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アンデス・フォルクローレ音楽研究家。
チャランゴ歴47年。他にギターと各種打楽器、ボーカルも少々。

略歴

二大老舗フォルクローレグループ「MAYA」の前身グループ「ボケチャギサ(1981-83年解散)」と「グルーポ・カンタティ(1983-89年在籍)」の初期メンバーとして活動し、80年代の日本のフォルクローレ業界の一翼を担う。

1987年、カンタティの一員として、国際交流基金の支援による「アミーゴ・ニッポン」音楽文化使節団員として2か月にわたって中南米7か国で公演。後、2か月間、カンタティの他のメンバーと共にネオ・フォルクローレのメッカ「ペーニャ・ナイラ(ボリビア・ラパス)」などで現地のグループやカンタティでの演奏。その合間に単身スクレ・コチャバンバで音楽修行。

1990年、自身のトリオ「タジェール・デ・ムシカ」が、89年に来日したアルゼンチンの「コスキン音楽祭」主催者サンチェス・コスキン市長より、「(川俣)コスキン・エン・ハポン音楽祭」90年日本代表として「アルゼンチンのコスキン音楽祭1990」に招聘され3回公演。
その後、ボリビア・ペルーに2度目の4か月にわたる音楽研修フィールドワークを行う。
帰国後、「(川俣)コスキン・エン・ハポン音楽祭」の主催者内の派閥間の「90年コスキン日本代表」に対する取扱いに相違が起こり、「90年コスキン日本代表」は幻となる。

以後、日本の「(川俣)コスキンエンハポン音楽祭」を中心とするフォルクローレ業界から一歩退き、また自身の音楽表現の追求のため細々とチャランゴソロイスト(佐野一弦)として活動。
1996年には日本初の全オリジナル曲によるチャランゴ演奏会。
2000年から2005年にわたってペルー・アヤクーチョ南部を中心にボリビア・ラパス、スクレ、ポトシ、コチャバンバにて音楽修行。特にペルー各地において民謡歌手コンクールの伴奏を務める。
2005年帰国後5年間、は主にペルー南部の伝統音楽と伝統チャランゴ奏法に着目した独自なオリジナル音楽を創作。
2010年から音楽人生の最終段階として、より良いリズムグルーブを目指し、それ以前より自身の演奏に生かすべく、さらにリズムに特化した研究を始め現在に至る。

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