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煙草をポイ捨てした君の姿を見ても わたしは君のことを嫌いになれなかった


交差点に立っていた。
わたしはどこへ行くか、それを迷っていたわけではない。ただひたすらそこで葛藤し、汗を流す自分と会話をしていたかった。

君との日常は、全て夢だったのだろうか。
こうして君との記憶の欠片。それを捨てずにいること。そんなことを君は知る由もない。この気持ちを誰かと共有したいと願ったとして、本当に伝えたかったのは君だけだったのだ。だからこんなにも上を向くのが苦い。


学生時代に戻りたくはなかった。
わたしはどうせまた同じことを繰り返すだけだからだ。選択する場面にまた落とされたとしても、わたしは同じ欲を同じように優先する。傷つける相手を変えることはなかったのだろう。



まだ大人にもなる前。
19歳かそこらの時にわたしには恋人がいた。

天真爛漫で、ただわたしの前では少し冷静で、どことなく色気のある恋人だった。


高校を卒業し、大学へと進学したわたしは、特に楽しみもなくただただ勉学に勤しんでいるだけの学生だった。それでもわたしには高校時代からの同級生の恋人がいた。その事実と生活だけでわたしは十分すぎるほどに幸せだったのだ。


そんな当時、恋人からいつもと違う調子のメッセージが届く。


「しをり!久しぶりにみんなで呑みに行こうよ!」



"呑みに行こう"という言葉が、わたしには初め理解が出来なかった。その当時わたしはまだ20歳にもなっていない。勿論恋人もまだ未成年だ。けれどその頃はそれが普通なんだなと、何となく周りの風景に納得するのにわたしは必死だった。



後日、4人の高校の同級生が集まった。勿論恋人もいて、わたしもいる。共通の友人で組まれた、特に何の問題もない会だった。


ただ、店は居酒屋だった。
本当にくだらない真面目さかもしれない。わたしはお酒は20歳からと学んで生きてきた。当時のわたしは19歳で、今のわたしは今年で27歳になる。大人になった今、そんな年齢制限を律儀に守っている人が少ないということ、それは理解している。それでもわたしは当時からそういうものを破れない人間だった。


店に集まり、久しぶりに会う面々。
気持ちは高揚した。大学生活は正直少し退屈だった。浮かれた気分そのものに飢えていたのかもしれない。高校時代の友人は今までと何も変わらず、わたしと一緒にいて笑顔になり、思い出話には簡単に花が咲く。



けれどわたしは、空気が読めなかった。


「しをりもお酒飲むでしょ?」

そう恋人に言われた。
当然飛んでくるであろうと予想していたにもかかわらず、その言葉にわたしは怯む。


「い、いや…いらない。烏龍茶でいいよ。」


わたしはその日、一番小さな声でそう答えた。その時の周りの表情をわたしは鮮明に覚えている。さっきまでの笑顔が嘘みたいに凍りつき、わたしを軽蔑するような表情を全員がした。


「そっか〜、じゃあわたしはビール飲もうかな〜」

そう恋人は続けた。
そして周りの友人も皆多分お酒を頼んでいた。
お酒の名前もよくわかっていなかった当時のわたしは、何も気づいていないふりをするだけで精一杯だった。



『ごめん…』

と、わたしは誰にも聞こえない声で呟く。

恋人と友人たちが気持ちよさそうにお酒のようなものを飲む中、運ばれてきた烏龍茶のグラスにわたしは口を付け、溢れ落ちてきそうな涙をぐっと堪えた。

わたしは期待に応えることが出来なかった、そして詰まらないことを守っていること、それを心の中で激しく嘆いた。



それでも恋人と一緒にいれたこと、友人に久しぶりに会えたこと。それはとても楽しい時間だった。ただそこには少しの嘘も混ざっている。それでもわたしは"楽しかった"と言い切らなければ、今の今まで自分を保てなかったのだ。



その日からというもの、わたしは恋人と些細なことで距離を感じるようになった。恋人はお酒を飲み、煙草を吸い、わたしが行ったこと、体験したこともない大人の世界を、恋人はわたしのいないところでスポンジのように吸収していった。

それに付いてこれなかったからか。
はたまたわたしは大した恋人ではなかったのか。20歳になる手前で、わたしは恋人に一方的に振られた。その時、特にわたしは恋人にしがみ付くこともなかった。というよりは、出来なかったのだ。これ以上恋人の期待に応えられないことを肌で感じ取っていたから。そしてこれは自分の我儘かもしれないが、恋人がここまで姿を変えるとは思わなかった。けれど恋人からしたらわたしのことも当然、期待外れと思っていたかもしれない。



月日は経ち、わたしは大学を卒業した。

そして次に待っていたのは、学年全体が集まる高校の同窓会だった。当時はまだ友達の多かったわたしは、勿論その会に参加した。大人となり、わたしはお酒も嗜み、煙草も吸うようになった。

今更劣等感や、やりきれない感情が襲ってくることはない。

自信を持ってその同窓会に参加した。


会自体は、主催者が大きなお店を借りてくれたお陰もあり、飛び切り楽しい空間だった。当然わたしも久しぶりの友人との再会もあり、お酒も進んだ。


そしてその日、わたしは"彼女"にも会った。
さっきも話していた、19の時に別れた"元恋人"だった。

彼女とは別れてからも不思議と連絡を取り合う日は続いていた。思っていたよりも近いうちに再会をしていたこともあり、同窓会の場で顔を合わせるのは久しぶりのタイミングではなかった。



会もお開きの時間が近づいた頃、店の外でわたしは彼女とふたりきりで対面する。


「しをり〜!楽しんでる〜?」

そう彼女は気さくにわたしに話しかけてくれた。変にかしこまることはない。わたしと彼女は、ただの友人に戻っているのだから。それでもわたしは彼女のことが好きで好きでその時も堪らなかったことは、本当は言いたくない"事実"である。



店の外で彼女との話も弾んできた時だった。

彼女は外の、喫煙スペースでもなんでもない道路で煙草に火を付けた。そしてわたしを見て彼女は言う。


「あれ、しをり今日は煙草吸わないの?」


わたしはまた言葉に詰まった。
あの時と一緒だ。20歳になる前の、あの居酒屋の時と同じだ。



数秒間の沈黙を経て、わたしは


「今日はあんまり吸う気分じゃないんだよね。」

と、嘘をついた。


そしてその時、彼女はまた詰まらないものを見るような目でわたしを刺していたこと、それが今でもふとした時に蘇ってくる記憶のひとつではある。



彼女は煙草をふかし、吸い終わった煙草は捨てる場所があるわけもなく、吸い殻はわたしの目の前で道路に捨てられた。


またわたしは見て見ぬ振りをした。それをその場で指摘しようものならば、わたしの心にも、彼女との関係にも亀裂が入ってしまうと思ったから。



そして、同窓会は終了する。

彼女たちと解散をした駅の改札口。
わたしは帰るふりをし、引き返した。
彼女がポイ捨てした煙草を見つけに。


わたしはもう彼女のなんでもないのに。
わたしは何を守っていたのだろう。

そっと手を伸ばし、ひとつの煙草をわたしは拾い上げる。


「ごめんね」とアスファルトに話しかけるわたしは、誰に謝っていたのだろうか。




"君"のことを、わたしは嫌いになれない。
たった一度だけれど、わたしは君のことを世界で一番好きで愛したいと思ったから。でもどうしてわたしはその時、泣いてしまったのだろうか。



別れた後も、君はわたしの誕生日にプレゼントをくれた。

20歳を過ぎてからはヘビースモーカーになったわたしに気を使ってか、君はヴィヴィアンの携帯灰皿をくれた。


「しをりがいつでも煙草を吸えるようにと思って。」


そう君は言った。
わたしはそのプレゼントに何か返すことはなかった。けれどその携帯灰皿は大人になった今でも大事にとっておいてある。

その携帯灰皿を、わたしは同窓会のその日も持ってきていた。何に使うつもりだったのか、わたしはわからない。それでも君との何かのきっかけになることを願って、わたしは鞄にそれをいれたのだと思う。


拾い上げたマルボロの煙草。
わたしはそれを君からもらっていた携帯灰皿にそっとしまった。



それ以来、わたしはその灰皿を開いていない。
社会人になってからわたしは何度も引っ越しをしているが、その度開けていないダンボールがある。

"忘れたくないもの"と書かれたそのダンボールに、わたしはその灰皿を入れている。わざわざ開けることはない。ただ自分の好きな人からもらったものを、わたしは捨てられなかった。女々しいだとか、未練がましいだとか。言われても構わない。


わたしは君を嫌いになれなかった。いまでも。


20歳になる前にお酒を飲んでいたこと、煙草を道路にポイ捨てしたこと。そんなことで嫌いになるのもおかしな話かもしれない。偉そうに"嫌いになれなかった"なんて言うものでもないのかもしれない。


それでもわたしは、どんな君の姿を見ても嫌いにはなれなかったと思う。


大好きだったから。
ただそれだけで嫌いになれなかった。

あの時の君との恋を、いまでも忘れることはない。

もう連絡も全く取らなくなった。と言うよりはわたしが一方的に連絡を返していないからというのもあるかもしれない。その当時の同窓会で会っていた友人とも、もう誰とも会っていない。


淋しいかと聞かれたら、淋しい。
けれどまた彼女と、その時会っていた友人たちにまたどうしても会いたいかと聞かれたら、少し悩んだ末に「会いたくない」と今のわたしは答えるだろう。


社会人になって、わたしは鬱病となり、パニック発作と共に生活をし、女の子ではないのに男の子に恋をし。自分自身、変わってしまったことは数え切れないほど沢山ある。それを今更理解してもらおうとも思わない。こうしてわたし自身も変わっていることがある。そういう意味では彼女と同じだ。


ただ今まで楽しかった思い出が全て無駄だったとも言いたくはない。そして一番に言いたいのは、まだ彼女のことが、君のことが好きだと言うこと。


この後に及んで、まだそんなことを言っているのかと自分でも呆れる。ただわたしにとって恋はそれくらい厄介で、切っても切れない幸せだったのだ。


これからもわたしは"人"を好きになり、"人"に恋をするだろう。そして恋が始まれば、わたしはその相手をきっと一生嫌いになることは出来ない。



これを読んでいるあなたはどれくらいの大きさで、重さで「好き」を伝え、叫んでいるだろうか。結婚となればまた別の話だけれど「好き」と言ったら一生愛さなければいけない決まりなどない。


それでもわたしは「好き」を本当の意味で伝える時、いつだってその気持ちは一生ものだったのだ。だからこそわたしも一生ものの「好き」や愛が欲しいと思う。


"愛されたいなら、まず誰かを愛せばいい。"

わたしはそんな言葉があまり得意ではない。
愛さなければ愛されないなんて、捉え方によってはとても残酷だ。それでもわたしは好きな人を自分から愛したい。


好きの形は人それぞれだ。
そして人は当たり前に変わっていく。
好きと伝えた次の瞬間別人になることもある。


灰皿とともに、わたしの心と記憶が忘れられることはない。くだらなくて結構だ。これがわたしの愛の形であり、「好き」を求めた結果なのだから。


書き続ける勇気になっています。