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良いエッセイは、女の子にしか書けませんか?


「君じゃない方がいいな。」

心が二度見、いや三度見はした。

身体の中がぽろぽろと崩れていく。手は相変わらず荒れているし、どこにも染まっていない気でいたけれど、わたしはしっかりとその場その場に染まる人間だった。

乾いた表情に火をつけたい。
潤いとか、瑞々しさとか。人との関係があって、そこから前にどうしたら進めるのか忘れてしまった。方法は誰かに聞けばよかったけれど、どうせ答えなんか聞く気がない。


文句があるのであれば、ひとりでも生きられるように進むしかなかった。誰かにぶつけることが出来ない感情があって、それを相手にぶつけたらぶつけたで自分が虚しくなることがわかりきっていて。そういう繰り返しできっと体と心は消耗していく。仕事のストレスなんてものは少し、当て付けだ。

やるせないという感情を持つことすら烏滸がましいのかもしれない。わたしの周りには人がいて、家族がいて、友達がいて。ただそれなのに天涯孤独な気持ちになる。

愛する人といつまでも一緒にいれるわけでもなければ、友情はいつの日か脆くなって消えてしまうかもしれない。どんなに心地の良い時間もいつか終わり、どんなに悲しい時間も同じ色では居続けられない。


ほんの些細な日常を踏んでいる。
そこで膝をつくか、はたまた力強く踏み込めるか。その違いは、心の強さだろうか。本当はもっと、違う景色。自分のことをひとつひとつ肯定するために。


女の子になりたいと願う。
その日々の延長を、永遠に生きる。

わたしにとっての生活と、性のエッセイ。振り返った時に、わたしがどんな心で生きていても思い出せるようここに書き残している。好きなことをする、それよりも大切なこと。それはもしかすると、どうすれば自分を肯定出来るかを覚え、そして自分を理解することなのかもしれない。



わたしの日常と生活。
わたしはとある飲食店で働いている。
もうここで働いて早いもので一年と半年は経っただろうか。

副店長であるわたしは、やさしい従業員に囲まれながら伸び伸びと働き続けている。


そんなある日、お店にエリアマネージャーの人が来た。エリアマネージャーは簡単に言うと本社の偉い人だ。普段は顔を合わせることもあまりない。ただたまに現場確認と称して、お店に来ることがあった。


「君が、いちとせさんかな。」

わたしの名前を、エリアマネージャーの方は知っていてくれた。後から聞いた話によると、店長だけでなく補佐として店を回しているわたしの名前も本社ではどうやら周知されているらしい。

名前を知ってくれていることが、何と無くわたしは嬉しかった。そして店長がその日不在だったこともあり、わたしは店のことを細かく聞かれた。困っていることや、今後の店のこと。沢山の言葉で気遣ってくれた。手厚いフォローを受け、店の運営に不安が多かったこともあり、わたしはとても安心出来た。


肩の荷が下りる。
色々と話をし、「じゃあいちとせさん、わたしは店を少しぐるっと回るから、また話聞かせてください。」と、そう最後に言い、エリアマネージャーの方は店内を闊歩し始める。わたしはそのまま店のオペレーションに戻った。


いつものように接客をし、厨房で調理をした。その姿もマネージャーの方には見られていたけれどそこまで気にならなかった。間違ったことなど普段から何もしていないし、割とわたしのいるお店の従業員は真面目な人が多かった。

特に何か指摘されたり、怒られたりすることなく終わる。そう思っていた。


わたしはいつも通り、調理をしていた。自分が担当していた料理を完成させ、そのままお客さんの元へ提供をしに行こうと思った、その時だった。


「いちとせさんが、いつも提供をしてるの?」

マネージャーの方に後ろから呼び止められた。わたしは少し困りながら「はい、場合にはよりますけど…」と返す。

するとまた、言われる。


「あそこに手が空いてそうな女の子がいるでしょ。あの子に持って行かせなさい。女性が提供した方が印象がいいからね。



それを聞いて、わたしはわかりやすく二、三回まばたきしてしまった。


わたしは、女の子ではありませんでした。

けれど、わたしは自分が"男性"というだけで心を潰されたような気持ちになった。


ここからは話が少し逸れてしまうけれど、わたしの容姿は人よりも劣っていると思う。本当はそんなこともここには書きたくはないけれど、20何年も生きてくればおおよそ自分の容姿がどの辺りに位置しているかなど、理解せざるを得ない。人によってどこをどうかっこいい、可愛い、素敵と思うかの違いは勿論ある。わたしにだって好みはあり、これを読んでくれているあなたにも好きなタイプのひとつやふたつはあるだろう。


ただわたしはずっと、女の子ではありませんでした。


わたしは、男性です。
ただいつの日かわたしは正真正銘の女の子になりたいと思っている。いまでも家にはスカートとワンピースを部屋に仕舞っているし、化粧道具だって持っている。必死に、毎日のように女の子になりたいと願い、その姿に近づこうとしていた。


けれど"そんなこと"をマネージャーの人は知っているはずもないし、知っていたところで、わたしの性の容姿が変わることなどなかっただろう。



話を戻す。

マネージャーの方の、その一言が苦しかった。
自分自身が女の子ではないことを当たり前に痛感した。なりたいとわたしが願っている、目の前にいた"女の子"に自分の仕事を渡すしかなかったことが苦しかった。


わたしにだって、印象がある。
わたしにだって、出せる笑顔がある。

ただ"そんなこと"は、世の中の大半は見てくれないのだろう。容姿も優れていないわたしが全力で柔らかい表情を持ったとしても、天然の女の子には勝てなかった。他人は、その努力をなかなか見てはくれなかった。


ただもっと、もっとなのだろう。

わたしが最初にマネージャーの方と顔を合わせたときに、誰にも辿り着けないような素敵な表情をしていればまた話は変わっていたかもしれない。「いちとせさんは女性ではないけれど、印象がいいから提供に行って大丈夫。」と言われていたかもしれない。そう思えれば、またわたしはより強く、"かわいい"まで進めるのかもしれない。


一言に詰まっていた。

ずっとわたしは"そんなこと"で苦しみ、涙を流している。こうして書いている時間もわたしにとっては苦痛だった。それでも書くのをやめないのは、書いていることでわたしを"女の子"として見てくれる人がいてくれたからだ。


なりたい姿になる方法。
それがわたしにとっては書くことだった。

幻想でも錯覚でもない。
わたしは書くことで女の子になれる。

誰しもがいくら歳を重ねようとも、なりたい"姿"というのはあるのではないか。就きたい仕事、住みたい場所、持っていたいお金。それよりももっと原点のような"姿"がある。


それをわたしは見失わない。
女の子になるために、わたしは女の子よりも可憐に。そして艶めき、楚々とした姿になる。

この文章はまだ、人生の途中の話。
文句なんて、ない。表情を瑞々しく、そして潤す。そう生きれば、他人からの言葉という名の火をつけられたとしても、一瞬にして消えるのです。



わたしは誰のことも傷つけずに見返したい。

女の子じゃなくても、良い笑顔だよ。
女の子じゃなくても、柔らかくなれるよ。
女の子じゃなくても、良いエッセイを書いてみせるよ。

そしてもっと先の未来。
わたしが"女の子"になったその日。
あらゆる"自分"をわたしは肯定出来るだろう。


誰かから見たら"そんなこと"と思われるようなこと。それにこだわっていたい、こだわって生きたいのだ。


大切にしたい心。
生活と、些細な日常から零れる一滴。

誰よりも掬い続ける。
他人が大切にしているものと、自分の大切にしたいもの、それは全くの別物だ。もしたまたま似たものを大切にしていたとしたら、それは偶然であり、手を繋ぐ機会だ。


肯定し続けたい。

誰から見ても、自分のなりたい姿になっている未来を。

自分が自分として染まる。

心の鏡に映った姿を、もっと見てあげてね。


書き続ける勇気になっています。