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まっとうで必要なことは、つまらなかったりする

白状すると、自分は生活が苦手だ。1日1食になったり1日4食になったり、昼夜逆転生活になったり、寝なかったり寝過ぎたり。要は、定期的に生活が荒れる。そういうときは大抵、部屋にモノが散乱するし、洗ってない食器もいっぱいに溜まるし、洗濯物も溜まる。

掃除、洗濯、料理。自分はそういう生活の基盤になるものを軽視しがちなところがある。

その理由は、ときに忙しくて手が回らないのもあるだろうけど、それは表向きな言い訳かもしれない。それよりも、言ってしまえば「おもしろくないから」というのが大きいように思えてきた。

家にいても、おもしろいこと・たのしいことの誘惑はいくらでもある。たとえばYouTubeとか、本とか漫画とか、映画とか。スマホひとつあれば、生活というつまらない現実からいくらでも目を逸らし、どこまでも逃げることができる。

自分がワクワクするものを優先したい欲に「夜はちゃんと寝なきゃ」とか「家事しなきゃ」という義務感が勝てることは滅多にない。自分に必要なことだと頭ではわかっていても、おもしろくないこと・たのしくないことと向き合うのに苦痛を感じてしまうのだ。だから家事をするときにはよくラジオか音楽を流していて、自分の気分をごまかしごまかし、なんとかやっている。


「まっとうで、必要なことって、つまらないんですよ、きっと」

最近観返していたドラマ『最後から二番目の恋』の5話に出てきたセリフを思い出す。

「お兄ちゃん、正しいことしか言わないからつまんない」と妹から指摘された堅物な和平(中井貴一さん)をフォローするみたく、脚本家の千明(小泉今日子さん)はそう言ったのだった。

このシーンを観たとき、これまで「つまらないこと」を軽視してきた自分がいたことに気づいてハッとした。

まっとうで、必要なこと。つまらないこと。自分はそれを、おもしろいことよりも一段下にあるみたく思い込んでいた。でも、必ずしも「おもしろい」が上位なんてことはない。ときには、まっとうでつまらないことが必要で、大事な日だってあるのだ。

家事もちゃんと寝ることもそうで、ほかと比べて「つまらない」と感じるからといって、必要ないわけじゃない。おもしろいことが大好きなのはこれからも変わらないだろうけど、おもしろ至上主義じゃなくてもいいかなと今は思う。



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