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よそ見してる“神サン”に見つけてもらえるまで

「あれがしたい、これがしたいと言ってるうちは、まださほどしたくないの。したいならするでしょう?わたしが本当にしたいことは、とっくにしたことの中にしかないわ」

友達に誘われて観に行った舞台『お勢、断行』で、お勢が言ったセリフ。お勢を演じる倉科カナさんは、狂気をはらんだミステリアスな雰囲気を醸し出しながら、そう力強く言い放った。

作品の内容は、大正末期頃に資産家の屋敷で起きたミステリーなのだけど、このセリフには、文脈とは全く関係なしにグッと迫ってくるものがあった。

あれがしたい、これがしたいと言ってるうちは、まださほどしたくないの。

彼女の言葉を、再び反芻してみる。自分に行動力がないとは思わないけれど、まさに「あれをしたい」「これをしたい」ばかりでそれを実現させるのに苦戦するタイプゆえ、自分に言われてるみたいに言葉が刺さった。

でも、したいことがあってもそれを実際にできるまでに時間がかかることだって、たしかにある。したいのにできないとき、それは必ずしもしたくないわけじゃない。

たとえば転職するにしても、夢への一歩を踏み出すにしても、好きな人に告白するにも別れを切り出すにも、ある程度の気力が必要。毎日の生活にいっぱいいっぱいのときに行動を起こすのは大変なことで、それを「本当はしたくないから」とは言えないなあと思ってしまう。

それに「これをしたい」を実際にするには、タイミングも大いに関係しているように思う。

タイミングというのは、何かが吹っ切れたときかもしれないし、思わぬチャンスが降ってきたときかもしれない。チャンスの訪れも奇跡の訪れもない現実を突きつけられて、自分が変わるしかないと行動し始めたときかもしれない。

だからそのタイミングを待つこと、言い換えればそのタイミングまでやめることなく思い続けることも重要なのだ。


田辺聖子さんの『歳月がくれるもの』という本(インタビューをもとにした聞き書きのエッセイ)に、印象的な言葉を見つけた。

たとえ今うまくいってないからといって、自分が自分をバカにしてはダメですよ。

今は神サンがよそ見してるだけ。「私にはこんないいところがある」って自分で自分に言うて聞かせてあげて。これが自信のもと。
田辺聖子『歳月がくれるもの まいにち、ごきげん』

あれがしたい、これがしたいと思うばかりの日々は、もどかしい。でも「今は神サンがよそ見してるだけ」と思えたら、嫌味にならず綺麗な心のままで、頑張れる気がするのだ。

もしも報われなかったり、投げ出したくなったりしたときには、この言葉を思い出したい。

いつか“神サン”がふと自分のほうを見てくれるそのタイミングまで、焦らずやれることを少しずつ。


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