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結婚しなくても、わたしは最愛の人と朝食を食べたい。


「そんなんじゃ幸せになれないですよ。」

空から落ちてきた言葉。
わたしは見て見ぬ振りをしている。

紅茶に映る、自分の表情が鬱陶しい。

" 自分らしく生きる。"
それは思ったよりも簡単で。
じゃあ何が難しいって、それは他人に認めてもらうこと。

そんな必要もないのかもしれない。
ただよく聞く「人生の主人公は自分だ」という言葉。これには落とし穴があり、そして古傷を刺激されるような煩わしさを含んでいる。

ひとりだけで物語は進まなかった。
仲間がいて、家族がいて。裏切り者がいて、犠牲者がいて。そんな周りに支えられて、わたしたちはそれぞれ"主人公"として生きている。

主人公が必ず表紙を飾れるとも限らなければ、人気投票で下位に位置する主人公だっている。主人公として生きながら、誰かの人生の脇役としても生きなければいけない。大忙しである。


それでも"主人公"なのだ。

わたし自身は、わたしのことが可愛くて仕方がない。これは容姿の話ではなく、愛する人から一番目立つ場所に立ちたいという意味が強い。可愛がられ、撫でられる。甘えを掬ってもらう。肩を借りるのも貸すのもわたし。

前髪が擦れるほどの距離で愛を感じたい。
自分をさらけ出すために、わたしたちに必要なのは己の強い意志ではない。もうすでに決まっている運命に寄りかかり、バッドエンドを知らされることなく生きる。それでもがむしゃらに細い糸を手繰り寄せるのだ。人によって幸せの形や色が違うことと同じように、わたしたちはどこかの時点で零す。目の前にあるものに対して「これがわたしにとっての幸せだ。」と、そう解釈するしかないのである。



染み渡る。
日に日に冬の空気は重たくなる。

わたしの家の最寄り駅には、本格的にイルミネーションが出来上がっていた。

" 自分には関係ない。"

そう唱えながらわたしはいつも、コンビニや薬局で買い物を済ませる。

昔と今とでは、わたしの恋の捉え方は少し変わった。

むしろ自分自身が恋から遠ざかりすぎてしまうと、改札の前で抱き合う男女を見てもなんとも思わなくなる。羨ましいという感情よりも先に、夜に食べるごはんのことを考えた。


家に着いても、ひとり。

虚無へ挨拶をする。
ただいまと呟けば、おかえりとは返ってこない。

そんな毎日だった。
そんな365日だった、はずだった。

仕事が終わり、わたしは家に真っ直ぐは帰らなかった。その途中、寄り道をした。満悦の表情を隠せない。わたしはマフラーに顔を半分うめる。


約束の19時。
今か今かと待っていた。


すると目の前から"彼"が歩いてくる。
さっきまでぼやけていたイルミネーションが、突然彼の人生を通すことによって輝き始めた気がした。


「しをりさん、お仕事疲れましたか?」

声を聴いただけで鼓膜が煌めいた。
膝の震えは止まり、わたしは彼の表情を飲み干す。

" 嗚呼、これがあるからわたしは生きていられる。"

彼の人生に顔を出せるのであれば、わたしは脇役でいい。ヒロインだなんて、そんな贅沢は言わないから。でもわたしが望んでいること、それだけは伝えたい。


" 最愛の人がいた。"

なんだ。わたしは恋をしていたのではないか。

わたしと同性の彼は、いつもわたしの隣にいてくれる。わたしと反対側の隣には、正真正銘の異性の恋人がいること。わかりきっているけれど見ないようにした。なぜって、壊れてしまうから。


「少しだけ今日は疲れてしまいました。」

そうわたしは嘘をついた。
彼がもっとわたしに優しくしてくれる気がしたから。本当はそんなことをしなくても彼はいつも痛いほどにあたたかい。

デパートで買い物をした。
普段なら絶対に寄らない。
だって行ったところで買うものなどないのだから。それなのに隣に彼がいると余計なものも沢山買ってしまう。


" 欲しがるわたしを見てほしい。"

それはわたしなりの愛情表現で、ネジを失った心の叫びだ。彼との時間を大切にするあまり、わたしはとにかく残そうとした。例えば彼の隣で花を買えば、わたしは世界で一番その花を愛でるだろう。

全てが記憶であり、光景だった。
これを恋と呼ばずに、なんと呼べばいい。
わたしが女の子ではないと、嘆く隙などない。彼の隣にいるわたしはひたすらに身を寄せる、誰にも勝てない少女で生きられた。


手を繋ぐことはなかったけれど、わたしたちは買い物を済ませ、ふたり並んでわたしの家に向かった。

「ただいま。」

そうわたしは癖で言ってしまった。

恥ずかしい。
彼に聞かれてしまったことが。
けれど彼はわたしの後ろから囁くように言う。

「おかえり。」

その言葉だけで、わたしは立っていられなくなる。

これを幸せと呼ばずに、なんと呼べばいい。
わたしの人生が不幸だと、嘆く隙などない。彼の隣にいるだけで潤う人生、そして咲く場所を与えられた、一輪の花がわたし。



数日前。
彼を、わたしは思い切って誘っていた。

「今度、わたしの家でごはんを食べませんか?」

すると彼はすぐに返事をくれた。
トントン拍子で予定が決まり、彼がわたしの家に来てくれることになった。


夢みたいな時間だった。
今からでも遅くない、夢だったのであれば早く覚めてほしい。ただそれでもいいと思えるほど恋で、幸せだった。

彼と同じ空間にいる。
同じ屋根の下にいた。

彼が、わたしの隣にいる。
わたしは彼と、並んで料理をした。

野菜や肉を切って、鍋に入れただけ。

お互い料理は普段からしなかった。
それでもいい。なんだっていいのだ。

彼と一緒にいれるだけで幸せだった。
もうこれが一生続けば何もいらないと思えた。

彼が全てではない。
彼がいなくたってわたしはしぶとく生きてしまうだろう。それでも彼がいたら幸せ、彼がいるから幸せになった。

わたしだけでも生きていける、わたしは結婚しなくてもいい。ただ彼の隣にいるだけでわたしの心がひとつ、増えるのだ。



隣同士で一緒に手を合わせた。

「いただきます。」

言葉をふたり、重ねた。たったそれだけで涙が出てきそうだった。それでも彼の隣では笑っていたかった。泣きたくはなかった。笑っていたい、幸せでいたい。彼の隣では、彼の隣では。


いつもはくだらないと思っていたテレビ番組が面白かった。笑っている彼の表情を見て、またわたしも笑った。笑っているのに、楽しいのに、これがまた明日には終わってしまうのが怖かった。

笑いながらわたしは泣いていた。
恋をしながら失恋をした。
幸せになりながら、わたしは不幸を抱きしめた。


あっという間にごはんは食べ終わった。

またふたりで重ねる。

「ごちそうさま。」

ニッコリと笑う彼の全てが欲しかった。
苦しい、今もずっと。きっとこれからも。

そのままわたしたちはふたり、夜更かしをすることなく眠った。彼も仕事で疲れていたみたいだった。

「じゃあ、明日嘘みたいに早起きしましょう。」


彼からの提案だった。
わたしは嬉しかった。当たり前のようにわたしの家に泊まってくれる彼が自分を愛してくれているような"錯覚"だった。

わたしたちはそれぞれ違うタイミングでシャワーを浴びる。着替えをすませ、隣同士で横になる。一枚の布団を分け合い、わたしは正真正銘の幸せの夢を見たのである。



午前4時。

先に目が覚めたのはわたしだった。

仕事の関係上、わたしはいつも朝起きるのが早かった。体がどうしてもその時間に起きてしまう。そのとき横ですやすやと眠る、彼の寝顔を独り占めしたわたしは、また涙でぐちゃぐちゃになりそうだった。


「しをりさん…?」

物音を立てたせいで、彼が起きてしまった。嘘みたいに早起きをしようと言ってはくれていたものの、予想以上の早さに驚いていたのかもしれない。

けれど彼は、わたしに合わせて体を起こしてくれた。そして彼は言うのである。


「一緒に、朝ごはんを作りましょう。」


わたしの記憶は宙を飛んだ。

「これがわたしにとっての幸せだ。」

そう思うのは今だと思ったのだ。

わたしにとって、朝食はずっと孤独だった。
恋人がいなくなって四年が経とうとしている今。彼以外の、わたしは誰にも恋に落ちることなく、ここまできた。


彼に出会ってからというもの、わたしは度々想像するようになっていたのだ。


「彼と、朝食を食べたい。」


夜に外へ出かけ、賑やかな繁華街で顔を合わせるのは容易い。ただ朝起きて、相手が隣にいる。そしてふたりで作る朝食がある。手を合わせ、いただきますを重ねて言える。ましてやその相手が最愛の人だとしたら。


" わたしにとっての"結婚"みたいだった。"


彼に恋人がいなかったとしても、わたしは彼と"結婚"は出来ない。そんなことがわかりきってわたしは彼を今、愛している。

結婚しなくても人は幸せになれる。そんな時代に近づいているのだろうか。ただその時代がいくら進もうとも、わたしたちの幸せはわたしたち自身で決めるしかない。これは皮肉でもなんでもなく、結婚が絶対的な幸せではないから。


彼と朝食を食べた。
その翌日、わたしは職場で恋の話をひとりの同僚とした。クリスマスも近い、当たり前の世間の流れだった。


「いちとせさんは彼女とかいるんですか?」

そう、聞かれた。

わたしはなんとも言えない表情とともに「いないよ」と、そう答えた。するとどうだ、相手は退屈そうな表情を浮かべる。


「いちとせさんも、早く彼女くらい作った方がいいんじゃないですか?そんなんじゃ、幸せになれないですよ。」


わたしはそこで、大切なものを飲み干した。

言う必要もない。
言い返す必要もない。
わたしが同性愛者であること。
彼のことを愛していること。
それを、他人に認めてもらう必要もなかった。


" 主人公はわたし。"

ただ何か返すとしたら、わたしはこう返したい。


「大丈夫。わたしは今、幸せだから。」


書き続ける勇気になっています。