してしまうかもしれない。

それでも相手を男性として、女性としてそれぞれ見る未来よりも、わたしは相手をただ"人"として見る未来。それを想像し続けている。

そうなれば誰がどう生きようと、許されると思ったのです。


書き続ける勇気になっています。