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神のcreation(被造物)&子育ての思い出話

今回は、再び子育ての思い出話&がっつりACIMの話です。


ミニ野獣

幼稚園のころ、息子は担任の先生を困らせていました。
あのころはまさに「ミニ野獣」。
意思の疎通がなかなか成立しませんし、多動も激しい状態でした。

発達障害児のこの時期は、ともかくも一過性。発達障害は「治癒する」病気ではありませんが、激しい多動などの症状は変化します。
現在進行形で保育園や幼稚園、小学校でのお子さんの様子に悩んでいる親御さんは、どうぞかそう覚えておいてくださいね。

こうした時期の対応には、コツがあります。
(幼児期に限らず、ずっとそうなのですが。)
発達障害児の特性に応じた対処が最適なのは、いうまでもありません。

親である自分の役割は、こうした対処法を園や学校の先生と共有すること。
私はそう考えて行動してきましたが、うまくいかないケースももちろんあります。

●●君をつねりました。
●●ちゃんを突き飛ばしました。
お遊戯に参加しません。
言うことを聞いてくれません。

幼稚園からの連絡帳には、連日そんな言葉が並びます。
最後には必ず「お母さん、●君(息子の名)をなんとかしてください」。
たぶんあれは、自筆に似せたハンコだったんでしょう。

この担任の先生は、「発達障害」というものを知らないと公言していました。
(このときすでに、息子は広汎性発達障害とADHDの診断を受けています。)
まあ、20年も前の話です。

私は何回か先生と面談し、障害の特性や対応法などを説明して理解を求めました。
そのときは真剣な様子で、メモなどしながら聞いてくれます。
ご自慢のストレートヘアをかきあげ、眉間にしわを寄せたりして。

しかし毎回、翌日にはいつもと同じ内容の連絡帳。
文末には「●君をなんとかしてください」の”ハンコ”つきです。

園長に相談しても、「私からも指導します」「昨日も話したのですが」などでラチが明きません。

子どもはみんないい子

この先生の持論が「子どもはみんないい子」。
どの保護者にも同じように言っていたようで、私も何度が耳にしました。

ウチにくる子は、みんなかわいくて、いい子たちばかり。
それなのに(※)。

突然ですが、ここで問題。

当時の先生の言葉で、(※)に入るのは以下のうちどれだったでしょうか!?

①●君(息子の名)は、おかしいと思います。
➁私になつかない子なんて、いるはずがないのに。
③お母さん、なんとかしてください。

正解は①➁③。ぜんぶ。

20年前とはいえ…
この先生、いま思うといろいろすごい。

子どもは神さまからの預かりもの 

「子どもは神さまからの預かりもの」なんて言ったりしますよね。
ACIM風に言えば、「あらゆるもの(の本質)は神のcreation」ということでしょう。

この「神のcreation」は、神に創造されたものという意味で「被造物」と言われることもあります。

日常ではあまり使わないと思いますが、この言葉はACIMに頻出します。
そして神のcreationは愛であると、繰り返し強調されます。

私たちはこの言葉の意味を理解していません。
そもそも「愛」という言葉に対して、多大な誤解をしています。
だからACIMを学んでいるわけで。

たとえば、
「ママ(あるいは先生)だーいすき!」
と無邪気に抱きついてくる子どもたち。

それこそが「愛にあふれる本当の子どもの姿」に見えるとしたら…

「そうでないなら、なにかがおかしい」という発想が生まれるでしょう。

次は、「その原因を探し出して、改善しなければならない」。

子どもはみんないい子なのです。
「いい子」でないなら、本来の姿に戻してあげなければなりません。
もちろん、まわりの「愛ある」大人たちの手で。

分離

ACIMは、こうした思考を「分離」と呼んでいます。

ACIMが考える「分離」は、自他分離の二元性を基盤にした概念。
あなたと私が別々の存在。
そういう自我の思考です。

でも実際、その「分離」は私たちにとって何なのでしょうか?
自分の人生で、どのように現れているのでしょう?

上のような例も、「分離」が私たちの人生に具体的にどう現れるかのひとつだと思います。

「子どもは神さまからの預かりもの」のあとには、ときに「子どもはあなたとは違う人間。子どもをもっと尊重しましょう」というような言葉が続くかもしれません。

それって、親子の分離を助長するのでは…?

私たちはいまのところ、「愛ある神のcreation」と「人間的な人格(人物像、人物イメージ)」を識別できない状態です。
それが混同されているあいだは、「相手はあなたとは違う人間なのだから、尊重しなければならない」という忠告は適切だと思います。

「もっと笑顔に」

子どもがこうなる原因は、親の愛情不足。
あなたがもっと笑顔にならなきゃダメ。
笑顔になって、お子さんをかわいがってあげなさい。

余談になりますが、私はこの手のありがたいアドバイスをたくさんいただいてきました。

もしいまあなたが、発達障害をもつ子に関してこうした「アドバイス」をされているなら、悪いことはいいません。
なるべく早く専門家の指導を受けてください。
正しい知識は重要です。

(ちなみに定型発達児の子ども相手なら、上記のアドバイスが該当する場合も多いと思います。)

まかり間違っても「はい、笑顔で息子をかわいがってやりたいと思います。じゃ私に、笑顔になれる時間をくれませんか。私に代わって夕食作りに来てください」とか言い返してはいけません。
それでは性格が悪い当時の私ですww

神のcreation

もし子どもたちが「神さまからの預かりもの」、愛ある神のcreationなら、かれらを変えるべきではありません。
変えるべきでもないし、変えられるわけがない。

しかしいっぽうで、ACIMは、私たちが「変える」決断を下せるものがあるといいます。

それは、自分に苦しみをもたらしている自分自身の考えです。

そしてもしそれが変えられるとすれば、それは(ACIMが言う)神のcreationではありません。

神のcreationは、人の手で変えられない。

それが例外のない、絶対原則とされています。

もし私たちの抱くその考えが変更可能なら、それは「思考上の誤り」であり妄想です。
リアリティをもたず、神のcreationではありません。
(ちなみにACIMによれば、creationは心が生み出す思考、概念のことです。)

やや難解な話になりましたが、ACIMの定義はそのようなものです。

でもそんな小難しい話より、もっと重要な点があります。

それは、私たちにとって「神のcreation」と「自分由来の思考の誤り」がごっちゃになっていること。
「変えられないもの」と「変えられるもの」の区別がついていないのです。
人の本質と人格の判別がつかないのと同じです。

他人のこうした混乱は案外よく目につくもので、「あの親は、子どもに干渉しすぎ」などとすぐに批判したくなります。

しかし、まさに自分自身の中でのこの混乱に気づいたとき、私はとても驚きました。
その驚きが、長年にわたって私にACIMを学ばせる原動力になっています。

願望の押しつけ

なぜこんなことをするの?
子どもはみんないい子のはずなのに。

こうした「子どもはみんないい子」的な考えは、しょせんオトナの願望です。
子どもの側からすれば、そんな願望を押しつけられても迷惑かもしれません。
(たぶん迷惑でしょう。)

さらに、「いい子」というのがまた怪しい。
「いい子」の基準は千差万別です。要は、個人の好み。

それは、ACIMが言う「思考上の誤り」かもしれません。

子どもは神のcreation。
ACIMが言う、「神の子」「キリスト」。
だから善なる存在で、「いい子」のはず…

私自身、ACIMを学ぶにつれてこうした混同が解消されていきました。
そして子育てが(人生も)、ずいぶん楽になりました。

あっけない幕切れ

担任の先生の理解が得られないなか、徐々に息子が「幼稚園、つまんない」と言うようになりました。

そろそろ転園かな…
そう思い始めたころのこと。

くだんの先生が、ある日突然来なくなってしまったんです。

息子が困らせすぎたんでしょうか。
それで仕事がイヤになってしまったのかも…?

なにはなくとも、ひとまずお詫びをせねば。
そう考えた私は、登園して話を聞いたその足で園長室に向かいました。

席に座ったままの園長先生。
心なしか顔面蒼白のような。

あの人ね…
吐き気が止まらないんですって。

え?!
び、病気なんですか?!


妊娠してました
仕事やめまーす!!

ですってよ…

そう言った園長の、あのひきつった顔。
忘れられません。
実話です。


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