負け顔
芸人さんのいじられたときの立ち回りとか表情的なものに、「負け顔」というのがあるらしい。「自分はいじられたときにムッとしちゃって負け顔ができない」と、ある芸人さんがテレビで言ってた。
負け顔をするってことは、いじられを認めることでもあって、だからそれに抵抗したい気持ちはわかる気がする。いじる側の方がいじられる側よりカッコいい気がするし、そりゃできることならカッコいい側にいたいよなぁ、とか。とはいえ、実際にいじられたときには、ムッとするよりも素直に負け顔できたほうか可愛げがある。可愛がられる。そういうわけで、負け顔できた方がいい場面でもそれができないと、その芸人さんは嘆いていたのだった。
わたしは「余裕で負け顔できるわ」なタイプだと以前まで思っていたけど、今年になって、そうでもなかったと気づいた。同時に「自分ってこんなプライド高かったのか……」とショックを受けた。別にできる人間とも思ってないし、何か指摘されてムッとすることはないけど。それでも、自分のダメさとかできなさを素直に受け止めるのに時間がかかったときに、初めて「できない自分を受け入れるのって、案外難しいかも?」と思うようになった。
できることなら、素直に負け顔できるような可愛げのある人間でいたい。たとえ負け顔できなかったとしても、カッコ悪いところとかダメなところを見せてくれる人が好きで救われてきたわたしは、せめてカッコ悪さに正直でいたいのに。小手先でよく見せようとして、うまくいくことなんてないって頭ではわかってるのに。
これまで、年上の知り合い数人から「いい意味で諦められるようになった」とか「自分の限界を知って、こういう自分にはなれないと知ってから楽になった」みたいな話を聞いたことがある。その人たちはきっと、その諦めた部分については素直に負け顔ができるんだろうなと思う。わたしももっと歳を重ねたら、いらんプライド捨てて、ちゃんと負けを認められる人間になれるだろうか。いつになったらカッコ悪いとこやダメなところを素直に認められる人間になれるんだ。
そんなわたしだけど、バトンズの学校の講義で古賀さんが「負け続けること、それでも土俵に立ち続けること」について話してくれたのは忘れずにいる。まだちゃんと自分のものにはできてないとしても、これからの人生でずっと大事にしていきたい言葉。
素直に負け顔できるような自分でいたいけど、「まだまだこれから」って諦めきれない気持ちは、やっぱり捨てたくないなぁ……と書きながら思えてきた。とりあえずいらんプライドだけは2021年に置いていきたい。
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