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お酒が好きとか美味しいごはんが好きというだけで人が集まり楽しくなれるのなら"言葉が好き"で人が集まり 艶やかになれてもいいでしょう


小腹が空く。
わたし、こんなはずじゃなかった。

楽しいことが嫌いなわけではない。
楽しいことが嫌いって勿体無いし。
でも人が集まっているところは怖い。
でもふたりきりの空間も怖くて狭い。
もっと言えば、目を見て話すという行為のせいで守れたはずの約束も守れなくなってしまった。


人は面白い話など出来ない。
お酒を飲み、美味しいごはんを食べていればいい。そうして笑顔になれるのだから。
お酒が嫌いで、美味しいごはんが嫌いな人なんていない。でもそれって本当?楽しそうな目をしている彼も彼女も帰りたくて仕方がないかもしれないのに。家で猫が待っているかもしれないのに。

わたしの人生で、楽しかったことがなんだったのか。少し振り返ったくらいではひとつも見つかりそうにない。人並みに友人がいて、人並みにごはんを食べるお金があって。でも人並みってどれくらいかわからない。見きれない場所もあるくらいに広すぎる"人並み"に飲み干されてしまいそう。


会社員を辞めてからわたしは、もう人の集まりには暫く加わっていない。息が出来なくなるのを歩くたび恐れているようだった。好きなものを好きという自信がなくなってしまったら、もう人となんて話せない。

架空の世界に飛び込む。
本当は言葉が好きであることを誰かに伝えたかったのに。


感傷の色


人に会いたいは生きたいなのだと。
そんなことをどこかで聞いた。
だとしたらわたしは少しだけ"生きたい"のかもしれない。淋しいんだよね、ずっと。でもその正体がずっと上手く掴めないの。見えているのに、見えていない。


休日は退屈だ。
わたし、人と話すのが苦手なの。
社会でどれほど打ちのめされてきたのか。
そんなことは一番自分がわかっていた。
死にたいって。
そんな詰まらない感情も。
全部全部、人のせいだった。
でもわたし、一人は好きだけど独りは好きじゃない。狂ったように騒ぎ立てる商店街。そんな汚くて、潤しい空間。わたしは別に昔から人が好きだったはずだ。けれど、自分のことを上手く制御出来なくて。そんな人って実は多いんじゃないのかなって。考えちゃうけど。「君は仲間じゃないよ」って。言われてしまうのがいつも恐ろしかった。


時刻、23時。
わたしは泣きながら身支度をした。
寂しくて、どうしようもなかった。
一番お気に入りのTシャツを着て。
一番お気に入りの靴を履いた。
荷物はない。
財布だけをポケットにねじ込む。
家の鍵をかけるのも忘れた。
でも失って困るものはなかった。
電車に乗り込む。
自分だけ違う方向を目指しているみたい。
それが少し心地よくて、もうすでにわたしは酔っていた。降り立つ、その地はわたしの涙の場所。「これからだよ。」って、街が言っているの。美味しいお酒と美味しいごはんがあれば人は笑顔になれる。でもそれって嘘なの。絶望の前では通用しない。けどわたし、今は絶望じゃない。不幸に酔うのって思いの外疲れちゃうの。知らなかったでしょう?


期待と往訪


思い出の場所くらい。
誰にだってあるでしょう。
ないよって人は忘れたフリをしているだけなの。君の記憶に飛び込んで、泳いでみたい。わたしだってないと思っていた。でもふと思い出すの。人間って本当に上手く出来ている。上手く生きれるようになっているし、簡単にあの世にも飛べちゃうよ。


降り立ったその街は、昔わたしが社会人になって。どうしようもなくて苦しくて、簡単に「死にたい」を繰り返していた場所だった。
その街は、眠らない街って。そんなありふれた言葉で表されちゃって。でもそれがたまに救いになるの。でもたまにね。

よく行っていた屋根もない居酒屋。
椅子はその辺の石みたいな塊に座る。「君にはこれで十分でしょう。」と言われているみたい。でも十分だからさほど困らない。
のそのそと、既に千鳥足のような歩き方しか出来ないわたしは店に入る。すぐに店員さんが目を合わせてくれた。

笑った顔だった。そうだ、わたしって笑った顔が好きだったはずなんだ。人が怖いって。なんでも人のせいにしていたけど、殆どが自分のせいだったの。でも自分の口から言うのが怖くて。人の笑顔に隠れて不幸のフリをしていたの。


「ひとり?ちょっと待ってね。」

店の奥から頼んでもいないビールが、なみなみ注がれてすぐに運ばれてくる。正しい色もわからない枝豆と、萎びた野菜の小皿。

頼んでもいないこと。
それが心地よいの。
それに文句なんて言う必要ない。
だって元からわたし、何も求めていないの。
そんな空間がたまに欲しくなって。
この場所を思い出してしまうのかもしれない。


言葉で会うって。


これでよかった。
わたしがこうしてnoteやTwitterをしているのも。人に会いたいからなのだと思う。人の心に触れたいからなのだと思う。けどそれは全部が全部良いものではない。撫でてくれる人もいれば、何も言っていないのに全力で殴ってくる人もいる。

わたしがたまに行きたくなる、その屋根がない居酒屋も。きっと苦しいと思う。苦しいけど笑顔なんだ。本当に楽しい時の笑顔よりも、誰かを笑顔にする笑顔って、言い方は悪いけれど臭くていい匂いがするの。


艶が欲しい。
わたしたち、言葉が好き。
それだけで触れ合うこと。
別に"絶対"無理なんてことないでしょう。
だって美味しいお酒と美味しいごはんでもいいのだから。
わたしたち人間が必ず持っている言葉が。
それで乾杯出来たら、それって愛愛しい。

だから、みんなお店になれたらいい。
寂しかったら駆け込める場所に。
みんながみんななれたら。
誰もひとりぼっちになんてならないでしょう。
でもそれが綺麗事ってこともわかっている。本当に絶望の淵に立たされた時。人に言葉は届かない。


「なんのためにnoteをやっているの?」

と、聞かれたらきっとわたしは酔った顔で言うよ。

自分が死なないためって。
好きなことを仕事にするって。
馬鹿みたい。真に受けちゃってさ。
人は生きれるようにしか生きれないの。
夢は叶わない。
自分の吐瀉物。見てると笑顔になれる。

不幸でいるのに疲れちゃった人が、立ち寄ってほしい。誰だって好きなことで生きていきたいに決まっている。人は強くても淋しがり屋なはずだもの。

終末、言葉が好きで良かったと。
思うためにnote、辞めたくないよ。


書き続ける勇気になっています。