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日常を

新年あけましておめでとうございます。
年末年始はバタバタと睡眠不足だったけれど、寝正月したら非常にスッキリした気分となっている。

この調子でnoteを再開したいと思う。
もっともっと、日頃から文章を書く楽しみを感じていきたい。

見ないふりをしていた問題

多様性の時代といえども、社会的に偏見があるような決して友人にも言えないような問題を私は抱えてる。
そのことを考えると憂鬱で仕方なく、数年、数十年後どうなっているか考えるだけで気が重くなっていた。この問題が発生したのも10年ぐらい前のことで、年月が経てばまあまあ落ち着いてくるでしょうと楽観視したこともあったが、状況がより悪化していることを最近知ってしまった。

年に数日ぐらいそうやって事の重さに悩み、その他300日ぐらいは見ぬふりをして元気に暮らせているから私は幸せな方なのだろう。しかし理想を言うならば、その大きな問題がない状態で365日過ごせている方がいい。

例えばこういうような、自分がどう動こうが状況が変わらない難解な問題は人それぞれ抱えていると思う。そういった時にポジティブに、楽観的にいれば問題は解決の方向に行くしなんとかなる、そう私は信じていたが、そうもならない問題はあるんだと小さな絶望を持った。

私は20代後半であるので、今後50年は生きるとする。
その期間、呪いのように纏わりついてくるその問題と共に生きていくことに大きな不安を持った。結婚もあるだろう、キャリアアップもあるだろう。その中で、「ボーナスタイム」のような、ここまで苦労したからこんなに素晴らしい人生を迎えられたんだ、死ぬ時に本当に良い人生だったという実感を今後完全に持つことができないのだろうか、と悩み苦しんでいる。

今ボーナスタイムに入ったばかりだから

「人それぞれの地獄がある」という言葉は自分の中で大切にしていて、人には人が想像できない地獄があると思っている。
話を聞いたり、自分の経験と照らし合わせて想像することは何割かはできても、当の本人の解像度で知ることはできない。
だから、人の地獄と自分の地獄は比べないようにしているということは最初に伝えておきたい。

現在私はボーナスタイムを生きていると思う。
もう少し具体的に言うと、「あの苦難があったから今がある」と少しでも、ほんの少しでも思える瞬間。苦難の時期は、花も咲かせず、種も撒けず、自分の人生をもう一度やり直したいかと聞かれてもそうは思わないぐらい。

今は苦難の時期のほとんどを乗り越えれた実感がある。ほとんどであって、一部を除いてではあるが。予想外な出来事が起きたりして苦難の時期に戻るということが必ずしもないとは言い切れないかもしれないが、日々の暮らしがそこそこ落ち着いてきた。

その一部というのが私の抱えている問題である。
その出来事に直面している時は、ある意味解離的に「これは他人の経験として学べることを学ぼう」と自分ごととして受け止めきれないぐらいではある。
それでも自分自身のことであるから、心のキャパシティが達してしまうと辛くなることはある。

それでもその辛さを年300日は見ぬふりができるようになったのは、個人的な進歩に思う。問題を後回しにしているような自分都合な状況に思えるが、見ぬふりをしていかないと生活ができない。

部屋をきれいにして、規則正しい生活習慣をして、社会と関わる。それが私にとっての幸福だから、その幸福を守るために大きな問題を見ぬふりをしている。
例えが本当に悪いが、地雷のある土地で過ごすような気持ちである。いつか爆発する爆弾があっても、地雷のことばかり考えて過ごすと生活が損なわれる。どれだけ泣いてもどれだけ嘆いてもお腹は空くし、食べるためのお金は必要だから生活をしていかなければならない。

自分の力ではどうしようもない問題が起きた時こそ、日常に目を向けて日々の生活を一生懸命に生きることが必要なのではないか。
環境を変えられるものなら、問題から極力離れたところに移動することも良いことだと思う。
逃げではなく、懸命な判断と思っている。自分にできることがあるだろうと立ち向ってゆく正義感のある人こそ、自分の生活を守ってもいいと思う。立ち向かうべき時は今じゃない、立ち向かえる人が自分の他にいるかもしれないし、問題を解決できる能力がついたときは、それを問題とすら思わないほど冷静に対応ができるはず。
だからその時を待ち、盲信的に生活だけを守っていくことも手だと思っている。

終わりに

本当のことを言うならば新年早々悩みたくなかったが、問題に立ち向かうことをやめた今は少し楽な気分になった気がする。
問題を見ぬふりをすることは、以前まではやることを後回しにするような怠惰のように見えていた。しかし、他に考えるべきことを考えるための手段だと今は思えるようになった。

頭の隅々まで悩み事が支配して、優先すべき事柄に気持ちが向かないこともあると思う。そんな時はよく休息をとり時間がゆっくりと癒してくれることを待ったり、気分転換に予定を入れてみたりして別の軸に自分を移してあげるのも問題解決には役立つと思う。

自分を大切にしようとよくいうが、こういったことも自分を労わる一つの方法になるんじゃないか。

2024年に入って苦しく悲しいニュースを目の当たりにし、無意識の間にダメージを受けてしまう人がほとんどだと思う。
もちろん当事者の辛さは想像もできるようなものではない過酷さだと思うが、それぞれがそれぞれの場所で自分を労わり、日常を生きれるように少しずつ状況が良い方向へ向かうことができたらと思う。

ポジティブでいられなくとも、一生懸命に日常を生きていけるように私も頑張っていきます。
2024年もよろしくお願いします。

2024/01/02

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