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頑張っている人が必ず報われる世の中になったらきっと素敵だけど 頑張っても報われないから 頑張っていないわたしが報われている



仕事ってやめたいものだ。

好きを仕事にしたいものだ。楽してお金がほしいものだ。世界が崩壊して、みんな好き勝手生きていけるようになってほしい。

努力って続かないものだ。

1日中YouTubeを見てTwitterをしていたいものだ。勝手に冷蔵庫の中に好きな飲み物が補充されたらいいし、勝手に自分の机に美味しいご飯が運ばれてきてほしい。毎月50万くらい振り込まれてほしいし、それを節約した気になって自然と貯まったお金を持って大きな買い物をしたりしたい。


「頑張っている人」ってすごいな。

「頑張っていることを頑張っていると思っていない人」はもっとすごいな。

「頑張ることが見つかっている人」が羨ましいな。

自分の人生がよくわからなくなって段々と脳のシワがなくなる。考えることを止めようと思ったころには抜け出せないところまで来てしまっていた。

どこか会社に勤めていたら、だんだんと責任が重くなって。最初に比べたら自分はこんな仕事が出来るようになったよ、とか。後輩には頼もしい先輩だと思われたりして。そうしてもっともっと頑張ろうって。そんなこと思ったりするのかな。わたしだったら思うだろうな。いや、思っていたんだ、昔は。

好きなことを本当は頑張りたい。

けれど好きなことは飽きてしまうし、好きではないことはそもそも続かない。

頑張る方向は決まっているはずなのに、ゴールが見えないからいつまでもスタートラインの後ろでうずくまっている。




ただ漠然としたもの



今日でわたしは、noteを毎日更新し続けて30日が経ったらしい。

ものすごくあっという間に感じた。誰でもないわたしがそんなに書くことがあるのかと思う瞬間もあった。

この30日間は「頑張ったこと」になるのだろうか。お金にもなっていないし、誰かの人生を変えたわけでもないし、もっと言えばわたし自身の人生は何も変わっていないわけで。

そんなわたしを見て「頑張っているね」と言ってくれる人はいるだろうか。いや、いてほしくないな。もしこれが頑張っているのだとしたら結果が出ていなさすぎて食べたご飯がすべて出てきそうになる。

30日くらいじゃ足りないのだろう。でもきっと続ければいいってものでもないこともわかってる。今日もどこかで、ぽんっと可愛い少女があげた自撮りのいいね数は際限なく増え続けている。

そんなすぐ横で、泣きながら文章を書いている自分がどうも好きになれない。

苦しい。いつもだったら飽きてしまうはずなのに。noteはずっと続けられてしまいそう。飽きてしまえれば楽なのに。どうせなにも生み出せないのなら。


頑張った結果、何も残せなかったらその頑張りってやっぱり無駄になると思う。無駄じゃないよと言ってくれる人ももちろん一定数いる。でも "経験だから" と言われた時、崖から突き落とされた気分になる。頑張りが必ず報われるわけじゃないからいつだって怖いんだ。だから頑張りたくない。頑張らないで得られる幸せをこそこそとかき集めている時が一番虚しい。報われた人を批判しても自分は永遠に報われない。そんなことも全部わかった上で生きている。ただ毎日呼吸している。


"頑張った結果何も残らなかった人" と "最初から何もしなかった人" が死ぬまで同じ位置にいるのが残酷で面白い。

でも頑張った結果何かを残したい。その何かを説明出来ないわたしは哀しいほどに才能と努力が足りていない。

それでもnoteを続けて何かが見えてきてほしい。いつだって人間は偶発的なものに頼ってしまう。

優しい言葉をかけてほしい。けど無責任なことは言われたくない。どこまでも迷惑で我儘。孤独であることを嘆く前に、自分が腫れ物になっていることに気づきたかった。


もうみんな頑張ってて偉いな。でも本当?

生きてるだけで偉い?本当にそう?君はわたしの人生のことなんか何も考えてないくせに。意地悪だね。


書き続ける勇気になっています。