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自分のことを好きになる、そんな記念日を"たくさん"作りたい


「今日は何の日か、知っていますか。」


彼の寝顔を愛でながら、心の中でわたしはそうつぶやいた。


「もっと、上手に生きたい。」

台詞を言った瞬間、外側からではなく内側からなにかがぽろぽろと溢れていく。笑顔で近づいてくる人の頬を手で押し返し、自分の持っている"不幸"を必死に守ろうとしていた。


「しをりさんのことを、愛しています。」

朝から、調子よく"彼"は言う。
「はいはい」と、軽くあしらうことはない。かといって毎度感動し、涙を流し続けるような景色ではなくなっていた。手を伸ばせば彼の頬に触れられる。自分の持っている"不幸"は線香花火のように、ぱっと消えてなくなっていた。

自分だけの人生は途方もないほど長く、退屈に感じる。それに比べて愛する人の命は、目を離した隙に消える朝霧のようだった。



わたしには、愛する人がいる。
一ヶ月ほど前、わたしは愛する彼とお付き合いを始めた。


「早いですね、人生は。」

精一杯の愛をのせて、わたしは言う。

急いでページをめくる必要はない。栞を挟んでいるから、いつだって帰ってこれる。彼との記憶が多すぎて、すでにわたしの本は幸せに膨れていた。

今でも変わらずデートをする。
恋人になって、これから先どうなれるわけでもないのに、一日一日が新しかった。ふたり、手を繋いで家に帰る。我慢していたぶんを取り返そうと、わたしは彼の腕に吸い付いていた。キスは毎日色が変わった。口癖はお互いの名前になった。匂いは段々、わたしに似てきたと思う。



「記念日は、どうしますか?」

話を始めたのは、意外にも彼の方からだった。
そういうものをあまり気にしない人かと思っていた。まだまだ彼のことがわからなくて、胸が踊った。相変わらず彼はわたしの肩に頭を乗せながら本を読んでいる。わざわざしたいことを捻り出すまでもなく、わたしの生活は幸せになっていた。


「ふたりで過ごせたら、それでいいです。」


わたしひとりでは、素直になんて生きられなかった。

彼とお付き合いを始めた頃から、付き合って一ヶ月の記念日は仕事を休むことを決めていた。ただひたすらに彼と過ごすことで、わたしは自分のことを好きになれたから。



わたしはずっと、自分のことを好きになれなかった。

なれるはずがないと思っていた。
人と自分のことをすぐに比べ始めるのがわたしのよくない癖だった。


生活の水準を、人と比べた。
仕事のできなさを、人と比べた。
努力の足りなさを、人と比べた。

"自分のことを好きになれない"という、そのものを楽しんでいるかのように、わたしはわたしを拒み続けた。そして自分にとって忘れようとしていたものほど、わたしの頭には残っていた。


そういえばこの日、退職をしたんだっけ。
そういえばこの日、失恋をしたんだっけ。
そういえばこの日、障害を持ったんだっけ。


そこに挟んだ栞を取り出すたびに、わたしは涙を流していた。ひとつひとつ、それを"好きになれない記憶"にしていた。失敗や挫折、後悔ばかりが繋がる。自分にとって後ろ向きになる日ばかりを作り、数えていた。


そんなわたしも、少しずつ、変わっていた。

彼がわたしにいつも、言うからだ。


「自分のこと、好きになる日を作りましょう。」


その言葉を胸に、わたしは生きようとした。
彼がいて、恋をしていたからずっと満たされるわけではない。彼がいたとしても、わたしはひとりで生きられるようにならなければいけなかった。


小さく、そしてたくさんの記念日をわたしは作ることに決めていた。


大切な人に、気持ちを伝えた日。
いつも通り、自分の仕事をこなした日。
泣いても、しっかりとごはんを食べた日。
自分のために、欲しかった服を買った日。
これだけは譲れない。そう、本気になった日。

彼と過ごすうちに、わたしには圧倒的なまでに前向きな記念日が出来ていった。今までも本当は、その日があったのだ。ただわたしは、自分の不幸ばかりを大切にしていた。もっと、当たり前と思うことも、祝っていいのだ。


そして彼はわたしとの記念日にも、言っていた。

「僕がしをりさんとの一ヶ月を祝うのも、しをりさんを愛しているからであり、自分を好きになるためなんです。」

素直すぎるその言葉を聞いて、やっぱり彼の手を握ってよかったと、わたしの栞が言っていた。

人は、ひとりでは生きていけない。
わたしに今、彼がいなかったとしたら、ここまで書いているとも思えない。また別の人からの言葉だとしたら、そもそもわたしは聞く耳を持たなかったかもしれない。


そんな素直に、自分の価値は決められないのだ。
誰からも評価をもらわなくても、生きていける人がいる。自分で自分を選べる人もいる。わたしも、そうありたい。そう、なれる瞬間もある。けど、全部じゃない。


記念日をたくさん作りたい。
そう叫ぶのと同時にわたしは、言いたい。

自分のことを好きになれないのは、あなただけのせいじゃない。

わからないことでこの世は溢れている。それこそ自分を肯定する方法も、自分のことを好きになる方法も。そしてそれがわかって、道筋を見せられたとしても、まったく同じように生きることはできない。なぜなら人は皆、違うからだ。

自分のことを、言われなくても好きになれる人がいて。それは賞賛されるべきだと思う。そんな人が魅力的に見えると思う。


彼とお付き合いをして、わたしは全てが大丈夫になったわけではない。彼がいても仕事がとびきりできるようになったりはしないし、わたしが過去にパニック障害になった事実が消えたりはしない。あなたにも、きっとひとつやふたつ、あるはずだ。「できない」と思った、その景色が剥がれずに残っているはずだ。


わたしはたくさん、記念日を作りたい。
落ち込む暇もないくらいに、それでいっぱいにしたい。

でもそれは、これを読んでいるあなたには適さないかもしれない。そんな簡単にいかないかもしれない。なんならわたしだって、全部うまくはいっていない。そしてもし仮に彼が突然いなくなってしまったら、わたしは自分を好きになる方法が一瞬で吹き飛んでしまうだろう。

そうなっても、わたしは自分だけのせいにしないようにしたい。誰かに責任を押し付けていいわけではない。ただ、背負い過ぎないでほしい。これは、わたしも含めて言っている。


好きになれそうな日は、そのまま好きに。
好きになれなそうな日は、自分だけのせいじゃない。


毎日は、波になっている。

自分のために言い訳をできるようになってもいいと、時々わたしは思うのです。


書き続ける勇気になっています。