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書くことが出来なくなってしまいました


でも、書きます。
自分は今、書くことしかありません。わたしは飲食店で働いてはいますが、フリーターです。週5で勤務し朝5時半から15時くらいまでのシフト制です。収入はこれを読んでいる皆さんの想像通り、多いわけがありません。わたしは今年で27歳、そして独身です。そもそもわたしは友人がひとりもいません。学生時代は人並みに友人がいました。けれどわたしは新卒で入った会社でパニック障害を患いました。便器に顔を突っ込み、嘔吐する日々でした。楽しい人生なわけがありません。ただ死ぬ勇気もありませんでした。自分の能力の低さを何度も、何度も痛感しました。努力は誰よりもした、つもりでした。けど、届きませんでした、伝わりませんでした。気づけば誰の連絡も返さなくなり、そして来なくなりました。

そんな時にわたしが辿り着いたのがnoteでした。noteを書いてからパニック障害も徐々に落ち着いてきていました。わたしが唯一続けたいと心の底から初めて思えたものかもしれません。人よりも兎に角書いて、素人ながらも自分にしか書けない文章を目指し、もがいていました。たった10数文字のタイトルを決めるだけで何時間も時間を費やしました。わたしには他にやりたいことなど何もありません。だからこそ誰にも負けたくなかったのです。勝ち負けではないことはわかっていますし、わたしがこの場で誰よりも"強い"なんてこと、あるはずがありません。ただわたしは当たり前に自分の座ることの出来る椅子を探していました。ここから生きていくために必死でした。誰かと繋がりたいとか、誰かと共に楽しみたいという気持ちは二の次でした。何故ならわたしはわたしの文章が一番読まれたかったのです。考えて考えて、人に頼ったりもしました。仕事依頼の記事を書いたときも自分の身をザクザクと削っているような感覚でした。なにもありません。それでも何かを生み出し続けたかった。今は非効率とまで言われるようになったnoteの毎日更新も、わたしはなんの根拠もなく続けています。"毎日"書くことは苦しくなかったです。むしろ書かない日、書けない日が何より怖かったです。自分のことを誰かが折角覚えてくれたとしても、わたしはほんの一瞬でも休んでしまったら忘れられてしまうと思っていました。

そしてわたしは昨日、9/30にnoteを書いている3人の方と会いました。わたしの大好きな3人です。言い方が大雑把で申し訳ございません。ただ今日は気取った比喩は少し置かせてください。その日は会うのが初めてではありませんでした。noteを書いている人と「久しぶり」と目の前で言葉を交わす日がこんなにも早く来るとは想像もしていませんでした。何故ならわたしは好きでもない孤独を選び続けていたからです。絶対に褒めてもらえるような関係だけで固めるのは自分の成長を止めてしまうと誤認していました。大好きな3人は、わたしの書くことを仕事にすることにいつだって真剣に考えてくれました。それを当たり前と思ったことは一度もありません。「どうして?」と心のどこかで涙を流しながら聞いていました。昨日会った時はとある喫茶店で沢山話をしました。noteのことは勿論、皆さんは自分のやりたいことを伸ばすことに言葉の通り真っ直ぐでした。かわってわたしはそこまで真っ直ぐではありません。誰かの文章に毎日のように嫉妬し、勝ち負けを決めたがり、簡単な気持ち(実際は違う)で文章を書き、それを評価されている人を憎んでいました。あなたがいなければその椅子はわたしが座れたかもしれないのにと、勝ち負けにこだわっているはずが、他人の不幸を願うばかりでした。

そしてわたしは昨日、3人と話している最中にその日のnoteをいつものように18時半に更新していました。目の前に3人がいるにもかかわらず、わたしは自分のnoteの更新を優先しました。書き終わってはいたのでハッシュタグをつけて投稿のボタンを押すだけではありました。その姿を見て3人は「気にしないで」と言ってくれました。今思えば言って貰えて当然と思っていた自分がいた気もしてしまいます。そこから自分はなんとなく違和感を持ち始めます。すぐ目の前の人と同じ空間にいるはずが、またわたしは孤独を選んでいたようです。自分のことがわたしは一番可愛くて目立ちたがりです。容姿からはきっと想像がつかないかもしれませんが、わたしの根底の色はきっとそうです。そしてわたしは誰かを傷つけることに鈍感になってしまいました。昨日あげたnoteはわたしにとって少しの挑戦でした。それは「大嫌い」という言葉を使ったということです。わたしは傷つくのが怖いですが、それよりももっと、誰かを傷つけることが怖かったのです。昨日のnoteは間違いなくわたしの本音ではあります。ただ違う言い方があったはずだと今からでは遅い後悔をしています。別に昨日のnoteだけが誰かを傷つけているわけではないこともわかっています。どの記事でも、わたしの文章を読んで傷ついている人はいるかもしれません。それでもわたしは誰かを意識的に傷つけるような文章や、誰かの弱い部分を面白おかしく書くことが出来ませんでした。というよりはそのことを何より自分は気にしていました。

文才がある人とは話が別ですが、単なる肯定的な文章はどこか退屈でした。自分の文章もそんな気がしてしまったのです。だから「大嫌い」を使ってしまいました。そして今「スキ」の数を見てもきっとわかるとおり、昨日のわたしのnoteは他の自分のnoteに比べて読まれることはありませんでした。人を意識的に傷つけ、そして自分の文章も読まれない。わたしは「書くこと」を裏切ってしまった気分になりました。そんな内容を18時半に投稿して、それからわたしは3人と話をしていても突然言葉が出てこなくなってしまいました。時刻は確か20時をまわった頃。人を傷つけた自分が情けなくて涙が溢れそうでした。腕の震えがそこから止まらなくなり。そしてどうにもわたしは耐えきれず、気づけばわたしは喫茶店のトイレで吐いていました。今すぐ更新したnoteを消してしまおうかと思いました。苦しくて、泣きたくて。でも3人にわたしの醜い姿を見られたくなくて。自分が"いちとせしをり"ではなくなったような気がしました。どうにも自分の心を掬うことが出来ず、わたしはお金を置いて店を飛び出してしまいました。パニック障害が再発し、過呼吸でした。その時わたしは200日以上noteを毎日書いていて初めて「明日はnoteを書きたくない」と思ってしまいました。店から一刻も早く離れようとしましたが、もうわたしの身体は痙攣し、立つことが出来なくなっていました。そんな醜いわたしを追って、3人はわたしを抱きかかえてくれました。「どうして?」とわたしはまた思います。ただ心の底から「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返していました。口を動かすことも出来ず、唯一少しだけ動く右手だけが頼りでした。3人が咄嗟に用意してくれたノートにわたしは必死に自分の気持ちを3人に伝えました。道端で倒れこんでしまったわたしは、自分の肌を街中の誰にも見られたくありませんでした。そんな時、3人はわたしの手をぎゅっと握ってくれました。痙攣し、わたしの手の感覚はなくなっているはずなのに、その手は本当に温かかったです。それからわたしは書きたいことが頭の中で無数に駆け巡りました。やさしくありたい。もっと自分を可愛く書きたい、そして何よりわたしは女の子になりたい。わたしは今、女の子ではありません。わたしは今までオブラートに包み、そして曖昧にしていましたが、やっぱり男の人のことが好きでした。

今までの経験上、自分の場合身体の痙攣と過呼吸は20分もあれば収まりました。けれど昨日は今日のこうしてnoteを書いている今も完全に治ってはいません。普段わたしはパソコンでnoteを書いているのですが、初めてスマホで書いています。読みやすいように改行もろくに出来ていなくてすみません。今のわたしの身体は左側が全て痙攣し、動かせません。食べたものは全て吐ききり、胃液が口から漏れています。一人暮らしのベッドの上で横になり、必死に右手だけを動かしてこの文章を書いています。はたから見たらこれは惨めな光景でしょうか。自分でも自分が可笑しいと思います。文才も、実績もないのに、わたしがこうして毎日書いていることの意味を捉えることは出来ませんでした。それでも今、書いています。わたしには書くことしかありません。きっとそれも思い込みです。飲食店での仕事以外は全て書くことに捧げています。人と会うときは必ず「書くこと」について話をしました。もう、止められません。そして辞めません。

次の日、つまり今日は早朝からどうしても飲食店での仕事が外せなかったため、わたしは3人に助けられながら昨日はタクシーに乗り込み、家に帰ることに成功しました。ここで言うのもおかしいですが、本当に本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。0時半に家に着いてからも過呼吸は止まらず、結局一睡も出来ませんでした。朝4時に家を出て、歩くことすらロクに出来なかったわたしはまたタクシーをつかまえ、職場に向かいました。いつもであれば15時までは働くのですが、今日は店長に無理を言って9時であがりました。たった数時間働いただけですが、月初めで尚且つその時間にある仕事はわたしにしか出来ないものでした。つまりわたしが急に休んでしまうと店長ですら困ってしまうのです。職場に入る前にわたしは痙攣した左腕に噛みつき、震えを収めようと必死でした。お客さんの前では笑顔を絶やしませんでした。心臓は今にも身体から飛び出し、口からは吐瀉物が流れ出てきそうでした。でも、耐えました。わたしはわたしにしか出来ないことが「書くこと」と同じように生き甲斐だったからです。昔働いていた会社員時代にやっていた仕事は誰でも替えの利くものでした。経験も能力もない、当然でした。今だって書くことに対して経験も能力もありません。それでも"いちとせしをり"を見せたかったのです。自分の涙を踏み台にして、誰よりも書き続けようと人生を進んでいます。

苦しいです、書くことは。それでもやめられません。noteにいる人、そして書くことを仕事にしている人。あなたはどんな気持ちで普段言葉や文章を書いていますか?誰に向けてその言葉を書いていますか?誰の心を想像していますか?どのくらいの気持ちで記事にコメントを添えていますか?どんな気持ちでSNSでシェアしていますか?その答えは別に知りたくもありません。ただ投げかけてみたかったのです。

わたしは「書きたくない」と思っても書いていました。身体はまだ上手く動きません。明日には収まることを願って、このnoteを締めさせていただきます。読んでくださり本当にありがとうございます。そして明日も必ず書きます。だからわたしを見ていてください。絶対に。


書き続ける勇気になっています。